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過疎地に押しつけられた原発が放射性物質を撒き散らし、福島県の美しい飯舘村を破壊…経済発展と引き換えに日本がこの100年で失ってきた本当の豊かさとは

過疎地に押しつけられた原発が放射性物質を撒き散らし、福島県の美しい飯舘村を破壊…経済発展と引き換えに日本がこの100年で失ってきた本当の豊かさとは

2011年3月11日に起きた東日本大震災によって福島第一原発でメルトダウンが起こり、大量の放射性物質が撒き散らされた。福島第一原発から40キロの飯舘村は100年以上かけて開墾されてきた農業が栄える豊かで美しい村だったが、放射能によりその営みは破壊されてしまった。飯舘村の悲劇は、日本が近現代で失ってきたものの総体が浮かび上がると指摘するのは、歴史学・農業史研究者の藤原辰史氏とジャーナリストの青木理氏だ。

大店法の規制緩和によって、どこの地方にも大型モールができ、風景は均質化され、地域固有の食文化や工芸は崩壊していった。そして均質化を免れていた飯舘村も、原発事故により元には戻らなくなった。経済発展のために日本がこの100年で失ってきた本当の豊かさを見つめ直す。

近代日本の成長が壊してきたもの

青木 藤原さんには少し前にお目にかかった際、今作の刊行予定と内容のあらましについて伝えてはいましたが、実際にお読みいただいていかがでしたか。

藤原 いやー、面白かったです。そういうと語弊がありますが、やはり102歳のおじいさんが自殺をするというのは、衝撃的でした。一番長生きした私の曽祖母は89歳で老衰で亡くなっていますが、それよりさらに長寿の102歳の老人が自ら死を選ぶなんて、ふつうは考えられない。本の帯に、「古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?」とありますが、私が驚いたのは、青木さんが取材を進めるうちに、その問いの意味がどんどん広がっていき、やがて日本がたどってきた近現代の過ちに行きつくことです。こういう問いの広がり方を受け入れる姿勢は、研究者ではなかなかできない。

青木 正直に明かせば僕の遅筆や怠惰のせいも大きいのですが、その問いに辿り着いて解き明かすのに10年近くかかってしまったのも事実です。

藤原 その作業は絶対必要だったと思います。自死してしまった大久保文雄さんと震災や原発事故を単にたどるだけでなく、戦争も含めて、緩く長くこの20世紀前半から後半にかけて日本の歴史が失ってきたもの、破壊してきたものの総体がこの本から見えてくる。また私は、そう見なければいけないと思います。

青木 その点に関して言うと、たとえば首都圏への人口などの一極集中が近年ますます進行し、全国の地方部はほぼ例外なく高齢化と過疎化に喘いでいます。いまは僕も藤原さんも都市部に暮らしていますが、もともとはお互いに地方の出身で、僕が信州は長野、藤原さんは島根の出雲。だから地方の実像や苦境は皮膚感覚でわかると思うのですが、そうした地方部は高齢化や過疎化に歯止めがかからない一方、ある意味で金太郎飴的な画一化というか、風景もすっかり均質化してしまっていますね。

藤原 そうですね。郊外のショッピングモールとか、どこに行ってもあまり景色は変わりません。

青木 それなりの歴史を持つ街や繁華街は寂れて“シャッター商店街”と化し、一方で国道沿いのロードサイドなどには大手チェーンのファストフード店やファミレス、あるいは大型の量販店などが林立している。それだけを眺め、その中にいれば、いま自分がどこの街にいるのか分からなくなってしまうほどです。

飯舘村は違いました。その類のものが一切ないばかりか、大型のスーパーマーケットすら村内に存在せず、山林が7割以上を占める村は、平凡といえば平凡かもしれませんが、閑静な里山の合間に長閑な田園風景がゆったりと広がっている。いま藤原さんが指摘された、20世紀前半からの日本が緩く長く失ってきたものが、風景が、まだ残されているのだと幾度も実感させられました。

藤原 「飯舘村には何もないけれども、じつは豊かで限りなく美しい」と、何度もこの本で繰り返されています。その感慨深さは、恐らく青木さん自身が育ってきた近代日本の成長過程と重なり合うところで起きているわけですね。目覚ましい経済成長はあったけれど、その規模以上にとんでもないものを、敵国の空襲ではないのに、破壊してきた過程があった。戦争も含めて「昭和100年」という長い期間にわたって、じっくりとゆっくり破壊してきた歴史があった。

ところが、飯舘村という場所は違った。100年前の暮らしがほぼそのまま残っている部分がある。びっくりしたのは、まだ薪でお風呂を焚いていたんですね。

青木 大久保家はそうでした。自死した文雄さんは、薪で沸かした湯の方が身体が芯から温まるんだと言って、最後までこだわっていたそうです。それに周囲は山々に囲まれていますし、一時は炭焼も手がけていた文雄さんは山林を所有していましたから、エネルギー源としての薪は無尽蔵にある。炬燵の熱源も炭だったそうです。

藤原 一見、古びた方法にみえますが、それがじつはどうみても「合理的選択」だった。目の前の山から調達した薪を使ったほうが、石油やガスを買うより絶対安いし、体も芯からあったまる。そういう暮らしが100年間、ほぼ壊されないであった。稀有なことです。

100年のタームでいえば、飯舘村は、日本が自分で破壊してきた日本列島に残った最後の場所のひとつだったかもしれない。近代への成長過程で、文化がこれだけ破壊される国といえば、韓国も同じですね。周縁の無機質なマンション群は、すべて開発独裁が行われた場所です。そうしたディベロッパーたちの手を逃れ、最後に残された飯舘村という場所が、原発ごときでやられてしまった。もっと言えば、日本近現代史150年分の凝縮した歴史経験を、この102歳の大久保文雄さんが自らの身に引き受けたというように読み取れました。

青木 その通りかもしれません。もちろん、ひとくちに飯舘村といっても実際はさまざまで、近年はオール電化の住宅などもありましたし、薪で風呂を沸かすような家は圧倒的な少数派だったでしょう。ただ、そうした生活もかろうじて残り、息づき、文雄さんと家族は実践者でもあった。それが原発事故で根こそぎ奪われ、文雄さんは自ら命を絶ってしまいました。

藤原 原発事故で村が放射性物質に汚染され、「全村避難」を強いられる見通しになった際、文雄さんがひとりごちる発言を読んだときつらかったです。「ちぃっと長く生きすぎたなぁ。イヤなものを見ちまった」と。この言葉に集約されていると思う。都会生活者にとっての風景とは客体化されたものですが、自分が力を尽くして開墾してつくり上げた風景は、もうこのおじいさんと一体化したものなんですよ。自分の体と切っても切れないものが、目の前で崩壊していくという絶望。きっとそういう感覚があったんだろうなという気がします。

「壊しては作る」儲け主義の代償として

青木 もとより近代化を全否定などしませんし、われわれもその恩恵を一身に受けているわけですが、しかしなぜ日本の風景はここまで陳腐な画一化、均質化に向かってしまったのか。昔ながらののどかな風景をもっと残したっていいはずだし、地方ごとに息づく多様性がもっと残されてもよかったはずです。それこそ「保守」を自称する者たちこそ、最も強く訴えて固執するべきだったのではないか、とも思わされます。

藤原 二つほど、理由があると思います。ひとつは、日本精神史にある気がします。あの悲劇的な戦争をもたらしたのは、日本の田舎主義や村社会に根を下ろす旧態依然とした精神性であると。そういう日本精神史的な反省があって、戦後は日本文化への蔑視や破壊が急速に進んだんじゃないかと思う。

2点目は、壊して作るというスクラップ・アンド・ビルドというモデルが一番経済成長に役立つという認識でしょう。壊してはつくる、壊してはつくる。日本の使い捨て文化の圧倒的な恐ろしさは、この反復から滴る地域開発のうまみからきているわけです。日本人は、自分たちが暮らす風景さえも、そういう経済システムの中に入れてしまった。そのふたつが要因じゃないかと思います。

青木 さらに細かく見れば、大店法(大規模小売店舗法)の改変による影響なども大きかったのではないですか。かつては中小の商店を保護する目的で大型商業施設の新設はかなり規制されていたけれど、1990年代に入ると日米構造協議、つまりは日本の市場開放を迫るアメリカの圧力などを受け、規制は大幅に緩和された。これにクルマ社会の本格化なども相俟って、それなりの個性を有した駅前や地域の商店街、繁華街が廃れ、郊外や国道沿いなどへと人の流れが移っていってしまった。

藤原 その通りだと私も思います。大店法の規制緩和などによって、イオンのような大型店舗がショッピングモールに入り、そこにマクドナルドやケンタッキーといったグローバルチェーンが入居するフードコートができる。アメリカ牛を使った牛丼屋さんもそうだし、ドーナツ屋さんもインドネシアのパームヤシのオイル使用なので、海外のグローバルな食品産業のネットワークが大店法を通じて地域に組み込まれていくと。それで何が起こるかというと、地域の食文化が徐々に崩壊していくわけです。20世紀に欧米が辿ってきた同じパターンを日本は凝縮して繰り返しているようにみえます。

青木 グローバル化にも功罪はもちろんあれ、明らかに罪に類すべき部分まで無定見に受容して希少な地域文化や景観を破壊してしまった面があると。

藤原 ありますね。グローバリズムには、みんな同じような文化と技術を謳歌できるというイメージもありますが、それと裏腹に、そこにしかない人と自然とのネットワークを破壊していく側面もある。僕の研究からいうと、食べ物に一番出ると思うんですが、食だけでなく、木組み細工や、陶芸、木工、金工、漆芸とか、地域の特徴がどんどん失われていくことと深く関わっていると思います。

青木 なかでも藤原さんが専門とする食に関しては、僕が感じた飯舘村の「豊かさ」についてあらためて考えてみたいんです。今作のなかでも記しましたが、「近くにスーパーもなければ不便だろう」などと言われるけれど、そんなものの必要性はさして感じていなかったんだと、僕が取材した村人たちは言うんですね。

田畑ではコメも獲れるし野菜も獲れる。それこそ天然の山菜やキノコ類なんて、高級スーパーをいくら訪ね歩いても容易に手に入らない。これは僕の実家あたりもそうですが、家の畑で育てた野菜が食べきれないほど収穫できたら、近所の知人にお裾分けし、すると近所の知人からは別の野菜や山菜などが返ってきたりする。

それに飯舘村は、南相馬市の市街地などがさほど遠くないんです。だから週に1度程度、そうした街にあるスーパーに行って肉や魚、それに調味料の類をまとめ買いしておけば、村内にスーパーがなくても不便などほとんどない。調味料だって、家によっては味噌なども自家製で手作りしたりしている。かなり自給自足に近い生活を営んでいたわけです。地元できちんと食の営みが回っていた。ある意味、これほど豊かで安全なことってないでしょう。

藤原 おっしゃるとおりで、食べ物とは本来できる限り自分でつくって、仲間内で交換しやすいものであって、資本主義が高度化しなければ、商品化しなくてもよかったジャンルだと思うんです。一事が万事そうで、これでは金にならんと思われて、自給自足圏が崩壊していく。これは世界史の原理ともいうべき現象です。列島全体が開発主義で壊された挙げ句に残っていた桃源郷である飯舘村を、青木さんが取材対象に選んだのは、ある意味、宿命的なものを感じました。

青木 特に近代化した生活を謳歌する大都市を支え、だから過疎地に押しつけられた原発という巨大発電装置が、かろうじて残っていた自給自足の豊かな村落を破壊した。そういう村落を取材対象にしたのは、これは宿命というより偶然かもしれませんが、あまりに巨大な災害を目の当たりにして何をどう描くかたじろいでいた僕が、大久保文雄さんの自死という事実を知り、取材を進めるうちに描くべき道筋が見えていったわけですから、偶然が必然に変わったとはいえるのでしょう。言葉を換えれば、文雄さんが僕をそこにいざなってくれたのかもしれない。

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