「美しすぎるプロ棋士」としてインフルエンサーの滝沢ガレソ氏に取り上げられ、大きな話題となっている女流棋士・三島響二段。SNSではアニメ・漫画のキャラクターのコスプレ姿をアップするなど、囲碁に触れてこなかった人々からも注目を集めている。囲碁との出会いからプロ棋士として仕事に向き合う中で感じたギャップ、そしてプライベートについて、率直な言葉で語ってもらった。
「美人すぎるプロ棋士」として話題に
–––SNSで「美人すぎるプロ棋士」としてインフルエンサーの滝沢ガレソさんに紹介されましたが、反響はどうでしたか?
三島響(以下、同) ありがたいことに、実は滝沢ガレソさんに取り上げられる前にも、2回ほどバズったことがあるんです。最初のきっかけはインスタグラムの投稿でした。そこからいろいろな媒体で記事を書いていただいて、Xでも広がって、最後に滝沢ガレソさんに取り上げていただいた、という流れですね。
一番反響が大きかったのは、最初のインスタでした。フォロワーも、もともとは2000人くらいだったのが、一気に20000人ほどまで増えて。そこから急に環境が変わった感覚があります。
以前はインスタで「今からラーメン食べます〜!」みたいな投稿もしていたんですが、そういうことを気軽にできなくなりましたね(笑)。
–––棋士としてのお仕事にも影響はありましたか?
もちろん仕事の面でも影響がすごくあって、取材のご連絡をいただいたり、YouTubeのコラボのお話をいただいたり、「こういう企画に出ませんか?」という声が急激に増えたのも、ちょうどそのタイミングでしたね。
–––そもそも、囲碁に出会ったきっかけは何だったのでしょうか?
もともと関西棋院が通りに面していて、ガラス張りで囲碁教室をやっていたんです。その同じビルで開催されていた絵画の展覧会に母と行ったとき、5歳だった私が「入りたい!」と言ったみたいで。それがきっかけで、囲碁を始めることになりました。もしかしたら、展覧会に連れ回されるのが嫌だったのかもしれません(笑)。
その後、最初は週1回、2時間くらい飛び入りで参加させていただきました。それがだんだん週2回になって、朝から夕方まで打つようになって……それからは一度も辞めることなく、ここまで続けることができました。
–––三島さんは中学1年生のときに関西棋院の院生になっています。そこからプロ棋士になろうという意識は、いつ頃から芽生えていたのでしょうか。
父から聞いた話では、小学校4年生くらいのときに「プロになりたい」と自分から言ったそうです。その頃には、もう囲碁教室が休みのとき以外は全部通っていましたね。学校が終わったらすぐに囲碁を打ちに行く、みたいな生活でした。
プロ棋士になるも「あれ? 仕事なくない?」
–––プロ棋士としての活動を始めてから、何かギャップはありましたか?
対局そのものに関しては、正直あまりギャップはなかったですね。ただ、大きかったのは仕事の面です。
対局はもちろん、指導碁やイベントといった仕事が、ちょうどコロナの時期と重なってしまって本当に少なかったんです。もちろん自分の実力不足もあったと思いますが、「どうしよう」「何かしないといけない」という焦りは強くありました。
中学生の頃、先生から「女流はプロになってしまえばなんとかなるから」と言われていました。というのも、女流棋士は一般棋戦だけでなく女流棋戦にも出られますし、若いうちは若手棋戦も出場できます。それに指導碁もあるし、イベントにも呼ばれやすい。だから「なるまでは必死で頑張れ」と。
でも、実際になってみたら……「あれ? 仕事なくない?」という状態でした。
–––固定給のような仕組みはないのでしょうか?
プロ棋士は基本的に歩合制なので、「対局を打てる資格をもらった個人事業主」という感覚に近いです。一応プロとしての報酬もあるのですが、そこまで多くはないので。
対局料も支払われますが、あるといっても年に15大会程度です。しかもトーナメント戦なので、1回負けたら終わり。もちろん勝ち進めば対局料も増えますが、大多数の棋士にとって、安定した収入が確約された世界ではありません。
「プロになった=生活が保障される」というわけではないんだな、と実感しました。
–––生活を成り立たせるためにも、自分なりの活動の形を模索していった、と。
はい。対局1本でいく方もいますし、普及活動など、別の仕事を中心にされている方もいます。私は対局以外の仕事にも興味があって、イベントなどもやる気満々でプロになったんですが、そのタイミングでコロナ禍に入ってしまって……。囲碁人口も減少傾向のなか、仕事自体が本当に少なかったんです。
特にプロになった1年目は、何から始めればいいのかもわからなくて。関西棋院の指導碁に応募するなど、少しずつ「今できること」から始めていきました。
–––SNSでコスプレ姿を発信するなども、その一環だったのでしょうか?
はい。やっぱり「まずは知ってもらわないといけない」と思っていました。
18歳でのプロ入りは、囲碁界では特別早いわけではありません。17〜18歳が平均で、もっと若く、10代前半から活躍されている先生もいます。その中で、対局だけで存在感を示すのは難しい——そう思ったからこそ、Xでの発信にも力を入れるようになりました。
その延長線上で、コスプレの投稿やYouTubeにも挑戦しました。囲碁を真剣に打つ姿だけでなく、まずは「(囲碁を)知ってもらうきっかけ」になればという思いがあったんです。

