旅人遺伝子を持つ人は古代から少しずつ増えてきた

また「どの細胞でこの遺伝子群がよく働いているか」を調べたところ、大脳皮質の興奮性ニューロンで、移動に関係する遺伝子の発現がとくに関連していることが分かりました。
興奮性ニューロンは、他の細胞を「オン」にする役割を持つ神経細胞です。
この結果は刺激を受けて活動しやすい回路を作りやすい人ほど、新しい場所に一歩踏み出しやすいのかもしれない、という可能性を示します。
さらに研究チームは、現代人のデータから作った「移動しやすさの遺伝子パターン」を、今度は古代人のDNAに当てはめてみました。
具体的には、約1万年のあいだにわたって採取された古代人の骨からDNAを取り出し、その人がどれくらい「移動しやすい体質寄りの遺伝子の組み合わせ」を持っていたかを数値にし、「生まれた地域と埋葬された場所」の距離を推計しました。
その結果、移動しやすい体質寄りの遺伝子の組み合わせを多く持つ人ほど、生まれた場所から遠く離れた場所で埋葬されている傾向があることがわかりました。
つまり古代人を遠くに旅立たせた遺伝子と現代人を地元から離れさせる遺伝子は重なりが見られたわけです。
さらに、こうした「移動しやすさ寄りの遺伝子の型」が、人類の歴史の中で少しずつ増えてきた兆しも見つかっています。
これは、長い時間スケールで見たときに、「移動しやすい性質」を持つ人たちが、環境との相性のよさなどを通じて、わずかずつ有利になってきた、つまり自然選択の影響を受けてきた可能性を示しています。
最後に、アメリカの複数の郡について、住民の平均的な移動に関する遺伝的傾向と、その後の一人あたり所得の伸びを比べました。
その結果、移動スコアが上がった郡ほど、その後の所得の伸びが平均で4,000ドル以上大きい、という統計的な関連が報告されています。
ここから「移動好きの人が集まると、その地域が少しだけ豊かになりやすいのではないか」という解釈が出てきます。
あえて極論すれば遺伝子のレベルにおいて「放浪者エリート説」あるいは「旅立ち組エリート説」とも言えるでしょう。
日本には古来から旅をする稀人(まれびと)を歓迎する文化がありますが、もしかしたら旅人を取り込むことを後押しする何かが、歴史の中で少しずつ積み重なってきたのかもしれません。
また同様の「移動と遺伝子」の関係は別の研究からも示されました。
・2025年に発表されたエストニアのタルトゥ大学の研究
2025年に発表されたエストニアのタルトゥ大学の研究は、エストニア成人の約5分の1にあたる20万人規模のバイオバンク参加者のうち、18万人以上のDNAと、出生地・現在の居住地の情報を組み合わせ、「国内の引っ越しが、教育や性格に関わる遺伝的傾向をどう偏らせているのか」を調べました。
すると「地方から都会に出てくる人」のほうが高学歴をとりやすい遺伝的傾(教育PGS)が高く、逆に「都市で生まれて地方に移った人」はその指標が低くなることがわかりました。
(※ここで言うエストニアの都会とは首都タリン(ハルユ県)や大学都市(タルトゥ県)などを示します。)
さらに興味深いことに、同じ家庭に生まれ、同じ県で生まれた兄弟姉妹について、「都市に出た側」と「そうでない側」を比べると、都市に出た側のほうが高学歴をとりやすい遺伝的傾が高い傾向がありました。
兄弟でみられた差は、親の教育や収入といった家族共通の環境だけでは説明できない、「個人レベルの遺伝的な差」が移動行動に関わっていることを示唆します。
旅するDNAが描き変える“遺伝の地図”

今回紹介した二つの研究により、「人がどこまで移動するか」や「どこへ移動しやすいか」には、ごく小さな遺伝的な傾きが存在し、それが脳の発達や教育への志向性と結びついている可能性が示されました。
2026年のプレプリントは、胎児のころからの脳の発達、とくに興奮性ニューロンの働きやすさに関わる遺伝子の組み合わせが、長距離の移動とゆるく関連していることを示し、同じ指標が古代人の移動や現代の地域ごとの経済成長ともつながっているかもしれないと報告しています。
一方、2025年のエストニアの研究は、より身近なスケールで、「高学歴になりがちな遺伝子を持つ人が都市に集まり、その結果として国の中の遺伝的な地域差が強まっていく」というプロセスを数字で描き出しました。
とくに、同じ家庭の似た環境で育った兄弟姉妹のあいだでさえ、「上京組」と「地元残留組」のあいだに同じような遺伝子の差が見えるという結果は、移動と遺伝子の関係を印象付けます。
これれらの結果は、社会全体の設計においても重要です。
なぜなら、「移動する/しない」という私たちの選択が、長い時間スケールでは、どの地域にどんな人が集まり、どの地域にどんな産業や文化が育ちやすいかという、社会のかたちそのものに関わってくるからです。
首都への一極集中などを、単なる仕事の多さやアクセスのしやすさという環境だけでなく、遺伝子という新たな視点で見る切欠にもなるはずです。
そして2026年の研究が示唆するように、遠くへ移動しやすい人たちが、新しいアイデアやスキル、リスクを取るエネルギーを持ち込むことで、地域の経済成長にわずかに関連している可能性もあります。
一方で、「移動しにくい」人たちが置かれた状況をどう支えるか、という視点も同じくらい重要です。
もし、都市へ出ていく人たちの多くが「教育や収入の面で有利な遺伝的傾向」を持っているなら、もともと不利な状況にある地域は、二重三重に不利になりかねません。
この研究成果をうまく活用できれば、「上京組」も「地元愛」も、それぞれの良さを生かした社会づくりに役立てることができるかもしれません。
例えば、遠くへ移動しがちな人たちのエネルギーをイノベーションや開拓に向けつつ、地元に残る人たちの安定性やコミュニティへのコミットメントを地域づくりに生かす、といった発想です。
もしかしたら未来の世界では、自分の「旅人遺伝子スコア」を知ることで遺伝子からの囁きを知る手助けになるかもしれません。
元論文
Migration genetics link excitatory neurons to ancient selection and economic growth
https://doi.org/10.64898/2026.02.05.703995
Genetic effects on migration behavior contribute to increasing spatial differentiation at trait-associated loci in Estonia
https://doi.org/10.1016/j.isci.2025.114013
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

