経済アナリスト・森永卓郎氏の没後1年にあたり、氏が2008年から2023年に執筆した政治コラム集『森永卓郎の戦争と平和講座』が1月に刊行された。今回は、その解説を寄稿した元経済産業省改革派官僚の古賀茂明氏と、同じく1月に『Ei革命 エネルギーの知性学への進化と日本の針路』を上梓した環境エネルギー研究所所長の飯田哲也氏に、2010年代の日本を振り返りながら、改めて森永氏の言葉と思想について語り合っていただいた。
「直言の人」、「予言の人」としての森永卓郎
──『森永卓郎の戦争と平和講座』(以下、『戦争と平和講座』)は、ウェブマガジン「マガジン9」に長年連載された森永さんのコラム38篇を収録しています。リーマン・ショックに始まり、民主党政権の誕生、普天間基地移設問題、消費税増税、自民党への再びの政権交代とアベノミクス、集団的自衛権と安全保障関連法案、コロナウイルスの感染拡大など、トピックはさまざま。飯田さんは、お読みになってどのような感想をお持ちになりましたか?
飯田哲也(以下、飯田) まず、私と森永さんの関係についてお話ししておくと、直接のお付き合いはありませんでした。一度だけ、森永さんが『「マイクロ農業」のすすめ』(農文協)を執筆されていたときに、分散型エネルギーについて教えてほしいと問い合わせがあったので、ご協力したことがあります。
もう20数年前のことになりますが、よく覚えているのはベストセラーとなった『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)です。この本が出たときには、私は「日本はそこまで貧しくならないだろう」と思っていました。
しかし、今となってはかなり多くの人がそういう暮らしを強いられていますよね。森永さんは、そういう先を読む慧眼をお持ちの方だという印象がありますね。
それをふまえてひとつひとつのコラムを読んでいくと、どこかの組織に属していては言いにくいことをズバズバ、ズケズケと書いておられる(笑)。信念をもってその時々に言うべきことを言われているという、「直言の人」という印象を全体に持ちました。
2008年以降の自分の思い出、福島第一原発事故以降は古賀さんとご一緒する機会が多かったですが、そういうものを振り返りつつ、同時代に「孤高の人」として森永さんがいらっしゃったんだなということを実感しました。
古賀茂明(以下、古賀) 本の中身としては2010年代に関わることが多いんだけど、今から考えると、その時期に起きていたことが今日にすごく影響を与えていますよね。
たとえば、福島の原発事故。事故の直後には「もう原発はやめよう」と盛り上がったんだけど、また原発に戻っていくという過程が10年代。それで、そのまま今に来ちゃっている。事故当時は民主党政権でした。日本がいい方向に変わるかなと思ったら、本当に皆ががっかりさせられて、また自民党政権に戻り、第二次安倍内閣からまた日本の国のかたちが大きく変わった。今、高市首相によって、その最終決定打が放たれようとしている感じですよね。そういう意味で、10年代というのは非常に重要です。
飯田さんもおっしゃったけど、森永さんの意見は、最初それが書かれたときには、何だか荒唐無稽なことを言ってるなというふうに見えるんですよ。でも、それが後になって、「あれ? 本当になっちゃうぞ」となる。そういう意味で、森永さんは「予言の人」だったという気がしますね。指摘する時期がとても早くて、予言としてのスパンが長いのが特徴です。
──具体的にコラムを挙げていただくとすれば?
古賀 たとえば、2008年12月の「米国との関係を真剣に考えなければならない」。今から18年も前に書かれていますが、「米国は、これからは世界経済の中心の国ではなくなり、ローカルの国になっていくだろう。米国の覇権は軍事面だけで続いているのだ」と。その時点でもう、経済覇権は失うと言っている。そして、米国は日本を守れるのかという問いを立てて、もし米国依存をやめるとして日本はどうするのか、本当に自国で防衛をするのか、そういうことをしっかり考えなくちゃいけないとも主張しています。
そして、そこからサッと結論へ移って、「日米同盟をゆるやかに廃止していき、駐留米軍に撤退してもらう」と踏み込んでいます。これは、よく言ったなと思うんです。共産党の主張ならびっくりしないですけど、森永さんは当時テレビにもしょっちゅう出ていたし、さまざまな発信の場を持っている人がいきなりこんな主張をすると、「何事か!」となりますよ。それをこんなに早く、はっきり言っているのが非常にいいなと思いますね。
飯田 極めて直截な書き方をされますよね。
古賀 そう、そしておもしろいのは、彼には「国に頼る」という発想がないこと。だから、「年収300万円で生きようよ」という主張をする。国や政府を何とかして変えてやろうというより、そういう連中にはさっさと見切りをつけるという考え方なんですよね。
私は、『戦争と平和講座』でも言及されている菅原文太さんとは生前に親しくさせてもらったんですけど、菅原さんの発想がまさに同じなんです。「古賀さん、これからは農業ですよ。政府がダメだし、日本はもうダメになる。そうしたら最後、生きるために食い物が必要なんだ。だから農民が一番強いんだよ」って。
それで、俳優業をパッと引退されて、山梨県で奧さんと農業をされていましたね。国家というものを信用せず、自立心がある。単に反抗的というのとは違うんですよ。森永さんもそういうのが好きだったんじゃないかな。
僕は最近、飯田さんみたいな人と組んで、どこかの島にエネルギー自給の独立国を作りたいなって考えることがあるんですけど(笑)、それなんかも森永さん的発想だと思うんですよ。
飯田 ふふふ(笑)。コラムの中には、古賀さんと私に共通の体験に関わるものもありますよね。大阪市長時代の橋下徹さんに対して、森永さんは非常にストレートな危機感と批判を書いてらっしゃいます(「橋下旋風に潜むリスク」 2012年1月)。
大阪府市エネルギー戦略会議に一緒に参加していた頃、我々は橋下さんの人気を使って、原発を止めようと考えていたんです。橋下さんと当時の滋賀県知事の嘉田(由紀子)さんとで、あと一歩で大飯原子力発電所の再稼働を止められるところまでいったんですが、最後に橋下さんがコロッと寝返っちゃって、煮え湯を飲まされた。
そういう危険なところも、森永さんはきちんと鋭く、まっすぐに指摘していますね。今から見れば、あれこそ維新がどんどん変質していく流れの始まりだったように思えます。
もうひとつ印象に残っているのが、コロナ禍について書かれた「新型コロナウイルス感染拡大は引き金にすぎない」(2020年3月)。森永さんはサイエンスの方ではないけれど、しっかりPCR検査をしないといけないということを分かっておられた。当時も今も、日本ではPCRはできないっていう「神話」がある。
厚労省の医療官僚の最初の失敗を覆い隠すためなのか、なぜ検査ができないのかわからないんですけど、そのあたりのことも本質を見てしっかり指摘されていましたね。
それと、コラムに「トリクルダウン」という言葉自体は出てきませんが、富裕層や大企業が潤えばそれが低所得層にも落ちてくるというアベノミクスへの批判もありますね。トリクルダウンって本当にいかがわしい言葉なのに、安倍政権のときはそれがあたかも経済が豊かになるまっとうな流れだとされていた。そうした権力者のフィクションを切り裂くようなかたちでしっかり声を上げて指摘されるところが、森永さんらしいなと思いました。
福島第一原発事故とその後の原子力政策
──少し話が戻りますが、2012年の大飯原発の再稼働は7月のことでした。橋下さんがちゃぶ台返しに至った過程はどのようなものだったんですか?
古賀 2012年の5月には大阪府市エネルギー戦略会議の報告書がまとまり、再生可能エネルギーにシフトしていけば、原発の再稼働なしでも日本のエネルギー需要に応えることができるということを示していたんですよね。
それを基にして、大阪府市が大飯原発3、4号機の再稼働に反対の声を上げることを期待していました。ところが5月31日に、橋下さんは再稼働することを容認したのです。しかも、当初は夏季の電力ひっ迫期間に限ると言っていたのに、その後の稼働継続も止めようとはしなかった。
そして、9月にはエネルギー戦略会議の開催が大阪府市の判断で停止されました。最終のとりまとめの妨害ですね。さらに橋下さんは、「原発ゼロでもエネルギーがまかなえる道筋がはっきりしないかぎり、その論議はきれい事にすぎない。(脱原発は)原理主義だ」とこちらを批判をしてくる始末でした。
実を言うと、橋下さんから僕宛てに、「大変なんです」っていう泣きのショートメールが入っていたんです。「維新の中がほぼ全員、原発を再稼働させるべきだと言っている。自分一人が何を言っても動かない状況です」と。
飯田 それが5月の終わり頃のことでしたよね。
古賀 それ以前の橋下さんは、本当に原発を再稼働するのなら「民主党政権には代わってもらう」と倒閣宣言をしていた。当時の橋下さんは飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから、民主党はものすごく恐れていましたよ。そのまま突っ走ってくれたらよかったんだけど、結局、屈してしまった。
その理由としては、関電が、関西じゅうの中小企業に「絨毯爆撃」をしたのが大きいんです。「原発が動かなければ、この夏は計画停電になると思います。いつなるかはわからないが、準備しておいてほしい」と伝えて回った。言われた方は困りますよね。それで、維新の市議から府議からすべての政治家に対して、「橋下さんに原発を動かすよう言ってください」という嘆願がきた。もちろん、関西の経済三団体も再稼働容認を迫りました。
それと、これは高市さんとも似ているんだけど、橋下さんはあれだけ勇ましいことを言うわりに、びびり体質なんです。僕たちは、飯田さんを含めた電力のプロみんなで議論して、こうすれば電力は足ります、という数字を出して提案をしていたんだから。
飯田 そうなんです。結果的にその数値はぴったり合っていました。
──原発の再稼働なしでも、電力は足りると。
古賀 ええ。当然、最終的にはやってみないとわからないところはありますよ。それを、橋下さんはやらなかった。万が一電気が止まったら、全責任をとらなくちゃいけない立場だから。そこは確かに我々とは違うんだけど。
それと、大阪府や大阪市が国際シンポジウムのような大きなイベントをやったりするでしょう?そういうものに対して関電は支援や協賛をしているわけです。関電との関係が悪化すれば、大阪の行政が立ち行かなくなるということもあったでしょうね。ところで、今思うと、森永さんはそこまで「原発をすぐに止めろ」というスタンスではなかったですね。
飯田 当時のコラムでは確かにそうですね。
古賀 おそらく彼は、安全が担保されているのなら動かしてもいいんじゃないか、という現実路線だったんだと思います。あの頃はむしろ皆が「止めろ、止めろ」だった。その中でクールに、本当に止めて大丈夫なのかっていう目で見ていたんでしょう。今みたいにいろいろなデータが出ていて、原発なしでも問題ないということがわかっていれば、賛成されたんじゃないかな。まあ、あの当時、飯田さんたちが主張したことは、日本で初めて言われるようなことばかりだったから(笑)。
──飯田さんが新著『Ei革命 エネルギー知性学への進化と日本の針路』(以下、『Ei革命』)でも書かれている、化石燃料や原子力から太陽光や風力といった再生可能エネルギーへの転換ですね。
飯田 そうです。それは実際に世界的な流れになりました。2014年時点では世界の発電量に対して太陽光発電が占める割合は0.8%でしたが、それが2024年には8.5%まで増加しています。おそらく福島原発事故の時の数値は、0.1~0.2%くらいだったでしょう。
そんなものに頼れというのは、さすがの森永さんも含め、政策中枢の人たちにとってはお話にならない。しかしそれが2010年代に、驚くべきスピードで伸びていきました。2020年以降はパリ協定の影響もあり、風力発電を含めた再生可能エネルギーや蓄電池の普及が加速しています。そうなってくると、森永さんは情報に敏感な方だから、旧来の「大規模集中型」ではない「分散型」エネルギーについても見聞きする機会が増えたんだろうなと思います。
──それが、『「マイクロ農業」のすすめ』での脱原発や再生可能エネルギーへの言及につながるんですね。飯田さんがレクチャーされたんですか?
飯田 いえ、それはなかったですね。こういう資料をくださいとご本人から直接電話をいただいて、お送りしたと思います。
古賀 依頼はいつ頃だったの?
飯田 はっきり覚えていませんが、本が出る少し前でしょう。2020年か2019年あたり。
古賀 もしかしたら、僕が森永さんにお伝えしたのかな(笑)。再エネを含めた政策に関してなら飯田さん、原発のリスクについてなら原子力コンサルタントの佐藤暁さんというふうに、エネルギー関係ではいつもお二人の存在が頭にあるから。
飯田 そうかもしれない。突然、電話がありました(笑)。
古賀 それもおもしろいよね。誰かに一度つないでもらってそれから……という手続きを踏んだりせずに、直電なんだ(笑)。それと、コラムのところどころに出てくるけど、歴史修正主義との闘いというのも特徴的ですね。まさに今、そういうことが起きているんですよ。前首相の石破茂さんも言っていました。「石破下ろし」との闘いは、歴史修正主義との闘いなんだって。彼は結局、負けてしまったんですが。
石破さんが言うには、もともと自民党には、歴史修正主義者が一定数いたんですね。でも、あらゆることが順調で日本がうまく回っている間は自尊心も満たされて、大人しかった。ところが失われた10年、20年、30年となってきて、日本はダメだねと皆が口にするようになってきたら、「何を言ってるんだ!」という反発心が出てくる。
日本が戦争に負けて言うべきことも言わずに、自分たちが悪かったという自虐史観ばかりを植え付けられて、そのままやってきたからこうなったんだという、「逆ばね」が働いているんだと。
森永さんも、そういう歴史修正主義については、はっきり意識して書いていますよ。敗戦から時間が経って、戦争への危機感が薄らげば、威勢のよいことを言う人が支持を集める、と。

