漫画家のつげ義春さんが、3日に誤嚥性肺炎のため88歳で亡くなっていたことが分かった。「つげ義春コレクション」などを刊行していた筑摩書房が27日、発表した。日本の漫画表現の地平を静かに押し広げ、人間の心のひだを繊細に描き、数々の名作を生みだした故人を偲び、生前のつげさんのインタビューから一部抜粋・再構成してお届けする。
2020年、『アングレーム国際漫画祭』に招かれて82歳にして初めて海外(フランス)に行った漫画家・つげ義春さん。その前年には、フランスメディアから東京・調布でインタビューを受けていた。
2022年刊行の『つげ義春 名作原画とフランス紀行』(新潮社)に収録されたフランス誌「ZOOM JAPON」の漫画祭に招かれる前のインタビュー(【聞き手】ジャンニ・シモーネ 【訳】浅川満寛)である。
漫画家・つげ義春、世界へ
2019年はマンガファンにとって「つげ義春の年」として記憶されるだろう。
長い間、ほんの少しの例外を除き、外国のファンはつげの物語を日本語でしか読むことができなかった。しかし、今年からフランス語版(訳注=版元はCornélius)と英語版(訳注=同Drawn & Quarterly)がついに出版開始される。どちらも1965年から1987年までの全作品を収録(訳注=全7巻)。これらの翻訳の承認をつげから得られるよう説得するのに、実に約10年がかかっている。
この81歳(インタビュー当時)の作家は、その波乱に満ちた人生と作品の特質の両方から、一種の「異才」と見なされている。最後のマンガを描いてから30年以上が経つつげは、マスコミやマンガ界とのほとんどすべての接触を拒否し、親しい友人の間で連絡を取り合うだけで、世間の監視から「消える」ことを試みている。「ZOOM JAPON」が、彼の住んでいる調布でこの独占インタヴューのために会うことができたのは非常に幸運なことであった。
編集者の浅川満寛には、今回の会見に欠かせない協力をしてもらい、会話の場にも同席いただいた。
水木プロで働くために調布に引っ越し
――あなたは調布に長い間住んでいますね。調布はどんなところでしょう?
うーん……何というか……まあ、嫌いじゃないですね。最初にここに引っ越したとき、1966年頃でしたが、その頃はまだこのへんは田舎の村みたいだったんです。それまでは東京の都心に住んでいたのでびっくりしてね。当時まだ馬車を使って物を運んでいて。ごみごみした都心の方から引っ越してきたでしょう。周りに人がほとんどいない、静かな場所を見つけたのですごく……満足でしたね。そういう場所が自分に合ってるので。
――今はそうでもない? それほど好きではないでしょうか?
そうね。全然変わっちゃいました。もちろん、お店も、なんでもあるのでとても便利ですけど、特に駅周辺は少しごちゃごちゃしていてうるさいでしょう。自分の好みとはちょっと合わないです。
――水木プロ(原注=水木しげるのスタジオ)で働くために調布に引っ越したのですね。水木さんの仕事はどうでしたか?
悪くはなかったですよ。特別どうってこともなかったですけど。ってのは当時水木さんはすでに有名だったからあんまり知られてませんが、自分は実際、水木さんより2、3年早くマンガを描き始めたんです。だから水木さんから教わることは特にありませんでした。
僕が水木プロで仕事を始めたときに、もう若いアシスタントが何人かいたんです。背景を描く人はいたんですが、キャラクターを描ける能力と経験のある人が必要だったので、僕に声を掛けたんですね。水木さんは特に女性を描くのが苦手でしたから(笑)。
――あなたの女性キャラクターは確かにとてもかわいいですね。私のお気に入りの1人は「海辺の叙景」(単行本『つげ義春 名作原画とフランス紀行』収録)に登場する若いファッションデザイナーです。
実際、鬼太郎(原注=水木しげるの代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公)以外、キャラクターをほとんど描いてました。

