一か八か、人類の命運を賭けたスーパーパス!
この映画のタイトル「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、アメリカンフットボールでいう一か八か運まかせの遠投「ヘイル・メリー・パス」から採られていて、つまり、なかば神頼み的な起死回生の計画を意味している。
グレースはその「ヘイル・メアリー計画」を成功に導き、存亡の危機に立たされた人類を救済するべく、たったひとり活躍するわけだが、面白いのはその性格が決してマッチョで自己犠牲的ではないということ。
むしろ、先述したように、グレースには弱々しいところがあり、むりやり責任を押しつけられると何とか逃げ出そうとする。そこら辺の展開は日本人の目から見るとちょっと『エヴァンゲリオン』っぽくて面白い。
が、このヘタレっぽさこそがグレースというキャラクターの魅力だろう。
決して超人的な勇敢さのもち主ではないあたりまえの人間が、巨大な責任を押しつけられて悪戦苦闘する。かれの武器となるものはたったひとつ、人類が数千年にわたって築き上げてきた「科学」あるのみ。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はそんなお話だ。
きびしい環境に置かれながらつねに減らず口を叩き、期せずしてバディとなって何かと「質問?」と繰り返すロッキーとともに人類史上最大のプロジェクトを少しずつ遂行してゆくグレースの物語には、アイザック・アジモフやアーサー・C・クラークといった「黄金時代」の伝説的なSF作家たちの作品を連想させる陽性の雰囲気がある。
危機にあたってどうやら各国が団結して事実上の世界政府を作り、空前の大問題を解決しようとしているらしいことも、大昔のSF小説を連想させるポジティヴさ。
現実の世界情勢はどんどん暗さを増しているわけで、この展開は時代錯誤的にすら感じられるわけだが、しかし、どうにもダークだったり難解だったりする現代SFの主流とは、またひと味違う強烈にわかりやすい魅力があることもたしかである。
ミクロとマクロの高度な両立
いま、イーロン・マスクなど「テクノ封建制」の王侯ともいうべき大富豪たちがSF小説のファンであることを公言し、ある意味では「SFの時代」が訪れている。
また、「メタヴァース」や「シンギュラリティ」といった、あまりにもSF的な言葉が日常的に使用されてもいて、往年のSF小説のファンとしてはただただ唖然とするばかりだ。サイエンス・フィクションはいまやフィクションであることを超えて、現実の一部なのだとすらいっても良いかもしれない。
しかし、グレースはイーロン・マスク的にマッチョなキャラクターではなく、あくまで科学オタクの気弱な中学教師であるに過ぎない。そのかれがときに運命と責任から逃亡しようと試みたりしつつ、何とか重責を果たしてゆくところにこの映画の面白さがあるだろう。
どうにも激しいおしゃべりで、いつも思いついたアイディアを早口でしゃべっているグレースは、良い意味でも悪い意味でもオタク/ナード的な人物。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にはある意味でオタク賛歌といったところがある。
もちろん、グレースはただの限界オタクではなくきわめて優秀な人物であり、ロッキーと出逢ったあとは、あっという間ににかれらの特性と言語を解明、一致協力することとなる。
その後のSF的なクオリティとインパクトは、いわゆるファーストコンタクトSFとして、中国で3000万部オーバーのベストセラーとなり世界中で注目されている『三体』に匹敵するだろう。
ただ、『三体』が暗鬱といっても良いヴィジョンを描いているのに対し、こちらはひたすら明るいわけで、絶妙無比なテンポの良さも相まって、観ていてまったく疲れない。
また、しばしばスーパーマクロの壮大なできごとを描くことに腐心するあまり、人間ドラマが弱くなるふつうのSF作品と違って、この映画は等身大のミクロなエピソードからスタートしているため、非常に感情移入しやすい。
ミクロとマクロの描写のハイレベルな両立。これも『三体』や『エヴァ』との共通点といって良く、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が高度なハードSFであるにもかかわらず大人気を博している秘密にして、マニア受けに留まることも多い「ただの傑作SF」との最大の相違点だと思われる。
ようはまあ、とにかく、ただただめちゃくちゃ面白いのである。
現代SFの最高傑作のひとつにして、ハリウッド映画の頂点を形づくるマスターピース。良い、良い、良い。あなたはこの映画を観に行くか、質問?

