漢字の「癌」とひらがなの「がん」は違う
東 夫の保雄が前の病院から転院することになり、セカンドオピニオンを受けるため下山先生に最初にお目にかかった時に、ひらがなの「がん」と漢字の「癌」の違いをご説明いただきました。改めて解説していただけますでしょうか。
下山 少し回り道をさせてください。たとえば「肝臓にがんがあります」と言われたら、皆さんは肝臓がんの治療をすると思っていますよね。でも、そうではありません。肝臓にがんがあるからといって、それは「肝臓がん」とは限らないのです。
もともと肝臓から発生したがんが肝臓がんです。それに対して、例えば胃がんが転移して肝臓にできたり、大腸がんが転移して肝臓にできたりした場合、その肝臓にあるがんには胃がんの治療、もしくは大腸がんの治療をしなければいけません。だから、がんがどこにあるかも大事なんですが、がんが「最初にどこから生まれたか」が一番大事なんです。
東 その「一番最初にできた場所」のことを、医学専門用語で「原発」と言うんですよね。保雄の病気だった「原発不明がん」は治療が難しい希少がんだと言われていますが、何が難しいのかというと、原発が不明、つまり「最初にどこでできたかわからない」から余計に治療がしにくいということなんですね。
下山 例えば胃からがんが生まれたら、多くの場合は胃に大きなかたまりがあって、そこから子どもである「転移」ができてくる。だから容易に原発が推察できるわけです。
でも稀に、胃では大きながんが見つからないのに、転移した先でどんどん大きくなることもあります。大元のがんが何らかの理由で消滅してしまったケースなどです。そういう時の手がかりが「病理診断」です。がん細胞の一部を採って観察し、胃の粘膜の特徴を持っていれば胃粘膜からできたんだな、などと判断できるわけです。
そのため原発不明がんの場合は、がん細胞の特徴(病理診断)が重要になってきます。病理診断では、粘膜細胞から生まれたがんは「癌」、筋肉細胞から生まれたがんは「肉腫」といったように、区別して診断をつけます。ひらがなの「がん」は様々ながん全体のことを指します。
東 ちょっとややこしいので整理させていただくと、ひらがなの「がん」という大きな集合体があって、その中に漢字の「癌」があるという、そういう理解でよろしいですか?
下山 その通りです。「がん」という大きな集合の中には、たとえば血液のがんと言われる「白血病」や、筋肉のがんと言われる「肉腫」、そして悪性リンパ腫などが含まれます。
東 そういうものも全てひっくるめて、ひらがなの「がん」。それに対して漢字の癌というのは臓器の粘膜に直接できた、いわば「おでき」みたいなものと言っても良いんでしょうか。
下山 見た目はおできですよね。
東 まず、このことを大半の方が知らないですよね。
下山 我々はがんの診断をするにあたって、これは「癌」なのか、それとも「肉腫」なのか、あるいは血液細胞由来なのかをまずは突き止めなければいけません。
外来でよく説明することですが、「胃がん」と一言で括ってもさまざまなパターンがあります。胃には粘膜があります。この粘膜からがんができていたら、漢字で「胃癌」と言います。皆さんが胃がんといってイメージするのは、大抵それです。
でも、胃は粘膜の下に、収縮させるための筋肉があるんですね。その筋肉からがんが生まれたら、それは「胃の肉腫」と言います。あるいは、胃の粘膜の間には小さなリンパ節があります。そこからがんが生まれたら「胃のリンパ腫」です。胃から生まれたものが全部「胃癌」なのではなくて、胃の粘膜からできたものが、一般に想像される「胃癌」なんです。
東 数のうえではそれが圧倒的に多いわけですよね。
下山 ほとんどの場合が漢字の「胃癌」です。
東 しかし胃にできた“がん”にも、希少がんである肉腫やリンパ腫などもある。
下山 なので、場所としては胃にできたとしても、組織のタイプによっては希少がんに入ってしまうことがあるわけです。
相談窓口の「希少がんホットライン」
下山 一般に、がんといえば「5大がん」、すなわち肺がん・胃がん・大腸がん・肝臓がん・乳がんをイメージされる方が多いのではないでしょうか。これらは多くは粘膜由来の「癌」であることがほとんどで、切除する以外、基本的に薬で治すことはできません。
最近では免疫療法が発達して、一部では治ったんじゃないかと思うぐらい長生きする方も出てきました。ですが、それは限られた一部であって、基本的には薬では治らないと説明しています。よく言われる「ステージⅣ」とは、がんが離れた場所に転移している状態を指します。この場合、通常では手術は選択できないので、患者さんは末期だと受け取ってしまいます。
それに対して白血病や悪性リンパ腫の場合、血液のがんなので一カ所に留まることはなく、ステージⅣの状態が当たり前です。そもそも手術もしませんので、ステージⅣだから治療法がない、末期だ、などといった考え方は全くありません。漢字の「癌」か、肉腫なのか白血病なのかによって、治療法が根本的に違ってきてしまうわけです。だから原発不明がんの場合、治療の最初の第一歩として、まずはここをご理解いただく必要があるのです。
東 ステージというと、がんの進行度合いであって重篤さを示すものだと思われがちですが、一概にそうとも言えないんですね。最近では「2人に1人ががんになる」とも言われ、切除して5年が経っても再発しない、寛解したという話も耳にするようになりました。割と身近な病気だと考えてしまいがちですが、実はすごく複雑な病気であることがよくわかります。
保雄の場合、入院してから3ヶ月近く検査を続けましたが、原因がわからなかった。がんも見つからなかったということは、かなり特殊だったのだと思います。そういった珍しいタイプのものは、診断できる方も少ないのでしょう。
下山 希少がんの診断では、病理診断が重要です。希少がんに強い病理の医師は少ないです。臨床診断においても、原発不明がんの検査・治療は複雑で、専門性が高い疾患です。希少がんの専門家という医師はいないということで、例えば私は「希少がんセンター長」という肩書きですけれども、保雄さんのような疾患を院内で一番よく診ている専門家、というわけではありません。この領域に関していえば、当科であれば私の後輩である奥屋俊宏先生などが専門的に診ています。
東 奥屋先生には保雄の主治医を務めていただきました。本の中にも書きましたが、「私の息子ほどの年齢」というぐらいお若いのに、この領域では下山先生よりも詳しいのですね。
下山 私も原発不明がんを診てきましたが、今は血液のがんである悪性リンパ腫を専門にしています。奥屋先生は国立がん研究センターで原発不明がんに関するトレーニングを積んで、スタッフとして実際に多くの症例を見てきています。ですから、私が最初に診断した後、うちの病院ではこの疾患への対応は奥屋先生が一番適していると判断して、入り口だけつくって彼に頼んだんですね。
これが希少がん治療の進め方です。つまり、ひとりの人間がすべてを診ることはできません。それぞれ細分化された専門家がいるので、まずはチームとして全体を診て、それぞれの分野に詳しい先生が集まって対応していく。そういうことを組織的にできるようにしたのが希少がんセンターなんです。
東 国立がん研究センターの希少がんセンターでは、毎月2回ほど「希少がんMeet the Expert」というセミナーを開催し、動画でも配信していますね。希少がんに関する情報が本当に少ないなか、貴重な発信源となっています。
組織的な対応ということで言えば、もうひとつ紹介したいことがあります。国立がん研究センターに「希少がんホットライン」という電話相談の窓口があります。治療の相談をすべき先がどうしてもわからず、本当に困っている方からの電話を受け付けていて、現在では日本全国7か所で開設されています。今回の本を書くにあたり、取材を進めていて初めて知った存在です。
残念ながら、保雄は闘病中にここにたどり着くことができませんでした。希少がんや原発不明がんに関しての知識は圧倒的に少ないのが実状です。皆さんの近くでも、こうした情報を必要とする方がこれから出てくるかもしれません。その時に今回書いた本が、あるいはこうしたお話が何らかの形で役に立ってくれればと願っています。
構成/集英社学芸編集部
【参考】
本記事で紹介された、希少がんである、あるいは希少がんの疑いのある患者さんやご家族・医療者が相談できる電話相談窓口「希少がんホットライン」は、以下のリンクよりご確認いただけます。
https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/hotline/index.html
下山達医師が所属する「東京都立駒込病院 希少がんセンター」のホームページは以下となります。
https://www.tmhp.jp/komagome/section/center/kisho_gan_center.html
なお、YouTubeの「国立がん研究センター公式チャンネル」では、難治がん・希少がんをはじめ、様々な種類のがんに関する最新の情報や解説動画が配信されています。
https://www.youtube.com/@NationalCancerCenterJapan
また、希少がんホットライン、原発不明がんについては以下の動画で扱われています。
・国立がん研究センター中央病院患者サポートセンター希少がんホットラインについての紹介
https://youtu.be/dofzV5RdjnM?si=2Tp13yU2Y1mh5cdc
・国立がん研究センター×九州大学「オンライン 希少がん Meet the Expert」
第2回 原発不明がんて、どんな病気? どんな治療があるの?
https://youtu.be/xZ_SmvRV2ZI?si=_cPt5ePE9_7NvnYq

