希少がんならではの色々な困難
東 保雄が罹った原発不明がんを含む希少がんというのは、非常に珍しいがんであるがゆえに、様々な困難があるということも今回初めてわかりました。まず、診断にとても時間がかかる。専門医に出会うことも難しい。また、その珍しいがんについて患者や家族が情報を得る方法がわからない。
保雄が発症したのは約3年前ですが、その頃にインターネットで「原発不明がん」と検索しても、納得できるような情報は見つかりませんでした。いまは割と出てくるようになりましたけど、説明している方が希少がんの専門家ではないことも多く、本当にこの情報を信頼して大丈夫かな、と不安になります。
そして、専門病院やセカンドオピニオンを受ける先がわからない。というのも、保雄の場合も最初に入院した病院では3ヶ月間も診断がつきませんでした。そんな状況なので、セカンドオピニオンを受けるのはさらに困難でした。一縷の望みを託して、先端医療がどこで行われているのか調べようとしても、それもわからない。実際は、先端医療をおこなっている病院はあるのですよね?
下山 そうですね。様々ながんで臨床試験は行われているんですが、リアルタイムにどの試験がどの病院で行われているかは、我々自身もなかなか把握しきれていません。とにかく情報の伝達が不十分なんです。
東 希少がんの新薬開発は、いまどのような状況なのでしょうか。
下山 希少がんならではの困難があります。患者さんの絶対数が少ないのが最大の問題です。薬の開発を行う際には、通常は数百人から千人ぐらいの規模の患者さんを対象に、薬を使った場合と使わなかった場合を比較する臨床試験を実施して、統計的にどちらが優れているかという解析研究を大規模に行います。
しかし、希少がんの場合は患者さんが少ないので、それができないんです。薬の開発がなかなか進まない。そこで2021年、新薬開発のルールが変わりました。15年ぶりのルール改訂です。希少がんに関しては、大規模な臨床試験をやらなくて良いですよ、数十人といった規模で新しい薬を試してみましょう、ということになりました。
その新薬によって、たとえば30%の人が良くなったとします。では、その30%というのが果たして良い数字なのか悪い数字なのか。大規模な比較が困難な時は、昔のデータと比較します。もともとこの病気では長生きできる人は10%しかいないとわかれば、30%の方が長生きできる新薬の効果は大きい。統計的な根拠は不十分だけれど、希少がんの場合は昔のデータとの比較によって薬を承認する、という方向でルールが柔軟に変わったんです。これはとても大きな変化です。
これによって製薬企業も新薬の開発がしやすくなり、医者の研究も進みますので、色々なものが動き始めました。
国家主導での大規模なプロジェクト
東 国も希少がんに力を入れています。いま「MASTER KEYプロジェクト」という非常に大きなプロジェクトが動いていますね。
下山 先ほど、希少がんでは新薬の承認にあたって、過去のデータとの比較で判断できるようになったと説明しました。しかし、希少がんに関してはデータ登録も十分に行われていないわけです。
データ登録は非常に手間がかかるので、ちゃんと人を雇う必要があります。しかし、希少がんのために人を雇うというのは現実的に難しいことでした。そのため国がお金を出して支援していこう、という動きが2017年に始まりました。これが「MASTER KEYプロジェクト」です。患者さんも参加し、がんの研究施設と製薬企業が新薬開発のために協力している国家プロジェクトです。
私が所属する駒込病院も2024年から参加しています。このプロジェクトでは、たとえば今回の保雄さんの原発不明がんも、いつ診断され、どのような経過だったのかをデータ化させていただくわけです。そうすると新薬が出てきた時に、保雄さんの経過よりも成績が上回っていたら、それによって薬が承認されるようになります。
今までの利益中心だった治療開発ではできなかったことも可能になっています。ひとつ例を挙げると、最近では「リヒター症候群」のケースがあります。
東 リヒター症候群とはどんなものでしょうか?
下山 白血病の一種である「慢性リンパ性白血病」という、もともと希少ながんがあります。そのがんに稀に変化が起きて、リヒター症候群と呼ばれる、慢性のがんが急性化した、進行が早く予後の悪いタイプが生まれることがあります。希少×希少という、滅多に診ることがない病気です。
これも希少がんのひとつで、駒込病院がMASTER KEYプロジェクトに参加したことで、製薬企業が注目して、新薬開発の臨床試験を実施できるようになったんです。ところが、この病気の患者さんは日本中で年間10人程度と言われています。この治験の情報をどうやって患者さんに届けるのかが課題になってきます。医者のネットワークだけでは困難です。
東 この病気には抗がん剤は効くのでしょうか。
下山 ほぼ効かないと言われています。効いたとしても一時的で、治らないとされます。駒込病院は血液腫瘍の拠点病院として全国トップレベルの患者数を診ていますが、ここ数年でも1人の患者さんしか診ていません。
東 それぐらい珍しい病気なんですね。
下山 各病院の希少がんセンターなどは、「うちの病院でこういう臨床試験をやっていますよ」という情報を発信しています。しかし、その際に製薬企業の力を借りることはできません。コンプライアンスの問題がありますし、製薬企業の力を借りると、患者さんにもあまり信用してもらえません。
かつては患者さんは、医者の紹介で病院を選ぶケースがほとんどであったと思います。しかし、最近では患者さんが自ら情報を調べて病院を選ぶ場合が、少しずつですが増えてきました。病気についての情報をYouTubeなど流すと、少ないながらもそれを見て来てくださる患者さんが増えているように感じます。
でも、医療の現場はみんな疲弊してしまっているので、そういった情報発信をボランティアに頼る形は難しい。そうでない良い方法はないのか、というのがひとつひとつの希少がんセンターの課題になっています。
東 今までは医療側が情報を発信してきましたが、それではまったく間に合わなくなっている。患者側から情報を求めていかなければいけない時代なんですね。
先生が仰ったことは、ここ10年ぐらいでようやく起こってきた変化で、これから皆さんに知ってもらわなければいけないことですよね。
下山 そうですね。希少がんの状況については、がんを診る医者全員が知っている話でもありません。医療者に対してもうまく情報を発信していかなければならないのですが、日々、多くの患者さんに向き合っている医者は忙しくて、なかなか発信に力を入れられない状況にあります。今回この記事で希少がんの状況をお伝えする機会をいただき、大変有り難く思っています。
構成/集英社学芸編集部

