牛丼チェーン「すき家」などを手がけるゼンショーホールディングスの創業者、小川賢太郎さん(享年・77)が4月6日に心筋梗塞のために死去した。ゼンショーは2025年3月期に国内外食企業として初めて売上高1兆円を突破した。時価総額も2026年には1兆円を超えたと報じられている。
「すき家」は熾烈な牛丼戦争に勝ち抜き、牛丼業界のみならず外食トップに上り詰めた。その成長を支えていたもののひとつに、資本主義社会で飢餓と貧困をなくすという小川さんの強烈な理念がある。
〈社会主義〉から〈資本主義〉に傾倒した異色の経歴
小川さんは1968年に東京大学に入学した。学生が東京大学本郷キャンパスの安田講堂を占拠し、翌年に警察の機動隊が封鎖解除を行なった東大安田講堂事件の真っ只中での入学である。
このころ中国では文化大革命、フランスではパリ五月革命が起こっていた。世界中で革命が叫ばれていた時期であり、小川さんも積極的に学生運動へと参加していった。
当時の学生運動は社会主義革命と密接に絡み合っており、資本主義体制を倒して階級のない理想的な国家運営を理想としていた。しかし、小川さんは革命を成し遂げることができずに大学を中退。厳しい労働条件の道を自ら選び、港湾労働者となった。マルクス主義における労働者の組織化を目論んでいたと言われている。
1975年にベトナム戦争が終結し、社会主義革命は一つの区切りを迎えた。小川さんは社会主義で飢餓と貧困をなくすことはできないと感じ、資本主義へと傾倒していく。中小企業診断士となり、1978年に吉野家に入社した。
しかし、吉野家は120億円の負債を抱えて1980年に倒産(会社更生法を申請)。小川さんは1982年に「すき家」を展開するゼンショーを立ち上げた。創業当時から「世界から飢餓と貧困を撲滅する」というビジョンを掲げ、事業の発展に邁進することとなった。
理念が切り開いた常識外れの店舗展開
創業当時、「吉野家」のような牛丼店はカウンターのみの店が一般的だった。これは牛丼がファストフードであり、いわゆるガテン系の男性労働者が素早く食べて立ち去ることを想定したものだからだ。しかし、「すき家」はいち早くテーブル席を設け、ファミリー層へとターゲットを広げていった。
テーブル席は店にとって回転率が落ち、オペレーションも煩雑になるため、できれば設置はしたくはないものだ。効率や合理性だけを考えれば、この意思決定は決して行なわない。しかし、飢餓と貧困をなくすという理念に照らせばファミリー層の取り込みは必要不可欠な要素である。テーブル席の導入は小川さんらしい意思決定だ。そしてそれが奏功することとなった。
「すき家」はファミリー層をターゲットに加えたことで、必然的にロードサイド型の店舗網を拡大することになった。後にコロナ禍による巣ごもり特需で、強みを発揮する原動力となったものだ。
また、「すき家」は競合の牛丼チェーンに先駆けて「チーズ牛丼」をメニューに加えた。このような幅広い年齢層にフィットする商品を開発する姿勢は、やがてメニューをバリエーション豊かなものへと塗り替えていった。これがインフレ下の今、ファミリーレストランの価格高騰から零れ落ちた人々の受け皿となったのである。
「すき家」は全国で1969店舗(2025年3月末時点)、「吉野家」が1259店舗、「松屋」は牛丼店の他にとんかつ業態などすべてを含めて1342店舗だ。「すき家」が多くの人々に求められていることは、競合との店舗数の差が物語っている。

