「主体性を育てる授業」の名のもと、現実には子どもたちが置き去りにされていないか。台本通りに進む授業や、形だけの実習が現場で行なわれる中、不登校の増加は続いている。教育委員会と子どもの認識のズレから、教育の本質を見つめ直す。
新刊『足型をはめられた子どもたち』より一部抜粋・再構成してお届けする。
実態は教師の作った台本を読み上げるだけ
四国で飛び込み授業をたびたびやらせていただくなかで、県教育委員会の「極端な学力テ
スト重視」という方針が、県内の小学校に伝播していくという様子を目にしました。
そこで複数の学校で行われていた授業形態が、「セルフ授業」です。
何が「セルフ」なのかと言うと、子どもたちが教師に代わって授業を行うことを指します。ただこれは、あらかじめ黒板やホワイトボードに、授業の内容をすべて書いておき、子どもたちがこれに沿って、台本を読むように授業を進めるというもの。
この授業方式については、「教師の一方通行型授業や一問一答型授業ではない」といったメリットが紹介されているようです。しかし、子どもたちが結論まで書いてあるボードを読み上げるだけの授業を見るに、私はこれもまた「学力テストの弊害」のように見えました。
私がこれを目にしたのは、ある小学校で県内外の教師たちも参加しての研究発表会でした。勉強仲間の先生から「授業の県版スタンダードを開発したという校長先生がいる学校があるから見てみませんか」と声をかけられました。
その学校は近隣でも「学力が高い」と評判で、この日も多くの教師や教育関係者がその研究会に訪れていたのでした。キャパシティを考慮して、授業は体育館でも行われました。ところが会場で私は、授業開始前に一瞬錯覚してしまいました。
「もう授業は終わったのかな」と。違いました。授業の内容が最初から板書にすべて書かれていたので、錯覚したのです。先生が最初から台本を作っていて、それを子どもたちが読んでいきます。
「はい、みんなで教科書のここを読みましょう」
「ではこの部分は3人で」
「次はそれぞれひとりで調べてみましょう。時間は3分です」
ちょっと流れに外れることを言うと、子どもたち同士で指摘が始まります。
「そんなこと書いてないから言ってはダメですよ」
担任の先生は参観者の後ろにいます。セリフを読むだけの授業が終わった後、校長先生は「担任は何もしていません」といった様子で胸を張っていました。
「これこそが教室でちゃんと教科を教えることであり、さらに子どもたちが自ら学んでいるものです」と。子どもを型にはめようとする授業の典型でした。順序が決まっていて、発言が決まっていて、それに沿って行うことが絶対的に正しい、という。
PTA総会で飛び交った怒号
この形式の授業をずっと続けていれば、先生だって面白くないはずです。面白くなさそうな先生を見た子どもたちも面白くないもの。参観者としても、見ていて疲れました。しかも、その日の研究授業は、3コマとも同じかたちでした。同じ授業の進め方をどこの小学校でも、どの先生でも同じに、金太郎のごとく作っていく、という教育方針です。それも、子どもたちが理解しているのかどうかにまったく想像が及んでいないように思えました。
この学校の「セルフ授業」の形式は、もともと保護者の方々にとっても好ましくないと映るようで、ある年のPTA総会では「あれは誰のためにやっているのか?」「学校のためか? 先生たちのためか? 子どもたちのためになっていないではないか!」と怒号が飛び交ったこともあるようです。
それでも、この学校のテストの点数は高いのです。山間にあるこの小学校は「一小一中」といって、自治体に小学校と中学校がひとつしかありません。それゆえ学校側も手が回りやすいのか、町の名前を掲げた〝公営学習塾〟を導入しています。学力アップをまず学級での学びを通じて目指す、というよりは放課後の〝塾〟などで勉強している。そういう構造なのでしょう。
私は参観後、小学校に隣接する中学校に行きました。学校側からは「3年生の飛び込み授業をお願いします」と依頼されたのです。私は本来、小学校高学年が専門ですから、中学校だと年齢の若い1年生や2年生の教室に行くイメージもあったのですが、なぜか3年生をやってほしいと言われました。
そこで校長先生にわけを尋ねると、
「小学校のほうは、もう5年生や6年生が毎年(学級)崩壊していて……中学の1、2年生は〝リハビリ〟の時期なんですよ」
外部の人には見せたくないという意味です。
私には、セルフ授業のような型にはめる教育に子どもたちが反発し、それを中学で抑えようとしてまた反発が起きているように見えました。この状況は学校現場での不適切な子どもへの指導の結果であり、これも明らかに教育虐待に当たるのではないかと思います。

