効果の法則を超える「混沌の淵」という生存戦略

ここまでで分かってきたのは、ハトには”お気に入り”が存在すること、そしてハトは決してその”お気に入り”だけに固執しないことです。
しかし、なぜハトたちは確実にエサがもらえる行動を繰り返すだけでは満足しないのかは、十分には説明されていませんでした。
そこで研究チームが持ち出したのが、複雑性理論の第一人者スチュアート・カウフマンが提唱した「混沌の淵(edge of chaos)」という概念です。
これは、生物システムが進化のプロセスで自然と引き寄せられる状態を指します。
完全に秩序立ってもいないし、完全にカオスでもない。構造を保ちながら、適応と成長のために揺れ動ける絶妙なバランス地点のことです。
ハトたちの行動は、まさにこの「淵」に位置していたと研究者は考えています。
秩序側:好きな順番を持ち、それを頻繁に使う(=効果の法則)
混沌側:にもかかわらず、別の手順も常に試し続ける(=探索的性向)
この2つが1羽の中で同時に動いているのです。
ワッサーマン教授は「何かが、鳥たちの反応が完全に機械のようになるのを防いでいるのです」と言います。
つまり、ハトたちは”バグ”で違う順番を試していたのではなく、生き残りのために結果として柔軟性を保っていたと考えられるのです。
環境は変わる。エサの場所は変わる。
今日のラクな道が、明日も最適とは限らない。
ならば、いつもちょっとだけ違うことを試しておくほうが、長期的には安全――そんな”保険”のような機構が、脳に組み込まれているのかもしれません。
注目すべきなのは、この性質がハトだけのものではなさそうだという点です。
次のページでは、いよいよこの「混沌の淵」が、人間のどんな能力とつながっているのかを探っていきます。
音楽も絵画も発明も――「恵まれた食料➔カオス➔創造性」の流れによるかもしれない

今回の研究について研究共著者で大学院3年生のオデュッセウス・オア氏は、実に興味深い問いを投げかけています。
「楽器演奏、作曲、視覚芸術の制作といった、より複雑で革新的な行動にも、同様の適応的変異が関わっているのだろうか?」
つまり、モーツアルトが奏で、ピカソが描き、エジソンが発明した根本の力は、ハトが「今日はちょっと違う順番でつついてみよう」と思う心理と同じ生物学的ルーツを持っているのではないか――という仮説です。
もしこれが正しければ、衝撃的な帰結が導かれます。
私たちが「創造性」と呼んでいるものは、天才だけが持つ神秘的な才能ではなく、ハトですら持っている”機械化を拒む性質”の人間版にすぎないのかもしれないのです。
人間の歴史を紐解くと「農耕が始まり身分制度ができると、一部の豊かな人々の中から創造性を発揮させる人が出てくる」という話を聞いたことがあるでしょう。
もしかしたら「恵まれた環境➔カオス➔創造性」という連鎖が創造性を支えているのかもしれません。
もっとも現段階で、ハトの脳内で具体的にどのようなメカニズムがこの変動を生み出しているのか、そして個体差は何に由来するのか――これらはまだ解明されていません。
それでも芸術家が「同じ技法を繰り返すことに耐えられない」と言うとき、それは気取った芸術家論というより、生物学的にはハトと同じ混沌の淵に留まろうとする本能が発動している、という解釈には大きな魅力があります。
もしあなたが、毎日の通勤路でつい違う道を選んでしまったり、同じレシピをアレンジしないと気が済まなかったり、決まったルーチンに飽きが来たりするなら――それは単なる気まぐれではなく、あなたの脳が「混沌の淵」で最適化を続けているサインなのかもしれません。
元論文
Variability, stability, and the law of effect.
https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/xan0000427
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

