18万人を蹴散らし、西武スタジアムを制した丙午の歌姫――渡辺美里が還暦で再び時代に風穴を開ける
【丙午女の履歴書9】
2026年は、昭和41年生まれの「丙午(ひのえうま)」の女性たちが一斉に還暦を迎える。
この年生まれの女性には「気性が激しく、夫を圧倒する」という迷信が付きまとい、60年前も出生率が25%も激減したという逸話がある。
だが、この「不遇の年」に生を受けた女性たちの多くは迷信などどこ吹く風。その猛々しいほどのバイタリティーで、停滞する日本社会に風穴を開けてきた。そのうちの1人が"スタジアムの女王"とも呼ばれた歌手の渡辺美里だ。
18万人のオーディションで放った衝撃の一言
彼女の伝説は、1984年に幕を開けた。集英社が主催した『ミス・セブンティーン・コンテスト』。応募総数は、日本のオーディション史上類を見ない18万325人という天文学的数字だった。
会場を埋め尽くした少女たちが、憧れの松田聖子や中森明菜のような「可憐なアイドル」を目指して微笑む中、当時高校生だった美里だけは異彩を放っていた。
審査員からの「好きなアーティストは?」という問いに対し、彼女が放った言葉は、その場を凍り付かせた。
「セックス・ピストルズです」
パンクロックの代名詞とも取れるバンド名を即答した少女の眼差しには、周囲に迎合しない「丙午娘」特有の強固な意志が宿っていた。この一言こそが、その後の「ロックな歌姫」としての運命を決定づけたと言っても過言ではない。
『My Revolution』から始まった疾風怒濤の時代
デビュー後の躍進は、まさに疾風怒濤だった。1986年、小室哲哉が作曲した『My Revolution』がミリオンセラーを記録。当時の若者たちは、彼女の突き抜けるようなハイトーンボイスに、自分たちの「青春」を重ね合わせた。
そして同年、女性ソロ歌手としては前代未聞だった西武スタジアム(現ベルーナドーム)公演をスタートさせる。以来、2005年まで20年連続で開催された夏のスタジアムライブは、もはや単なるコンサートではなく、彼女とファンが「それぞれの人生」を確認し合う聖域となった。
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