野馬追とモンゴルのナーダムの共通点
──星野さんが出会った浪江町の平本家の人たちも野馬追に熱い思いを持っていますよね。それも「政治の与党野党で言ったら、野党」と自任していて、反主流的なポジション。地縁、血縁以外の人たちも受け入れているところがまた現代的で、伝統文化に関わる人々のイメージを変えてくれます。
そういう人たちだから私のことも受け入れてくれたんですよね。初めて見た騎馬行列の後で、誰に声をかけようかと思っていたときに、馬上にいる乗り手の女の子がすごく魅力的でした。その女の子、高校生の今野愛菜(あいな)さんは凜としていて素敵だったんですけど、馬の引き手を務めていたお父さんの潤一さんは柔らかい人で、「一緒に来る?」って。その一言を待ってました、みたいな。
──それが星野さんの……。
中国や香港で培った「人のお世話になる能力」(笑)。中国と香港でも、子犬のように困った顔をして、「誰か助けて」みたいな顔していると、何か一言声をかけてくれるんですよ。そうしたら「ありがとうございます」と言って素直についていく。そんな力が野馬追でも効果を発揮しました。
──星野さんは野馬追を見て、『馬の惑星』でお書きになっていたモンゴルの祭典、ナーダムとの共通点を感じたとお書きになっていますね。ナーダムはモンゴル相撲、弓射、競馬の三競技があって、もとはチンギス・ハーンが考えた軍事教練だったと。
そうですね。ナーダムをもし見ていなかったら、いくら野馬追が、相馬藩が考えた神事の形を借りた軍事演習の一環だったと言われても、「へえー、そうなんだ」で終わっていたと思います。ナーダムと発想が同じじゃん! という発見がすごく嬉しかったですね。
その後、『馬の惑星』にも出てくるノマド・ゲームズをトルコで見たんですが、それも発想が同じなんですよ。馬と弓とレスリング系の三つで構成されていて、騎馬民族はこうしてしょっちゅう訓練していないとだめなんだなとよくわかりました。
野馬追には弓とレスリングはありませんが、発想はまったく同じ。馬は乗り続けないと人を乗せられなくなってしまうし、常に準備を怠らず、全世代の人が参加できるように、お祭りという形を借りて軍事演習を続けてきたんだなと。中央アジア、モンゴル、相馬、みんな同じこと考えるんだというのがすごく面白いと思いました。
「速さ」より「きれいさ」を競う琉球競馬の魅力
──『野馬追で会いましょう』には日本の馬と人間の関わりが書かれています。日本在来の馬と人間の関係が、明治の近代化以降、大きく変わる。軍用馬として大きく、強く、速くが求められ、洋種馬が主流になっていった。
それで在来の馬が駆逐されてしまったんです。しかも消えたのはせいぜい戦後かなと思っていたら、百年前の時点でほぼいなくなっていたと知ってすごくショックでした。いまも日本の馬産業は競馬を中心に回っていますが、洋種馬のサラブレッドは、一般的な日本人の身体に合っていないんです。モンゴルやキルギスに行って馬を見ると「ああ、ここの土地の馬だな」と思います。その土地に住んでいる人と馬のサイズがぴったりなんですよ。
日本で馬に乗ろうと思ったら、乗馬クラブで元競走馬を再び調教しておとなしくなった馬に乗ることになるんですけど、それは本当は、おかしなことなんですよね。競走馬は生まれてからずっと速く走れと教わってきたのに、第二の人生では絶対に驚くな、速く走るなと教えられるわけだから。それができない馬は乗馬クラブに入ることができても、人を乗せられない危険な馬という烙印を押されてしまいます。考えてみるとすごく身勝手な話なんです。
──『野馬追で会いましょう』を読んでいると、そんな馬をめぐるこの国の現実もいろいろと見えてきます。
在来馬が残っているところもあります。先日、沖縄に琉球競馬を見に行きました。主に沖縄の在来馬が二頭で直線を走り、走り方のきれいさを競う競馬です。
──「速さ」ではなく「きれいさ」なんですか。
そうなんです。それがすごくよかった。しかも速く走ってしまったら負けなんですよ。沖縄の動物園の広場で、傾斜がついている芝生を行って戻ってくるんですが、下りになると馬は勢いよく駆けたくなっちゃう。「駆けちゃ駄目、駆けちゃ駄目」ってみんなが見守っている中で、やっぱり思い切り走ってしまう馬がいる。司会も「ああー、残念、走っちゃった」(笑)。
──面白いですね(笑)。
面白いんですよ。だけど、この子が走りたいなら走らせてあげようという人もいて、勝ち負けにあんまりこだわらないところもあるみたいです。馬に無理なことをさせているわけでもなく、すごくいい競馬だなと思いました。
──沖縄の在来馬は何に使われているんですか。
沖縄本島や石垣島、久米島などに牧場があって、馬に乗って集落を歩くとか、馬に乗って山を登ってグスク(城塞・遺跡)に行くとかということを地道にやり続けてきたんです。日本には現存している在来馬が八種類いますが、とくに頑張っているのが与那国馬です。もともと与那国の崖の上の草原などで暮らしていた馬たちなんですけど、四十年ぐらい前に何とか与那国馬を再生させようとがんばった人たちがいて、賛同した馬好きが日本全国からやって来たんです。その人たちがあちこちに散らばって牧場を始めて、少しずつ少しずつ与那国馬が増えていきました。その馬たちが集結して競うのが一年に一回の琉球競馬です。
琉球競馬の二日前に久米島でちょっと乗らせていただいたんですけど、与那国馬と洋種馬とのあいだに生まれた子だったんですね。金髪の馬だったので、この子はどういう経緯で生まれたんですかと聞いたら、馬を放牧していたとき、メスの与那国馬が風来坊の洋種馬に恋をして、仔馬が生まれてからそれが分かったと。こういうのんびりした環境は、サラブレッドでは考えられないですね。
──『野馬追で会いましょう』は国内の話ですが、『馬の惑星』方面の海外取材もまだまだありますよね。
そうですね。『馬の惑星』を出版した後に中央アジアに行ったんですが、キルギスもカザフスタンもよかったです。ユーラシア大陸では大昔から馬で移動し戦争をし、文化交流をしてきました。トルコに行ったときに、カルスというアルメニアとの国境に近い町で城壁に登ったら、ここはモンゴルにやられて陥落したと知りました。城壁から下の雪原を見ながら、あっちのほうからモンゴル軍が押し寄せて来たんだと。海に囲まれた日本と違って、目に見える国境線がないというのはすさまじいと思いましたね。
──星野さんの本を読んでいると、空間の横移動プラス時間を縦移動して歴史が見えてきます。一粒で二度、三度おいしいみたいなところが楽しみです。
最初はそんなことは自分も意識してなくて、どうせそんなに人生も長くないし、これからどこかに行くなら、できるだけ馬のいるところに行きたいな、くらいの軽い気持ちだったんです。ただ、現代人は車や電車に乗り慣れているので、馬に乗るという行為自体で、タイムスリップできてしまうことに気づきました。昔の人はこうやって移動していたのか、こうやって峠を越えていたのか、こういう景色を見ていたのかというのを、必然的に体で感じる。そうすると、昔の人の気持ちに近づける。そのことに途中で気がついて、〝馬効果〟ってすごいなと思いました。
以前、『コンニャク屋漂流記』で自分のルーツのことを書いていたときに、徳川家康がいた時代や島原の乱はついこの間だな、という感覚に陥り始めたことがあるんですけど、同じように馬に乗ると、さらに数世紀前まで─十二世紀、十三世紀にまで、どんどん遡れるんです。
──馬をめぐるシリーズはまだまだ続きそうですね。
続いていきますね。これからも馬を追いかけて、いろんなところに行くと思います。

