なぜ腹筋で脳が「洗われる」のか?

さて、ここまでで「腹筋が脳を動かす」までは分かりました。
腹筋による圧力が、脳脊髄液の流れを生みうることも示唆されました。
でも洗浄液が出入りするだけで話は終わりでしょうか?
脳は食器洗い機のように洗浄液を吹きかければ洗える皿とは全く異なる非常に複雑な構造をしています。
ヒントは、共同研究者であるコスタンツォ教授が教えてくれました。
教授はシミュレーションで、脳を「スポンジ」にたとえました。
柔らかい骨組みの中に、たっぷりと体液を含んでいる構造ですから、スポンジに似ているのも納得です。
そして「汚れたスポンジは、どうやって洗いますか? 水道の下に持っていって、ギュッと絞るでしょう?」と言います。
シミュレーションによると、腹筋が縮んで脳がわずかに押されると、脳というスポンジが軽く絞られ、内部にたまった体液(と、それに溶け込んだ老廃物)が脳を包む膜の隙間(クモ膜下腔)へ押し出されると予測されました。
腹筋がゆるむと脳は元に戻り、その戻る過程でも液体の動きが起こりうると考えられます。
つまり動くたびに、私たちの脳は「ギュッ、ふわっ」と優しく絞られていた、というわけです。
しかも興味深いのは、シミュレーション上では、起きているときの流れの向きが、睡眠中とは逆でした。
睡眠中は外から内へ液体が染み込む形でゴミを集め、起きているときは内から外へ絞り出す。寝ているときは「水に浸す工程」、起きているときは「絞る工程」を担当している、と考えるとイメージが掴みやすいかもしれません。
ドリュー教授は「ほんの少し体を動かすだけでいい。歩くこと、お腹に力を入れること──それだけで脳の健康に大きな違いが生まれる可能性がある」と語っています。
研究チームはさらに論文の中で、肥満で腹圧が乱れることや、排便で腹圧がスッと抜けることが認知機能に影響している可能性まで議論しています。
つまり「運動は脳にいい」理由には、血流が増えることや、神経を成長させる物質が出ることだけでなく、もう一つあったのかもしれません。腹筋がいわば脳をそっと絞って洗っていた可能性が浮上したのです。
ジムで激しく追い込まなくても、立ち上がる、歩く、お腹で深く息をする──その地味で何気ない動きの一つひとつが、私たちの頭の中でも、脳をそっと洗濯してくれているのかもしれません。
もちろん本研究はマウスを使った発見です。
ヒトにも椎骨静脈叢は古くから知られていますが、今回示された一連の連鎖がヒトの日常動作でどの程度の洗浄効果を持つかは、これからの研究課題です。
ただ研究者たちはヒトのほうが脳が大きいため、洗浄効果も大きくなる可能性があると考えているようです。
もしかしたらそう遠くない未来の認知症予防の教本には「腹筋で脳を洗って元気にしよう」という項目があるかもしれません。
参考文献
Hydraulic brain: Body motion linked to fluid movement in the brain
https://www.psu.edu/news/research/story/hydraulic-brain-body-motion-linked-fluid-movement-brain
元論文
Brain motion is driven by mechanical coupling with the abdomen
https://doi.org/10.1038/s41593-026-02279-z
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

