2026年に77歳を迎えるビリー・ジョエル。『オネスティ』や『ピアノ・マン』など数々の名曲で世界を魅了し、日本でも長く愛されてきた存在だ。そんな彼の名曲の一つ『素顔のままで』にはロックにこだわり続けた彼の葛藤と決断があったという。一体何があったのか。
ビートルズとの出会いが変えた人生
1949年5月9日にニューヨークのブロンクスで生まれたビリー・ジョエルは、ピアニストでもあったドイツ系ユダヤ人の父親の影響から、4歳でピアノを習い始めた。
最初はクラシック音楽を学んでいたが、1964年の初頭に出会ったビートルズに大きな衝撃を受けた。
全米中継されたテレビの「エド・サリヴァン・ショー」を観て圧倒されたビリーは、将来はビートルズのようなロック・ミュージシャンになることを決意する。特にジョン・レノンには感じるものがあった。
地元のロック・バンドに加わったビリーは、バンドマン生活を続ける中で2つのグループを経て、自身のソロも含めて3枚のアルバムをリリースした。
だが、信じられないような不運やトラブルが続いて、まるで日の目を見ることが出来ず、ニューヨークからロサンゼルスへと活動拠点を移した。
ビートルズの音楽に出会ってから10年。1973年にソロとしてのセカンド・アルバム『ピアノ・マン』を作ったビリーは、長かった下積み期間を抜け出してやっと世間に認められる。
バーやラウンジでピアノを弾いて食いつないでいた時代の経験を歌った『ピアノ・マン』は、大きなヒットではなかったが、次第に支持者が増えて、その言葉はビリーの代名詞となっていく。
それからサード・アルバム『ストリートライフ・セレナーデ』を制作してコンサートツアーを行なったものの、思ったほどの反響を得られなかった。
『ニューヨーク物語』の挫折とプロデューサー問題
ビリーは心機一転、ニューヨークに帰って勝負作『ニューヨーク物語』を完成させる。
しかし、ロック評論家には受けが悪く、『さよならハリウッド』『ニューヨークの想い』など、いい曲が揃っていたにもかかわらずセールスは低迷。全米アルバムチャートで122位と振るわなかった。
そんな時、落胆していたビリーに大きな励ましをもたらしたのは、シンガーで女優のバーブラ・ストライサンドである。彼女がカバーした『ニューヨークの想い』が収録されたアルバムが批評家たちから評価されたのだ。
しばらくするとソングライターのビリーには多額の印税が入ってきた。次のアルバムこそが本当の勝負だと、妻でマネージャーのエリザベスと相談したビリーは、超一流でビートルズのプロデューサーだった、憧れのジョージ・マーティンに依頼することにした。
ビリーに関心を示したマーティンは、招待されたコンサートに来てくれた。ところが交渉は途中で決裂してしまう。
一緒にツアーを回っていたバンドと一緒にレコーディングしたいというビリーに、マーティンが難色を示したのである。
ドラムのピート・ベストに難色を示したマーティンのおかげで、リンゴ・スターがメンバーに加わったビートルズは驚異的な成功を収めた。だがこの時、ビリーは仲間たちと音楽を作る方針を譲らなかった。
マネージャーとしてすぐに対策を講じたエリザベスは、ポール・サイモンやフィービー・スノウ、バーブラ・ストライサンドなどのプロデューサー、フィル・ラモーンとビリーを会わせるようにセットする。
そしてここから、それまでの苦労が吹き飛ぶビリーの快進撃が始まるのである。

