2083年、最後のメスが死ぬ日

「メスの数が減れば、個体数全体が減少して、過剰なオスも減り、やがてはバランスがもどるのでは?」と思う人もいるでしょう。
メスが減って島全体の個体数も減れば、メスを攻撃するオスも減り、メスの死亡も減るというのは一見して理にかなっています。
しかしそういった「やさしい」調節能力は常に働いてくれるわけではありません。
生態学で「絶滅の渦」と呼ばれる現象があります。
個体群の減少がさらなる減少を呼ぶ、止められない悪循環のことです。
ゴレム・グラード島では、まさにこの渦が回り始めています。
メスが減ると、残ったメスに集中するオスの数が増えます。
圧力が増すとメスの栄養状態などの健康度はさらに悪化し、繁殖力も落ちます。
島の高原のメスの平均産卵数は2.5個と、本土の対照集団の6.0個の半分以下。
メスの年間生存率も、本土の対照集団の0.94に対して島では0.89と明らかに低い値でした。
さらに研究チームは、英国の研究者と共同で血液から個体の年齢を推定する新しい技術を開発しています。
これを用いて改めて調べたところ、島の最高齢のオスが60歳を超えていたのに対し、最高齢のメスはわずか35歳でした。
本来この種では、十分に生きればメスのほうがオスより大きくなるはずですが、島ではそうなる前にメスが失われている可能性があります。
ヘルマンリクガメのメスが成熟するまでには約10〜15年かかるため、回復は極めてゆっくりです。
しかもメスを見つけられないオスたちは、まだ未成熟の若いメスにまで交尾を試みるようになり、次世代すら脅かしています。
研究チームの過去の論文では、あまりにメスが不足した結果、島のオスたちが他のオス、死骸、果ては石にまで交尾を試みる行動も観察されており、研究者たちはこれを「刑務所効果」と名付けています。
メスが死ぬ速度があまりに早すぎて、次世代のメスの補充が追い付いていない形と言えます。
こうして「メスが減る → オスの圧力が増す → メスがさらに減る」という歯止めの効かない螺旋が加速し続けているのです。
研究チームが現在の生存率と繁殖率をもとに行った1,000回のシミュレーションでは、島の最後のメスが2083年に死亡すると予測されています。
メスがいなくなった後も、80年以上生きるオスたちはしばらく島に残ります。
しかし繁殖は不可能であり、やがてこの個体群は完全に消滅します。
事態は確実に進行しています。
研究チームの最新の報告によれば、調査で確認される成体メスの数は、2009年の45匹から、2024年には20匹、2025年にはわずか15匹にまで減少しました。
もし回復傾向にあるなら、調査でみつかるメスの数も増えるはずですが、悪化の一途をたどっていたのです。
動物の個体群が絶滅に向かうのは、通常、天敵に食べられすぎたり、住む場所を奪われたりといった「外からの脅威」がある場合です。
天敵もおらず、環境も良好で、数も多い集団がわざわざ自滅するなど、ふつうは考えられません。
「自分たちの行動だけで自滅しうる」という理論自体は、2005年にフランスの研究チームがトカゲの飼育実験で示していました。
しかしそれはあくまで実験室の中の話で、自然界では一度も確認されたことがなかったのです。
ゴレム・グラード島は、その「実験室の中だけの話」が現実に起きていることを示した、初めての事例です。
楽園は地獄の一丁目なのか?

著者らは、性比の偏りの起源が確率的な偶然であれ人為的なものであれ、いったん偏りが生じた後に「自己修正が効かなかった」ことこそが本質的な問題だと指摘しています。
興味深いことに、島で見つかった古い個体のうち122匹は、甲羅にアラビア数字が彫り込まれていました。
これは既知のどのカメ標識法とも一致せず、研究チームは「過去に人間が島にカメを持ち込んだ可能性があり、その時点ですでに性比が偏っていたのかもしれない」と推測しています。
確たる証拠はまだありませんが、島の悲劇の出発点には人間の手が関わっていた可能性が浮かび上がっているのです。
通常の野生環境では、オスが過密になれば、一部のオスがより良い交尾機会を求めて別の場所に移動し、メスへの圧力は自然に和らぎます。
メスも身を隠したり、優位なオスの保護を求めたりして、過度な攻撃を回避できます。
ゾウアザラシやヒキガエルなど、強制的な交尾システムを持つ他の種でも、こうした調節メカニズムが働くことで、性的対立は致命的なレベルにまでは達しません。
しかしゴレム・グラード島では、これらの安全装置がことごとく無効化されていました。
泳げないリクガメは島から出られません。
東京ドーム4個分の高原は、700匹以上のオスから隠れるには狭すぎます。
メスが逃げる先は限られ、ときに崖の縁が危険な逃げ道になります。
著者たちはさらに、島のメスが身体的に追い込まれているだけでなく、行動パターンまで変質している点を指摘しています。
興味深いのは、研究チームが過去に「島のリクガメは本土のものより段差や崖を恐れず飛び越える」と報告しており、これは長らく「険しい地形への適応」と解釈されていたことです。
しかし今回の研究で、この『勇敢さ』が実はオスからの逃避による行動変質だった可能性が浮上しました。
「適応」と思われていた行動が、悲劇の兆候だったのかもしれません。
先に触れたように捕獲率のデータでも、島の高原のメスは本土のメスに比べて極端に「見つかりにくく」なっていました。
これはメスが開けた草地で採食や日光浴をする余裕すらなく、常にオスの目を逃れて隠れていることを示唆しています。
結果として、ストレス、傷の治癒、採食機会の喪失が重なり、メスの体調と繁殖力はさらに低下します。
本来、ヘルマンリクガメの仲間ではメスのほうがオスより体格が大きくなります。
島でも成長モデルの上ではそのパターンは維持されていますが、現実には島で最も大きな個体はオスでした。
十分に長く生きればメスのほうが大きくなるはずなのに、そうなる前にメスが死んでいるのです。
皮肉なのは、この悲劇の条件のすべてが、本来なら「良いこと」だったという点です。
天敵がいないこと。
環境が保護されていること。
個体数が多いこと。
これらはすべて、保全の成功を示す指標のはずでした。
しかし実際には天敵のいない環境が個体密度を極限まで高め、泳げないリクガメたちは島に閉じ込められ、閉鎖された空間でオスの攻撃的な求愛行動が集中し、メスの生存率と繁殖力が低下していきました。
さらにメスが減ったことでオスの圧力はさらに増し、性的に成熟していないメスまでも交尾圧にさらされ、生存を脅かされる悪循環が始まってしまいました。
この島の悲劇は『単なるリクガメの野蛮さ』が原因ではないのかもしれません。
むしろ、彼らから『逃げ場』を奪った地形そのものが、本来の繁殖行動を凶器に変えてしまったのです(捕食者がいない=個体密度が極限まで上がる=逃げ場がなくなる)。
「最適化された楽園のような環境」は、しばしば「逃げ場のない地獄」と表裏一体である
楽園の影で絶滅が忍び寄っているという事実は、私たちの「楽園なら大丈夫」という素朴な信念に鋭い疑問を投げかけています。
この危機に対して、マケドニア生態学会はガリチツァ国立公園と共同で国際科学会議の開催を計画し、保全戦略の策定を目指しています。
カメのゆっくりとした生活ペースは、「絶滅の渦」が進行する様子をリアルタイムで観察するという科学史上まれな機会を研究者に与えましたが、同時に、介入のための時間がまだ残されていることも意味しています。
参考文献
Self‑destructive behaviour among Hermann’s tortoises on a Macedonian island is leading to ‘demographic suicide’
https://theconversation.com/self-destructive-behaviour-among-hermanns-tortoises-on-a-macedonian-island-is-leading-to-demographic-suicide-282081
元論文
Sex Ratio Bias Triggers Demographic Suicide in a Dense Tortoise Population
https://doi.org/10.1111/ele.70296
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

