歌手マイケル・ジャクソンの晩年と死は、数々のスキャンダルとともに語られてきた。まだ50歳だったスーパースターが薬の過剰摂取が原因で死に至ったと報道されたのは2009年6月25日。さまざまなゴシップが浮上した彼の人生の中で、善意で始めたはずの子どもたちとの交流や慈善活動は、やがて児童への性的虐待疑惑へと発展し、激しいバッシングを招き、彼の邸宅ネバーランド・ランチは世界中の報道陣の襲来を受けた。マイケルの死は衝撃的で、彼のビバリーヒルズの邸宅やエンシノの実家には多くのファンが聖地を拝むかのように集まり、亡くなった後も、数カ月にわたって花束やメッセージが寄せられていた。先月4月24日、彼の伝記映画『マイケル』は全米3955館で劇場公開。ロッテン・トマトで39%という低支持率で酷評されながらも、記録的な大ヒットが続き、現在、3週目にして世界興収合わせて5億7,740万ドル (日本円で約924億円) 超えで話題になっている。このコラムでは、日本での6月12日公開の前に、マイケルの音楽に改めて感化されるエンタメ映画としての魅力と、伝記映画としての立ち位置をご紹介。
火付け役は『ボヘミアン・ラプソディ』のグラハム・キング
グラハム・キングがプロデュースした作品はマーティン・スコセッシ作品『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)、『デパーティッド』(2006)、『ヒューゴの不思議な発明』(2012) そして、ベン・アフレックが監督した『アルゴ』(2012) などプロダクションの大小にかかわらず、秀作を多く世に出してきた。近年では『ボヘミアン・ラプソディ』(2018) がアカデミー賞4部門を受賞し、主人公を演じた男優ラミー・マレックも主演男優賞を受賞し、一躍人気俳優となった。その年、グラハム・キングのプロダクション、GK フィルムズはすでに、次のブロックバスターを目論んでいた。GK フィルムズがマイケル・ジャクソンの映画化権を獲得し、彼の音楽のオールアクセスを可能にしたとその一報を伝えたのが米Deadline。脚本家は『グラディエイター』(2000)、『007スカイフォール』(2012) ほか、グラハム・キングとは『アヴィエイター』や『ヒューゴ』でコラボしたベテラン脚本家ジョン・ローガン。内容は、彼の生涯を一気に綴る3時間超えの伝記映画となる予定だった。
映画の延期が報じられた一年後の2026年4月、米Varietyがその理由を詳しくリポートした。当初、GKフィルムズは映画を撮影済みで、同年の公開を狙っていたが、マイケル・ジャクソン・エステイトを管理するジャクソンファミリーがプロダクションに対し、児童訴訟裁判合意内容を明らかにしていなかったことが理由で、すでに撮影済みの裁判のシーンやネバーランド家宅捜索の様子などが使えないことが発覚。その訴訟和解の条件の中には、映画化などでマイケル・ジャクソンの伝記を作る際、被害にあった少年の名前を出してはならないだけでなく、その事件の内容すらもドラマ化することを許可しないという規約があった。GKフィルムは仕方なく、すでに撮影済みだった映画の3幕構成のうち、訴訟問題が描かれていた3幕目を全てカット。
映画はバッド・ワールド・ツアー (1987-1989) のマイケル・ジャクソン黄金期で華やかに終わる構成に書きかえ、再撮が決定。ようやくキャストのスケジュールが押さえられた2025年6月の撮影では、22日間の追加撮影を決行。追加費用は1000万~1500万ドル (日本円で約16億~24億円) 近く跳ね上がったそうだが、その追加費用は、ジャクソン・エステート側の過失によるものとして、同側が肩代わりしたと報じられている。映画がヒットした時の分配比率を上乗せすることで両者は同意したそうだ。ジョン・ローガンの当初の脚本の3幕目には、児童虐待で訴えられたマイケルの姿が、不都合な部分を濁しながらも描かれていたという。
新たに完成した映画のパート1は2時間8分。パート2がどのように訴訟内容をとりあげられるかは定かではないが、グラハム・キングはマイケル・ジャクソンの後半のアルバム「デンジャラス」や「インヴィジブル」などのアルバムに焦点を置き、マイケルが憧れたピーターパンの世界観を打ち出したネバーランド・ランチ建設などに焦点が当たりそうだ。
4月22日に行われたハリウッド、TCL・チャイニーズ・シアターのワールドプレミアのあとには、500個のドローンを使った10分間にわたるドローン花火が打ち上げられ、マイケル・ジャクソンへの賛辞が夜空を飾った。現実逃避だから、より切ない物語『マイケル』
ジャネット・ジャクソンのいないジャクソン・ファミリーの伝記映画があっていいのだろうか。ジャネットだけでなくマイケルの弟ランディも登場しないこの映画。米批評家が疑問視した内容はさまざまだが、伝記映画は必ずしも、主人公の全てを語らない。あくまでも映画はフィクションで、作り手の視点によって描かれる人物像は大きく変わる。その前提を踏まえて観るべき作品だ。
確かなのは、エンターテインメント映画を追求するプロデューサー、グラハム・キングの映画製作の手腕。彼が抜擢した監督アントワン・フークワは、映画『トレーニングデイ』(2001) で主演のデンゼル・ワシントンをアカデミー主演男優賞受賞に導いた、アクションの魅力を引き出せるベテラン監督。フークワ監督はマイケル・ジャクソンと直接面識はなかったものの、デンジャラスのアルバムの中の一曲、「リメンバー・ザ・タイム」のミュージック・ビデオの撮影依頼を本人から受け、電話で会話したことがあるそうだ。その当時撮影していた映画とのスケジュールが合わず、依頼を断ったそうで、エディ・マーフィーがエジプトのキングの役で出演しているミュージック・ビデオはジョン・シングルトンが監督した。フークワ監督はある意味、マイケル・ジャクソン自身本人が信頼していた監督である。
今回、グラハム・キングから依頼された際、マイケル・ジャクソンを演じられる俳優がいるのだろうかと半信半疑だったそうだ。しかし、ある写真を見せられ、それがマイケルではなく、彼の甥ジャファー・ジャクソンだったことを明かされて、驚いたのだそう。
主演俳優として抜擢されたジャファー・ジャクソンはマイケルの兄ジャーメイン・ジャクソンの元妻との子供。彼は、両親の離婚で、マイケルの母キャサリンの元で弟とともに育てられた時期があったそうだ。最初は、俳優やシンガーをめざしていたわけではなかったそうだが、彼は米芸能界を渡り歩いた芸能ダイナスティの血筋。屈託のない笑顔で、どこかあどけなさを残すジャファーがいなければ、この映画も成り立たなかったのではと思わせるほど、抜群の魅力がある。
プロデューサーのグラハム・キングはそのルックスにカリスマ性を見抜き、あらゆる特訓で俳優としての技能を習得させて、その可能性を引き出した。ジャファーのルックスはチャーミングで、シャイで人懐っこいところも、どこかマイケルを彷彿させる。しかし、役者として仕上がったものの、実際に人前で演技ができるのかなど確証はなかったと、グラハムはあとで告白している。ジャファーの演技力はフークワ監督もうなずくほどに大役を果たし、映画は大成功。歌に踊りにと、天才的だった叔父マイケル・ジャクソンのパフォーマンスを習得したジャファー・ジャクソン。80年代のマイケル・ジャクソンの歌や踊りに魅了されたMTV世代が震える内容がそこにある。当時、それまで見たことがないほどに斬新だった「スリラー」や「ビート・イット」など、MTVで流れるミュージックビデオに感銘し、映像を何度も繰り返して見たMTV世代にとって、それらの再現されたシーンは、脳裏に残っていた残像を呼び起こすかのようで、胸がジーンと熱くなるに違いない。
さらには、ジャクソン・ファミリー時代の、幼いマイケル・ジャクソンを演じる少年役に抜擢された現在12歳の俳優ジュリアノ・ヴァルディの歌と演技もまた躍動感があって微笑ましい。彼は父方にエクアドル系とラテン系黒人のルーツを持つ俳優だ。演技も歌も愛らしく、厳格な父のもとで萎縮する様子や、シャイで友達の作れない孤独感、クィンシー・ジョーンズに出会い、兄たちとは別の運命を歩き始めるマイケルのシーンもまた感慨深く、作品が現実の暗部から距離を置いているからこそ、その切なさが胸を掻き立てる内容になっている。
