クリトリスの神経は恥丘と包皮を繋いでいる

3次元の神経データをさらにたどっていくと、クリトリス背側神経の一部の枝が、これまで考えられていたよりもずっと遠くの場所まで伸びていたことが判明したのです。
クリトリス背側神経はクリトリスの根本あたりで上方向に分岐し、おなかに近い「恥丘」と呼ばれる丘状の皮膚部分と、クリトリスを覆う「包皮」の皮膚へと届いていました。
横から見ると、神経が逆さまのU字を描いて広がっている形状になっていることがわかるでしょう。
研究者がこれを詳しく見たところ「クリトリスの根元➔上に登って恥骨結合の前で折り返し➔その先で恥丘と包皮の両方に同時に分配される」というルートになっていることがわかりました。
クリトリス背側神経の枝が、亀頭、包皮、恥丘という3つの離れた領域に届いているというのは、重要な発見です。
これは、これまでの解剖学では「クリトリス本体の周囲にある懸垂靭帯のあたりに神経が走っているらしい」とおおまかには知られていたものの、最終的にどこまで届いているのかが正確に描けていなかった部分です。
今回シンクロトロンで追跡することで、神経の終点がはっきりと記録されました。
さらに研究チームは、これまでクリトリスとは別系統だと考えられてきた「後陰唇神経(PLN)」と呼ばれる神経についても、新しい発見をしています。
後陰唇神経は、これまで主に陰唇を支配する神経として知られていました。
ところが今回の3次元画像で追跡すると、この神経もクリトリス本体の外側面まで枝を伸ばしていたのです。
つまりクリトリス領域には、メインの感覚神経である背側神経と、隣の系統である後陰唇神経という二つの異なる神経系が、両方とも届いていたわけです。
これは、これまでの解剖図には描かれていなかった構造でした。
この発見は手術の「危険ゾーン」を書き換える

これら一連の発見は、ただ解剖学者の知的好奇心を満たすだけのものではありません。
現実にいま、この瞬間にも世界中で行われている二種類の医療手技に、直接の影響を持ちうるものなのです。
ひとつは、女性器切除(FGM)からの再建手術です。
FGMとは、宗教的・文化的な理由から女性の外性器の一部を切除する慣習のことで、主にアフリカや中東、アジアの一部地域で行われています。
国連の2024年のデータによれば、世界で2億3000万人以上の女性がこの慣習による切除を経験しています。
FGMには複数のタイプがありますが、最も広く行われているのはクリトリスの亀頭と包皮、あるいは亀頭と小陰唇を切除するタイプです。
被害を受けた女性の中には、後年になって再建手術を受ける方も少なくありません。
しかし長年の追跡データによれば、再建手術を受けた女性のおよそ22%、つまり5人に1人以上が、術後にオルガズム体験の低下を訴えています。
この数字は、神経構造をより正確に理解する必要性を示す重要な背景になります。
神経の正確な地図がなかったため、どこをどう縫合すれば機能が残るのかが、ある程度までは手探りにならざるをえなかったのです。
今回の研究で得られた3D神経マップは、この5人に1人という術後低下率を引き下げる可能性を持っています。
論文の著者たちも、再建技術の精度向上に資する解剖学的基盤を提供したと、慎重なトーンで明記しています。
もうひとつは、近年急速に件数が増えている女性器の美容整形手術です。
代表的なのは小陰唇形成術と呼ばれるもので、国際美容外科学会のデータによれば、2015年から2020年にかけて世界での実施件数は70%も増加しました。
この種の手術では、神経を傷つけないために、「ここから先は神経が走っているので慎重に」という危険ゾーン(danger zone)が医学界で共有されてきました。
従来そのマップは、包皮までを危険域として描いていました。
ところが今回、神経の一部がその包皮を越えて、さらに上の恥丘の皮膚にまで達していたことが判明しました。
つまり従来の危険ゾーンの外側にも、実は神経の枝が伸びていた可能性が示されたわけです。
研究チームはこの発見について、「現在の危険ゾーンの定義は再検討が必要になる」と論文の中で示唆しています。
外科医にとっては、長らく信頼されてきた危険領域の線引きが書き換えられることを意味する、地味だが極めて重要な指摘です。
筆頭著者のジュ・ヨン・リー博士は「解剖学的構造を知ることは、その機能を理解するための前提条件です」と語り、今回の研究を「クリトリス科学の出発点」と位置づけています。
解剖の地図ができたことで、ようやくその次の段階、「どの神経がどんな感覚を担っているのか」を細かく調べる機能研究に進めるという見立てです。
今回得られた3D神経マップは、「Human Organ Atlas」というオンラインデータベース(human-organ-atlas.fr)で公開されており、誰でも閲覧することができます。
人類が長らく描けなかったクリトリスの神経地図を、世界中の誰もが手元で見られる時代になったわけです。
もっとも、今回の研究結果が人類のクリトリスで全て同じとはまだ言い切れません。
今回の研究結果は59歳と69歳の女性の遺体から提供されたクリトリスを調査したものだからです。
たった2人の結果を人類全体のクリトリスの神経構造とイコールにするのは難しいでしょう。
それでも時代と戦い続けたクリトリス研究が、最先端の粒子加速器の力を借りて神経構造を暴き出したという事実は、人類の歴史に長く記録されることでしょう。
1486年に「悪魔の乳首」とみなされ、1546年に「恥ずべき器官」と書かれ、1948年に記述が消え、1995年の教科書ですら「ペニスの小型版」と書かれてきた器官について、人類はそれをようやく5本の神経幹から枝分かれする美しい神経の地図として描き始めたところに、私たちは立っています。
元論文
Neuroanatomy of the clitoris
https://doi.org/10.64898/2026.03.18.712572
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

