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シーンを追い続けるフォトグラファーに聞く【国産アメリカンとチョッパー発展史】~前編

2気筒やVツインはもちろん、並列4気筒などなど、エンジンのバリエーションが豊かでユニークなスタイルの「ジャパニーズアメリカン」。これらはどのように発展してきたのだろうか? そして国産アメリカンを語る上で切っても切れないのが、「チョッパー」という強烈なカスタムスタイル。チョッパー文化が日本でどのように育まれ、国産アメリカンに関わってきたのか、そんなカルチャーに詳しいフォトグラファー、伊勢悟さんに話を聞いた。

伊勢悟さん|1965年生まれのベテランフォトグラファー。中でもハーレーダビッドソンや国内外のチョッパーカルチャーに詳しいうえ、1990年代に数多く発行されたストリート系カスタム雑誌にも関わったことでも知られる。「ハーレーとチョッパーを一緒に考えている人が多いんだけど、個人的にはそれぞれまったくの別モノだと捉えているよ」

1970~1985年 あの有名な映画をきっかけに「チョッパー」が日本に伝わった

1969年に公開された映画『イージー☆ライダー』が日本でも封切られたのは、その翌年の1970年のこと。さらにその翌年に日本で「第1回東京モーターサイクルショー」が始まって、そこに神奈川県は横須賀市でアメリカ兵を相手にカスタムを請け負っていた「長島輪業」、後の「ナックモーター」が、いち早くチョッパーを飾ったんだ。また、「だいだらぼっち」(その後の「サムライ))もチョッパーを出した。こうして大々的ではなかったけれど、第1次チョッパーブームといわれるものが始まった。でもほとんどのショップはハーレーをベースにチョッパーを作ったわけではなく、当時の、ごくごく普通の国産モデルをベースに製作していたんだけどね。

映画に登場したチョッパーは、ハーレーの1965年式「パンヘッド」エンジンをリジッドフレームに搭載したもので、フレームネック部分に角度をつけ、14インチオーバーのフロントフォークを装着。アメリカンスタイルの王道をいくモーターサイクルというよりも当時のストリートシーンを如実に反映した“改造バイク”だった。骨格からして国産バイクとは異なっていることがわかるが、当時の日本では、これがアメリカンバイクとして広く認知されたのだ。

1970~1985年 当時のアメリカンはオジサン世代に支えられていたよ

国産アメリカン黎明期は、各メーカーが「ウチは同じエンジンでスポーツモデルも作れるし、こんなのも作れるんだ」っていうパフォーマンス的な意味を込めて作られていたんじゃないかな。段付きシートにアップハンドル、16インチのリヤホイールにしてメッキパーツを増やすだけでそうなっちゃうからね。当時のアメリカンは映画『イージー☆ライダー』を観た人が飛びついたというよりも、「こっちの方がラクじゃん」という感じでオジサンたちに選ばれていたんだと思うな。もちろん好きで乗っていた人もいたけれど、それは極一部だったんだ。

配信元: Dig-it

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