SNSで「自己肯定感」がどうこうという話題を目にすることがある。自撮りを頻繁に上げる人が「自分を好き」であることが気になる人がいるようだ。私(佐藤)も頻繁ではないにしても、自撮りを上げることがある。つまりはその理屈でいうと、自分が好きということになる。
好きだ、人が思っている以上に自分を好ましく思っているし、かなり自分を信頼している。それを良いことであると考えている。自分なら何とかする、何とかできると、過信しない程度には信じている、信じられる。
もともとそんなに自信家であったわけではなく、むしろ若い頃はひどく卑屈で自己嫌悪の塊だった。両極端である必要はないけど、嫌悪しているよりも好ましく思っている方が私は健全だと考える。
なぜなら、若き日の自分はとても危うい状況だったことを、最近振り返って気づいたからだ。「自分を好き」、それは素敵なことじゃないだろうか。
・AIをきっかけに振り返る
若き日を振り返ることになったのは、最近のAIの目覚ましい進化が、少しだけ関係している。楽曲制作AIの「SUNO」を利用するようになってから、私は貪(むさぼ)るように日々サービスを利用している。
手元にあった古い音源を読み込ませて、自らの拙い弾き語りが豪勢なバンドサウンドに変貌を遂げるのを耳にして、速攻で最上級の有料プランに加入。以降は毎日音楽を生成してはやり直す日々。
忘れていた音楽をつくりたいという欲求がよみがえり、ガット弦のギターを買って、週一回近所の音楽スタジオに入っている。
上手く演奏できなくてもAIの力を借りれば、曲の形を成すのが楽しくて仕方がないのだ。
残念ながら手元に残っている音源は限られていて、早々に元になる曲を使い果たした。手癖で覚えているものがまだ何曲かあって、それを演奏・録音してSUNOに読み込ませる。とはいえ、それもそんなに数があるわけではなく、ついに歌詞とメロディしか覚えていないものを掘り起こすところまできた。
30年も前の、しかも自分の中で優先度の低い曲を思い出すのはカンタンじゃない。いくら記憶を探っても出てこない。あの歌詞の続きなんだったっけな~……。どれだけ言葉をたどっても、出てこないものは出てこないものだ。
・自作の曲の歌詞を探して
幸い、私は20歳頃から何でもノートにしたためるクセがあり、おまけにそれを捨てることができない性質だ。今こそあのノートたちの出番! ってことで、押し入れからダンボール箱を引っ張りだして、記憶の断片の詰まったノート7冊と手帳7冊を発掘した。
これだけだったかな? もっとあった気がしたんだけどなあ。途中で2度ほどシステム手帳を利用しているタイミングがあって、ファイル式のその2冊もちゃんと残っている。
この中にあの曲の歌詞の続きがあるはず。
ところがめくってもめくっても、曲の歌詞めいたものは出てこない。出てくるのはあの当時、同級生とライブハウスを開きたいと考えて計画した、店舗の運営にまつわるものや、架空のメニュー表。そのほか当時主催していたライブの予算だとか収支だとか。
音楽に関する記憶ではあるけど、歌詞は2曲分しか綴られていなかった。その2曲は丸々覚えてるんだよ。書き記すべきだったのは、それじゃないだろ、俺……。
