
ドイツのミュンヘン大学(LMU)などで行われた研究によって、約1億年前の琥珀から「カニのハサミ」を前足に持つ昆虫の化石が発見されました。
昆虫は100万種以上に及ぶ膨大な種類がいますが、カニのようなの本当のハサミ(鋏脚)を持つ昆虫はこれまで3タイプのみで、さらに本当のハサミが化石状態の昆虫で確認されたのは、世界で初めてと述べています。
また興味深いことに、これまで知られている2107点もの昆虫や甲殻類のハサミと比較した結果、この新種のハサミの形は他に類を見ないユニークなものであることがわかりました。
1億年前の虫たちは、カニのハサミをどのような方法で手に入れたのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年4月17日に学術誌『Insects』にて発表されました。
目次
- 昆虫のハサミに見える大部分は実は「折り畳みナイフ」
- 1億年前にいた「カニのハサミ」を持つ虫
- 1億年前の昆虫は「カニのハサミ」をどうやって獲得したのか?
- 1億年前の森は、今より「進化の実験場」だった
昆虫のハサミに見える大部分は実は「折り畳みナイフ」

皆さんは「ハサミを持つ虫」と聞いて、まず思い浮かぶのはハサミムシではないでしょうか。
その名のとおり、お尻の先端にしっかりとした”ハサミ”がついた、ちょっと変わった見た目の小さな虫です。
ところが、ハサミムシのあのトレードマークのハサミ、実は脚ではありません。
お尻の先端にある特殊な突起(尾鋏:びきょう)が、ハサミのような形に進化したものなのです。
つまり今回の研究のテーマである「前足のカニ型ハサミ」とは、ぜんぜん別の話です。
そう言われると、クワガタムシの立派な大顎(おおあご)も「あれはハサミなのでは?」と思うかもしれません。
でもあれは、口のまわりの顎(あご)が大きく発達したもの。
これもまた、脚ではありません。
つまり「昆虫の前足が、カニのハサミみたいな形に進化する」というのは、それだけで実はかなり珍しい現象なのです。
では、「前足で獲物を挟む昆虫」というと、何が思い浮かぶでしょうか?
たとえばタガメ。
日本最大の水生昆虫で、太い前足でカエルや小魚までガッチリ捕まえて食べてしまう、まさに「水の中の暴れん坊」です。
タガメが獲物に襲いかかる瞬間、両側から太い前足をガシッと組み合わせる姿は、まるでカニが大きなハサミで獲物を捕らえているかのよう。
ところが──タガメの前足も、厳密に言うと「ハサミ」ではないのです。
よく観察すると、タガメの片方の前足は、折りたたみナイフのように、上半分と下半分がパタンと折りたたまれる仕組みになっています。
ハサミというより腕の曲げに近い動作で獲物を捕らえるわけです。
一方、カニやロブスターのハサミは違います。
1本の脚そのものに、根元のほうにも”固定の指”がしっかり突き出ていて、もう一方の”動く指”と向かい合ってパチンと閉じます。
指と指が正面でかみ合う真のハサミです。
論文では本物の「ハサミ」と「折りたたみナイフ」を区別する、シンプルなルールがあります。
文房具のハサミのように、動く指が前方に向かって閉じるのが本物のハサミ(鋏脚)。
ポケットナイフのように、動く指が手前にパタンと倒れるのが折りたたみナイフ式(亜鋏型)。
動く部分があくまで腕の前方にあるか、腕のほうまで回り込んで来るかの違いとも言えます。
「どちらも結局は挟むのだから両方ハサミでいいのでは?」と思うかもしれませんが、真のハサミはあくまでハサミ部分でつかみ、偽物のハサミは腕を使ってつかむという点で大きく異なります。
地球上には100万種以上の昆虫がいると言われていますが、その膨大な顔ぶれの中で、本物の「ハサミ」を備えているとされるグループは、これまで以下の3つだけでした。
アザミウマの仲間 ── メスだけがハサミを装備
カマバチの仲間 ── こちらもメスだけ
カニカメムシの仲間 ── 待ち伏せ型の小さなハンター
加えて著者らも自分たちが知る限り、化石からカニ型のハサミ(鋏脚)を持つ昆虫が発見されたことは、これまでにないと述べています。
しかし1億年前の琥珀に例外が潜んでいました。
1億年前にいた「カニのハサミ」を持つ虫

琥珀は太古の木が分泌した樹脂(樹液状のネバネバした成分)が硬化したものですが、硬くなる前に小さな生物を飲み込んでしまうことがあります。
琥珀に守られることで、閉じ込められた生物は劣化が防がれ、当時の姿を鮮明に保つことができます。
研究チームは、1億年前の琥珀に閉じ込められた生物を徹底的に調べることで、1億年前の生物の姿を垣間見ようとしました。
使ったのは「マイクロCTスキャン」(肉眼では見えない微細な構造まで3Dで透視できる装置)です。
これによって、琥珀の中に閉じ込められた昆虫の体を、まるで生きているかのように立体的に再現することができました。
すると、頭は三角形で、両側には大きな複眼が飛び出している数ミリほどの体の生物が浮かび上がってきました。
短い触角がピンと伸び、口元には短く尖ったクチバシ、そして何より目を引くのは、不釣り合いに大きなカニ型ハサミを構えた前足です。
このクチバシはカメムシの仲間(異翅亜目)に共通する特徴であり、さらに触角の短さなどから、研究チームはこの昆虫をこれまで知られていなかった新種であり、おそらく「水生カメムシ類」(ネポモルファ)──日本でいうとタガメやミズカマキリも含む大きなグループ──で湿った地面で暮らしていたと考えられています。
昆虫なのに「カニのハサミ」を持つ生物の4番目の事例となったわけです。
しかしここで疑問が浮かびます。
現在確認されている3種類の昆虫のハサミと、1億年前のこのハサミは、果たして同じようなものなのでしょうか?
1億年もあれば、生物の形は劇的に進化します。
そこで研究チームは、新種のハサミがどれほど特殊なのかを客観的に示すため、文字どおり世界レベルの大規模な「ハサミ比較」に乗り出しました。

集めたサンプル数は実に2107点。
比較対象には、カマキリやカマキリモドキ、アザミウマ、カマバチといった陸上の捕食者から、タガメやミズカマキリなどの水生カメムシ、さらにはカニ・ロブスター・エビなどの十脚類、シャコ、タナイス類まで、ありとあらゆる「物をつかむ脚」を持つ生き物が並びました。
その結果、驚きの事実が判明します。
新種のハサミの根元部分の形が、比較された2107点のどれとも一致しなかったのです。
つまりこの1億年前の昆虫は、たんに「カニみたいなハサミがある」というだけでなく、ハサミの形そのものが、これまで誰も見たことのない唯一無二のデザインだったのです。
しかも面白いことに、実は同じカチン州の琥珀からは、過去にも新種の近い親戚にあたる化石(ヒキガエルカメムシの仲間)が、何度か報告されてきました。
でも彼らのハサミはあくまで『折りたたみナイフ式』の腕で挟むタイプであり、本物のカニ型ハサミではありませんでした。
つまり同じ仲間の中で、ただ一種だけが『本物のハサミ』を進化させていたのです。
これだけ独自の存在ともなれば、もはや既存のどの「属」にも収まりません。
ここで言う「属(ぞく)」とは、見た目や進化の道筋がよく似た生き物どうしをひとまとめにした分類のグループのこと。
たとえば、キリンとオカピは同じ「キリン科」の動物ですが、キリンは「キリン属」、オカピは「オカピ属」と、それぞれ別の属に分類されています。
姉妹のように近い関係でも、首の長さも、体の模様も、暮らす場所もまるで違う──「別の属」とは、それくらい体の作りや進化の道筋が独自の方向に分かれている、ということなのです。
そのため研究者たちはこの昆虫を、まったく新しい属として独立させ、こう名付けました。
Carcinonepa libererrantes(カルキノネパ・リベレランテス)
属名 Carcinonepa は、ギリシャ語由来の「カニ」を意味する Carcino- と、水生カメムシのグループ名 Nepa を組み合わせた、まさに「カニ+カメムシ」の合体ネーミング。
その後に続く libererrantes は、ラテン語で「さまよう子どもたち」という意味です。

