
牛や羊などの家畜のげっぷには、地球を温める力の強いメタンガスがたっぷり含まれています。
世界中で人間の活動から出るメタンのうち、およそ3割が家畜由来とされており、地球温暖化を考えるうえで決して無視できない存在なのです。
ところが、胃のどこで、誰が、どうやってメタンを増やしているのか──その仕組みの中心部分は、約50年ものあいだ誰も突き止められませんでした。
中国の中国科学院水生生物研究所(IHB)を中心とする研究チームが、ついにその答えを見つけました。
カギを握っていたのは、牛の胃のなかにすむ小さな生き物の細胞のなかに、こっそり隠れていた謎の部品(細胞小器官)でした。
研究内容の詳細は、2026年4月30日付で科学誌『Science』にて発表されました。
目次
- 牛のげっぷは、なぜ地球温暖化を起こすのか?
- 細胞の奥で見つかった、メタン生成の加速装置
- 個体差の謎にも答え、そして応用への道へ
- 繊毛虫は何を取り込んでしまったのか?
牛のげっぷは、なぜ地球温暖化を起こすのか?

牛のゲップはメタンを大量に含む
牛のげっぷが温暖化に関係していると聞いても、最初はピンと来ないかもしれません。
「あのげっぷ」に地球環境を変えるほどの威力があるとは到底思えないからです。
けれど牛のげっぷには、メタンガスが大量に含まれています。
このメタンは、よく聞く二酸化炭素と比べて、何十倍もの強さで地球を温めてしまう、なかなか厄介な気体です。
世界の人間活動から出るメタンのうち、牛や羊といった反芻動物だけで、その3割近くを占めているとされています。
なぜ牛だけが、これほどメタンを出してしまうのでしょうか。
理由は、牛のお腹のなかにあります。
牛は反芻動物と呼ばれていて、胃を4つも持っています。
なかでも一番大きいのが第一胃で、ルーメンとも呼ばれ、ここが牛の消化のメインステージになっています。
この第一の胃のなかには、目に見えないほど小さな微生物たちが、ぎゅうぎゅう詰めで暮らしています。
牛が口にした硬い植物の繊維は、まずこの微生物たちに分解してもらわなければ消化できません。
牛は、胃のなかに「専属の解体チーム」を住まわせているわけですね。
このとき微生物たちが働いた副産物として、水素ガスと二酸化炭素が放り出されます。
それをわざわざ拾い集めて、せっせとメタンに作り替えてしまう生き物が、第一胃の中にはもう一種類いるのです。
「メタン生成古細菌」と呼ばれる、メタンを作るのが大好きな小さな生き物の仲間です。
この仲間は、じつは私たちのよく知る細菌とはちがうグループ(古細菌)に属しますが、本記事では読みやすさのために「メタン菌」と呼ぶことにします。
水素と二酸化炭素を組み合わせてメタンに変える、いわば小さな化学プラントのような働きをしています。
こうしてできたメタンを、牛は自分の体では使えません。
そこでげっぷとして外に出してしまうのです。
これが、牛のげっぷ=メタンの正体です。
胃袋の中の共犯者
ところがこの話には、長らく見過ごされてきた登場人物がもう一人いました。
それが繊毛虫と呼ばれる、小さな生き物です。
繊毛虫は、細菌よりずっと大きく、構造もずっと複雑です。
私たち人間と同じ「真核生物」(核をもつ生き物)という大きなグループに属する、本格的な小さな生き物と言えるでしょうか。
表面に短い毛がびっしり生えていて、それを使って動いたり食べたりしています。
その毛が「繊毛」、繊毛をまとった生き物だから繊毛虫、というわけです。
第一胃に住む微生物の重さで見ると、繊毛虫は最大で全体の4分の1ほどを占めることもあります。
決して脇役ではありません。
そして昔から、ある不思議な事実が知られていました。
繊毛虫が多い牛ほど、げっぷのメタンも多くなるのです。
実験で繊毛虫を取り除くと、メタン排出量が最大で3割以上も減ることもわかっています。
ところが、繊毛虫自身はメタンを作ってはいません。
それなのに、繊毛虫がいるとメタンが増える。
いったい、なにが起きているのでしょうか。
有力な仮説はありました。
「繊毛虫が、メタンを作る微生物に水素を渡して、メタン作りを応援しているのではないか」というものです。
水素はメタンの材料ですから、誰かが気前よく水素を供給してくれれば、メタン菌は喜んでメタンをどんどん作ってくれるはずだ、と(Newbold ら, 2015;Firkins ら, 2020)。
しかし、ここからが難問でした。
繊毛虫の細胞のいったいどこで、どんな仕組みで大量の水素が作られているのか、これがおよそ50年にわたって、誰一人として決定的に示せなかったのです。
場所も、装置も、謎のままでした。
細胞の奥で見つかった、メタン生成の加速装置

この長年の謎に、ようやく答えを出したのが、中国科学院水生生物研究所の魏苗(Wei Miao)教授たちの研究チームです。
研究チームはまず、ずっと滞っていた繊毛虫の遺伝情報の解読を、大きく進めました。
それまで世界で53個ほどしか読まれていなかったゲノム情報を、なんと450個のゲノムからなるカタログにまで広げたのです。
そのうちの87%は、今回新たに読み解かれたものでした。
この大規模な解析の結果、驚くべきことがわかりました。
これまで「32属274種以上いる」とされてきた反芻胃の繊毛虫は、今回の解析では「18属65種」と、思っていたよりもずっと少ない仲間として整理されたのです。
形だけで分類していた時代の図鑑が、遺伝情報によって大きく書き換えられました。
次に研究チームは、代表的なルーメン繊毛虫(ダシトリカ)を取り出し、電子顕微鏡でじっくり調べました。
すると細胞のなかに、ある楕円形の小さな構造が、いくつもぽつぽつと並んでいるのが見えました。
実は、この構造そのものは古くから観察されていたのですが、いったい何をしているものなのか、その正体は長らくはっきりしていなかったのです。
しかし研究チームが調べたところ、2つの大切な酵素が備わっていることがわかりました。
ひとつは水素を作るための酵素、もうひとつはまわりの酸素を取り除くための酵素です。
つまりこの構造は、ふたつの仕事を同時にこなしていました。
水素を作って、メタン菌にエサとして渡すこと。
そしてまわりの酸素を取り除いて、酸素が大の苦手なメタン菌が安心して暮らせる環境を整えること。
メタン菌にとって、これ以上ない「至れり尽くせりのサービス」だったわけです。
しかも水素ボディは、繊毛虫の表面に生えている繊毛の付け根に、寄り添うように集まっていました。
繊毛が多く生えている種類ほど、その根元に並ぶ楕円構造の数も増える──そんなきれいな比例関係まで成り立っていたのです。
研究チームはこの構造を、これまで知られていない細胞内の新たな部分(細胞小器官)として「水素ボディ」(hydrogenobody)と名付けました。
これまでの研究により、繊毛虫の細胞内には水素を作る似た部品(ハイドロジェノソーム)があることは知られていましたが、今回の水素ボディは、それとは明確に別物でした。
昔から知られていた水素生成装置(ハイドロジェノソーム)は仕切りの膜が二重で、ミトコンドリアから進化してきたと考えられているのに対し、水素ボディはたった一枚の膜で包まれていて、ミトコンドリアやハイドロジェノソームとは別ルートで進化してきた可能性があるのです。
しかもその膜は、厚さわずか5ナノメートル。
1ミリメートルの20万分の1という、想像を絶する薄さです。
研究チームは論文のなかで、こうした「膜が一枚だけ」という特徴は、水素ボディがミトコンドリア由来ではなく、従来のハイドロジェノソームとも異なる進化的な起源を持つ可能性を示している、と説明しています。
働きは似ているけれど、生まれも育ちもまるで違う、もう一種類の細胞内部品だったというわけです。
研究を率いた魏苗教授は、こう述べています。「この特徴は、水素ボディがミトコンドリア由来ではないことを示しており、異なる進化的起源を持つ可能性がある」。
働きは似ているけれど、生まれも育ちもまるで違う、もう一種類の細胞内部品だったわけです(詳しくは後述)。

