個体差の謎にも答え、そして応用への道へ

研究はさらに、面白い事実を明らかにしました。
繊毛虫にもいろいろな種類がいるのですが、種類によって水素ボディの数が大きく違うのです。
たとえばダシトリカ属と呼ばれる繊毛虫は、別のエントディニウム属という繊毛虫の、なんと28倍もたくさんの水素ボディを持っていました。
そして実験すると、ダシトリカが多いほど、そのまわりでメタンがたくさん作られていたのです。
さらに羊で調べてみると、メタンをたくさん出す羊は、メタンが少ない羊と比べて、ダシトリカがおよそ100倍もいました。
同じ餌を食べていてもメタンの量がここまで違う──胃のなかにどんな繊毛虫が多いかが、げっぷに含まれるメタンの量を左右する、重要な要因の一つだったのです。
そして実は、研究チームはさらに大胆な見立ても示しています。
水素ボディは「水素を作る」だけでなく「酸素を取り除く」働きも持っていますが、1989年の古典的な研究によると、反芻胃で消費される酸素の最大半分は、繊毛虫が消費しているとされていました(Ellis ら, 1989)。
となると、水素ボディがメタンを増やしている本当の理由は、もしかすると「水素を渡す働き」より「酸素をきれいに掃除する働き」の方が大きいのかもしれません──論文はそう示唆しています。
メタン菌は酸素が大の苦手ですから、そばで誰かが酸素を片付けてくれているおかげで、安心して全力で働けるわけです。
そしてこれは牛にとってもメリットがあります。
胃の中に水素がたまりすぎると、発酵そのものが止まってしまいます。
ガスが充満したタンクのように、新しい分解が進まなくなるのです。
牛が干し草のような人間にとって魅力の薄い草から栄養を取り出せるのは体内の細菌たちが行う発酵のお陰です。
水素体が水素を作り、それを隣のメタン生成古細菌がすぐに消費する──この受け渡し(種間水素伝達)のおかげで水素が低く保たれ、細菌たちは効率よく植物を分解し続けられます。
その結果、牛はエサからより多くのエネルギー(揮発性脂肪酸)を取り出せるのです。
水素体を持つ繊毛虫は、いわば牛の消化工場の「換気・空調係」だったとも言えるでしょう。
そして温暖化の悪役にされていたメタンは、実は「牛の消化をスムーズに回すための換気(水素排除)の副産物」でもあるわけです。
ただし、いいことばかりではありません。
牛の立場で正直に言えば、メタンとして空へ逃げていく水素と炭素は、もともとエサに含まれていたエネルギーの一部です。
牛はそれを使えないまま捨てているので、エネルギーの取りこぼし(摂取エネルギーの数%程度とされます)でもあります。
つまり水素ボディーは、酸素を消して消化環境を守り(牛にプラス)、水素を片づけて発酵を回しつつ(牛にプラス)、最終的にメタンを出してしまう(牛にも地球にもマイナス)という、メリットとデメリットが背中合わせの仕組みなのです。
「メタンが嫌だから繊毛虫を全部消せばいい」という方法は牛やそれを利用する人間にとってもマイナスになります。
そこで研究者は牛のお腹の「特定の細菌」を遺伝子改変して、水素ボディの製造に関わる遺伝子だけを黙らせる方法を提唱しています。
「RNA干渉」と呼ばれる、特定のたんぱく質を作る働きを邪魔する最先端の技術を応用する戦略です。
繊毛虫を全部取り除いてしまえばメタンは減りますが、それでは牛の消化や発酵全体に悪い影響が出てしまいます。
けれど水素ボディの多い「特定の種類」だけを狙い撃ちできれば、消化をある程度守りつつメタンだけを減らせるかもしれないのです。
実用化までには、家畜での効果や安全性を確かめる段階が、まだいくつも残っています。
それでも「とりあえず繊毛虫を減らす」というおおざっぱな話とは、もう次元が違います。
狙うべき的が、くっきり見えるようになったのです。
地球温暖化を抑えるためのヒントは、いつもこうして、思いがけないほど小さなところに眠っているのかもしれませんね。
繊毛虫は何を取り込んでしまったのか?

ここからは過去の研究成果を含めて、繊毛虫がなぜ水素ボディを獲得したのか進化の歴史を遡ってみましょう。
私たちの祖先は、もともと核を持つ単細胞の生き物(真核生物の祖型)で、その細胞の中に酸素呼吸が得意な細菌(αプロテオバクテリア)をまるごと一匹、飲み込んだと考えられています。
普通なら消化されてしまうはずのその細菌が、なぜか消化されずにすっかり住み着き、長い時間をかけて宿主と協力関係を結び、最終的に細胞の部品(細胞小器官)になりました。
これがミトコンドリア(細胞のエネルギー工場)の起源です。
そしてこの過程が、ミトコンドリアは二重の膜に包まれている説明にもなります。
おおまかにいえば、宿主が細菌を飲み込んだときに包んだ袋が外側の膜になり、飲み込まれた細菌そのものが持っていた細胞膜が内側の膜として残ったからだと考えられています。
さらに、ミトコンドリアの中にはいまも独自のDNAが残っています。
これは20億年前の細菌時代の名残りで、私たちの細胞のなかに、いまも遠い先祖の「居候の子孫」が暮らし続けているのです。
では、水素ボディの前から知られていた水素を作る細胞小器官「ハイドロジェノソーム」は何者なのでしょうか。
その正体は、酸素のない環境に適応するなかで変身したミトコンドリアの親戚だと考えられています。
決定打となったのは、嫌気性の繊毛虫ニクトテルスのハイドロジェノソームの中に、なんといまも昔のミトコンドリアのDNAが残っていたことです。
先祖がミトコンドリアだったという、これ以上ない直接的な証拠でした。
つまりハイドロジェノソームは、いったん細菌を丸飲みして作ったミトコンドリアを、酸素のない環境で再び作り替えた結果なのです。
二重膜は、ここでも「かつて細菌を飲み込んだ時の名残り」をきちんと保ち続けています。
では、今回の水素ボディは何を取り込んだのでしょうか。
水素ボディは、膜が一枚しかありません。
「飲み込んだ袋+飲み込まれた生き物の膜」というあの典型的な二段重ねが見当たらないのです。
論文を率いた中国科学院水生生物研究所のチームは、水素ボディは細胞のなかにもともと存在していた内膜系(ないまくけい。小胞体やゴルジ装置といった、細胞のなかで物質を運ぶ袋のシステム)から派生してきた可能性が高いと推測しています。
つまり繊毛虫が、自分の細胞のなかにあった既存の袋を改造して、水素工場として使い始めたわけです。
「でも、水素を作る能力はどこから手に入れたのでしょうか?」
ここで登場するのが、進化生物学の重要なキーワード「水平伝播」です。
これは、ある生き物が、まったく別の生き物から遺伝子だけを取り込む現象のことです。
子孫に縦に受け継がれる「垂直」の遺伝に対して、横に飛び込んでくるので「水平」と呼ばれます。
論文の著者たちは、水素ボディで酸素を取り除く酵素(FDP)について、ファーミキューテス門の細菌(ルーメンに住む細菌たち)から水平伝播で取り込まれたらしい、と示しています。
一方、水素を作る酵素(ヒドロゲナーゼ)のほうは、どこから来たのかまだ不明ですが、既知のどの真核生物・原核生物のものとも違う、独自のつくりをしていました。
つまり酸素を取り除く道具については、まわりの細菌から遺伝子を借りてきた可能性があますが、水素を作る道具のほうはまだ起源不明となっています。
ですが繊毛虫はこうした道具を、自前の細胞内の袋に組み込んで、最終的に酸素を取り除きつつ水素をつくる工場として使っていたようです。
周囲から遺伝子を借りたり、独自の工夫を重ねたりして、もともとあった袋を水素工場の現場へと作り替えた。
そんな、ちょっと変わった成り立ちをした細胞小器官だった可能性が高いのです。
生命というものは、あの手この手で、新しい能力を手に入れてきたことがわかる事例です。
参考文献
Uncovered: An organelle that powers the methane machine in livestock
https://www.eurekalert.org/news-releases/1125794
元論文
Rumen ciliates modulate methane emissions in ruminants
https://doi.org/10.1126/science.adv4244
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

