一昨年、北海道の江別市で大学生・長谷知哉さん(20)が集団暴行を受けて死亡した事件。強盗致死などの罪で起訴された男女6名のうち、川村葉音被告、当時18歳の元高校生・瀧澤海裕被告、当時16歳の少年の3人の公判が5月25日から始まった。被告や検察の証言により、あまりに凄惨な事件の全容が浮かび上がってきた。
「宣誓はしません。もう少しで自分の裁判があるからです」と川口被告
「グロかった」「止めようとは思わなかった」
27日の被告人質問で事件当時の暴行について問われた川村葉音被告は、言葉少なにそう語った。
事件を巡って起訴されたのは、被害者の長谷さんの交際相手・八木原亜麻被告(当時20)とその友人の川村被告(当時20)、当時18歳の元アルバイトの川口侑斗被告、同じく当時18歳の元高校生・瀧澤海裕被告、そして当時17歳、16歳だった少年2名の計6名。
「起訴状などによると、川村被告ら3人は川口被告らと共謀の上、24年10月25日から26日にかけ、江別市の公園で長谷さんに殴る蹴るなどの暴行を加えた上、『全部、出せ』などと言って現金やクレジットカードを奪い、長谷さんを外傷性ショックで死亡させるなどしたとされます。
川村被告のスマホからは、長谷さんの服を脱がせて全裸にさせ、髪にライターで火をつけ、背中にタバコを押し付ける様子が記録されていました」(社会部記者)
公判には検察側の証人として、主犯格とされる川口被告も入廷したが、
「川口被告は『宣誓はしません。もう少しで自分の裁判があるからです』と宣誓を拒否しました。突然の発言に法廷はざわつき、10分ほど裁判が中断される事態となりました」(同前)
退廷後、検察は逮捕後の川口被告の供述調書を読み上げた。
「内容は、川村被告が『調子乗るなよ、触んな』と言って顔を5~10回踏みつけた。被害者が『本当に申し訳ございませんでした』と言ったが、川口被告は『20歳だろ、立て』と言って腹を10回くらい右足で踏みつけるなど、凄惨な暴行の詳細を示すものでした。
検察は、『長谷さんの体には、損傷していないところがないくらいの損傷があった』と残忍さを強調しました」(同前)
なぜ、彼らの暴行はこれほどまでにエスカレートしてしまったのか――。これまでの集英社オンラインの取材と、今回の公判で明らかになった事実を踏まえ、事件を振り返る。(指名の公表されていない少年二人については、これまで集英社オンラインで報じてきた通り、A、Dと表記する)
クラスでのカーストも下の方だった川村被告
八木原被告と川村被告はともに釧路市出身。中学時代に同じ進学塾に通い、高校時代に一度ケンカ別れしたが、それぞれが江別市内の大学に進学した後に、川村被告が働いていたコンビニに八木原が訪れたことで再会となった。そこから八木原被告も同じコンビニで働き出すなど、次第に親しくなっていったという。
「二人はとても仲が良く、バイトじゃない日も一緒にコンビニにいたことがありました。『どうしたの?』と聞くと、『遊んだ帰りです』と……」(コンビニの常連客)
川村被告は大学では教育学科の「初等教育コース」に在籍。小学校の教師を目指していた。高校時代もとても真面目だったという。高校の同級生は事件当時こう語っていた。
「川村さんは優等生で遅刻や欠席もほとんどなく、先生からの評価もよかったと思います。1学年約110人の中で常にテストでは20位以内にいて、学年2位を取ったこともあります。基本的に真面目なので、授業も静かに一生懸命受けていたし、部活もバドミントン部で頑張っていた印象があります。
でも、入学当初からいじられキャラで、陰で『カエル』と呼ばれていました。クラスでのカーストも下の方なのに、周りの陽キャやヤンキーに憧れて、イキっている感じはありました。自分を強くみせたいのか、休み時間に机の上に足を乗せたり、態度を悪くしたりするので、周りに避けられていました」
一方、恋愛になると積極的な一面を見せることもあった。
「モテはしないけど、とりあえず彼氏がほしいって感じで、遊んでるチャラい男子とかに自分からグイグイいく肉食系でした。彼女がいる男子にも毎日告白するくらいでしたが、フラれ続けている時期もありました」(同前)
そんな川村被告が事件当時付き合っていたのが、当時17歳の少年Aだった。2人をよく知る人物が語る。
「A君も川村さんたちと同じコンビニでバイトしていましたよ。もともとはA君が一番長く働いていて、その後、川村さん、続いて八木原さんが働き出したと聞いています。
川村さんとA君は彼女彼氏の関係だし、いつも一緒にいましたね。A君は『先生がウザかったから』と高校を1年で中退。バイト先のコンビニ近くで一人暮らしをしていて、そこに川村さんが頻繁に通っていました。
川村さんは大学に行きながら働いて、その稼ぎをA君との遊びの費用に充てていたようで、『今月クレカの支払いやばいわ』と口癖のように言っていました」

