光のつぶは「何もない空間」から湧いていた

なぜ、鏡で光のつぶを切ろうとすると、無限のつぶが湧き出してくるのか。そして、湧いたはずのつぶは、どこへ消えてしまったのか。
このなぞは、2つの問いに分けて考えると、わかりやすくなります。
1つは「そのつぶは、どこから来るのか」。
もう1つは「湧いたつぶは、どこにいるのか」です。
つぶは、どこから来るのか
まずは1つ目、「つぶはどこから来るのか」。
私たちは「真空=何もない、空っぽの空間」だと思っています。光のつぶを切った向こう側にあるのも、てっきり、そんな何もない空間だと思います。
でも、量子の世界では、そうではないのです。
何もないはずの空間にも、目には見えない電磁場(電気と磁気がつくる場)の「ゆらぎ」が、絶えずさざめいています。
海面が、風がなくても完全には静止せず、つねに細かく波打っているようなものです。何もないように見えて、その水面の下では、いつも何かがうごめいている。
そして、このゆらぎがちょっと刺激されると、何もなかったはずの空間から、本物の光のつぶがポンと生まれることがあります。
鏡やシャッターのはたらきをすばやく切り替える、という行為が、まさにこの刺激になります。
鏡の効き目を急に変えるたびに、まわりの真空がかき混ぜられ、何もない空間から光のつぶが呼び出される——。
ブラウンスタイン氏は、これをこう表現しています。
鏡やシャッターを素早く変化させるたびに、真空をかき混ぜ、何もない空間から光のつぶを呼び出すことになる
もとの1個のつぶが、2個、3個と分裂したわけではありません。あくまで、鏡の効き目を切り替えるという行為が、まわりの真空から新しいつぶを呼び出しているのです。
「真空からつぶが湧くなんて、SFのような作り話では?」と思うかもしれません。
けれど、これは突飛な空想ではありません。
「動く鏡が真空からつぶを生み出す」という現象そのものは、動的カシミール効果という名前で知られていて、すでに本物の実験でも確認されている、れっきとした物理現象なのです。
実際、2011年にスウェーデンの研究チームが、鏡のかわりに特殊な電子回路を使い、その”鏡としての効き目”を、光速の数%にもなる猛烈な速さで電気的に切り替えたのです。
こうして、何もない真空から本物の光のつぶ(マイクロ波の光)を取り出すことに成功しています。
今回の研究は、その確かな土台の上に乗っています。
湧いたつぶは、どこにいるのか

さて、これで「つぶがどこから来るのか」は分かりました。
まわりの真空から呼び出されていたのです。
けれど、ここで新たななぞが浮かびます。
真空から湧いたはずの、無数のつぶ。
それなのに、先に見たように、切れ目の左右を調べても、つぶは1個と真空しか見当たりません。
湧いたはずのつぶたちは、いったいどこにいるのでしょうか。
答えは、切れ目のごく狭い区間——あの遷移領域——のなかです。
余分に現れた複雑さやエネルギーは、左右に散らばっていたのではありません。切れ目という、ごく狭い場所にだけ、ぎゅっと集中していたのです。
物理の言葉で言えば、こうなります。鏡の効き目を切り替えるという外からの操作を通じて、真空がもともと持っていたエネルギーが、本物の光のつぶのエネルギーへと姿を変え、その切れ目のあたりに蓄えられた——。
イメージとしては、広い部屋なのに、熱気がドアのところ一か所にだけこもっていて、部屋の左半分にも右半分にも、ほとんど伝わっていない感じです。
遠目には「左はがらんとしている、右もがらんとしている」と見えるものの、ドアのところに、むんとした熱気が渦巻いている状態です。
切れ目のまわりも、これと同じでした。
込み入った事情はその一点にぎゅっと集まっていて、左右の領域にまでは、はみ出していなかった。
だから左右を見れば、いつでも「1個」と「真空」に見えていたのです。
これで「どこから来て、どこにいる」のかは分かりました。
——でも、いちばん根っこのなぞが、まだ手つかずで残っています。
そもそも、なぜ「無限個」などという、とんでもない数になってしまうのでしょうか。1個や2個ではなく、無限個。これはいくらなんでも、多すぎます。
なぜ「無限個」なのか——―狭く閉じ込めるほど、つぶは増える
なぜ、無限個などというとんでもない数が出てきたのか。
じつは先に見た「複雑さは切れ目の外へはみ出していなかった」という事実が、そのまま大きなヒントになっています。
量子の世界には、こんな法則があります。「光を、これほど狭い範囲にきっちり閉じ込めようとすると、その代償として、関わってくる光の”数の成分”が、必ずふくれあがってしまう」というのです。
「閉じ込めること」と「数がふくらむこと」が、どうして関係するのでしょうか。一見すると、まったく無関係な2つの話に思えます。
ここで思い出してほしいのは、「光は波である」ということです。そして、波には1つ、面白い性質があります。
ここから先がストンと垂直に途切れるような、くっきりと角ばった、鋭い形をつくるのは、とても難しいのです。

音で考えてみましょう。
きれいな単音——サイン波と呼ばれる、いちばん素直な波——は、なめらかに上下するだけで、どこにも「角」がありません。
フルートのやわらかな音を思い浮かべてください。あれが、角のない波のイメージです。
では、角がカクカクした波——四角い形をした波——は、どんな音でしょうか。
じつは、これに心当たりのある方は多いはずです。
ファミコンの、あの「ピコピコ」と鳴るゲーム音楽、あのとがった電子音の正体が、まさに四角い波(矩形波)なのです。
やわらかなフルートと、とがったピコピコ音。この音色の違いこそ、波の形の違い、そのものなのです。
では、あのカクカクした波は、どうやって作られているのでしょうか。
単音を1つ鳴らすだけでは、まったく足りず、高さの違う音を、何種類も何種類も重ね合わせる必要があります。
そして、角を鋭くすればするほど、より高い音を、際限なく足し続けなければなりません。
そして完全に垂直な断ち切りの波をつくろうとすれば、それこそ無限の種類の音を重ねなければならない、というわけです。
光の波でも、これと似たことが起こります。
「ここでピタッと途切れて、向こう側は完全にゼロ」という鋭い断ち切りをつくるには、波長の違う波を、無限の種類だけ重ね合わせなければなりません。(※厳密には「波長成分の数」と「つぶの数」はイコールではないのですが、イメージとしてはこの理解で十分です)
「光を切ったら無限にふくらんだ」という、あれほど奇妙に見えた結果は、決して異常事態ではありませんでした。
光を狭い範囲にぴったり閉じ込める——それはつまり、波を究極までカクカクにし、真空を限界まで強くかき混ぜるということ。
ならば、量子の法則からして、関わる光の成分が無限にふくらむのは、最初から分かりきっていたことだったのです。
驚きの現象が、ふたを開けてみれば、法則どおりの当然の帰結だった。
ものごとを「ここでスパッと」と完全に断ち切ろうとすると、その代償として、際限のない複雑さを呼び込んでしまう。
きれいな境界線は、ただではすまないのです。ここに、この研究の静かな美しさがあります。
さて、ここまでは、鏡を一瞬で「パッ」と取り去った、いわば極限の場合の話でした。
最後に、もう少し現実に近い場合も、見ておきましょう。
じつのところ、平均すると見込まれる光子の数が本当に無限大に発散するのは、鏡を一瞬で取り去った、この理想的な極限のときだけです。
鏡を一瞬ではなく、ゆっくりとした有限の速さで切り替えると、期待される光子の数は無限大ではなく、ちゃんと有限の数におさまります。
そしてこのとき、切れ目は、厚みゼロの一本の線ではなくなります。
鏡を動かす時間に応じて、ある程度の幅を持つようになります。
すると帯は、3つの層に分かれます。
片側の領域、真ん中の切れ目の領域、そして反対側の領域。点だった切れ目が、目に見える帯へと育つわけです。
それでも、切れ目をはさんだ両側を見れば、結果は変わりません。
片側はほぼ1個、反対側はほぼ真空のまま。込み入った事情は、あくまで真ん中の切れ目のなかにとどまっていて、その外側にまでは染み出していきません。
だから両側は、いつ見ても、1個と真空のままに見えるのです。
もっとも、今回の研究は理論計算によるものです。
鏡で光を切る、というこのシナリオを実際に確かめるのは、これからの課題ということになるでしょう。
けれどこの理論から得られるものは少なくありません。
私たちは、世界をきっぱり切り分けられると思っています。
ここまでが光で、ここから先は何もない。
そんなふうに、ものごとには、はっきりした境目があるはずだと。
けれど、割れないはずの光を、ほんとうに切ろうとした瞬間、その切れ目には、無限の複雑さが押し寄せていました。
それでいて、ほんの少し離れて眺めれば、世界は何ごともなかったかのように、「光が1個、あとは空っぽ」という顔をしている。
正体は、無限のつぶがざわめく怪物なのに、こちらが見ている窓の中では、涼しい顔で「ただのつぶ1個ですよ」と単純なふりをしてみせるわけです。
量子の世界では「恐ろしく複雑なものが、まったく単純なものに見せかけることができる」とは、ブラウンスタイン氏の言葉です。
私たちがふだん「単純だ」「当たり前だ」と思って眺めている世界の風景は、ほんとうに単純なのでしょうか。それとも——本当は途方もなく入り組んでいるのに、私たちがいつも、限られた窓からのぞいているだけ、なのでしょうか。
この発想は今後、つぶ1個だけでなく、複数のつぶや、電子のような別の粒子を考えるときの手がかりにもなりそうです。
光のつぶが見せてくれたこの不思議が、ほかの粒でも顔を出すのか——それは、これからの研究が確かめていくことになります。
光は、切ろうとすると、無限に増える。けれど、外側から見れば、何も増えていないように見えた。
——世界は案外、そういう涼しい顔で、私たちのすぐ隣にいるのです。
元論文
Truncated photon
https://doi.org/10.1103/94pm-hp34
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

