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父は田中角栄の盟友、本人は超生真面目…石破茂をつくった「石破家」と“角栄DNA”【歴代総理とっておきの話】

父は田中角栄の盟友、本人は超生真面目…石破茂をつくった「石破家」と“角栄DNA”【歴代総理とっておきの話】

首相官邸HPより

永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は石破茂(中)をお届けする。

「田中先生あっての自分」角栄を人生の師と仰いだ男

筆者はこの20年来、首相になる直前まで何回となくインタビューで石破茂に会っている。

そのたびに印象的なのは、「田中先生あってのいまの自分」「田中先生なら、こういう考え方になるのではないか」と、田中角栄元首相を敬愛するような話がよく入ることである。また、例えばまったく嫌われている自民党の麻生太郎副総裁など、どんな政敵にも悪口が出ないことが特徴で、インタビューが終わったのを待つように、やおらポケットからたばこを出し、なんともうまそうに一服、いや休むことなく2本目にも火をつけるのであった。

たばこについては超のつくヘビースモーカーで、家にあって佳子夫人がいくら本数を減らすように注意しても、まったく聞く耳を持たないという。ヘビースモーカーといえば、高市早苗首相も「1日30本以上」ともっぱらで、石破と“いい勝負”になっている。

さて、石破はその田中に押し切られて、政界入りしたようであった。

石破の父・石破二朗は建設省事務次官を退任後、郷里の鳥取県で知事になり、その後、田中の強い後押しで参院議員、自治大臣を務めている。そして生前のうちから、敬愛する田中に自分の葬儀委員長を依頼していた。田中はこの約束を守ったが、石破茂が葬儀のお礼で東京・目白の田中邸を訪れたとき、田中に政界入りを口説かれたのである。

石破は、そのときの経緯を話してくれた。

「田中先生に『息子のおまえが、親父さんの遺志を継がんでどうするッ。日本で起こることは、すべてこの目白が決めているんだ。選挙に出ろ。辻立ち5万回、個別訪問3万回だ。これをやれば、勝機も出てくる』と、ものすごい迫力で言われた。イエスもノーもなく、事実上、その場で木曜クラブ(田中派)の事務局員になったんだ」

歴代総理とっておきの話】アーカイブ


票にならない話でも全力…石破茂の“不器用な選挙”

慶應義塾大学法学部を卒業し、勤めていた三井銀行を退職、永田町の砂防会館内にあった木曜クラブで事務局員稼業を3年半ほど経験した石破は、昭和61(1986)年7月、中曽根康弘政権下で行われた衆参ダブル選挙に鳥取全県区(中選挙区時代)から出馬、初当選を飾った。

このときのエピソードがある。

「中選挙区だから複数当選となるが、すでに田中派からの候補は1人決まっており、同じ派閥から2人を出馬させるわけにはいかない。そこで田中は、石破を話のできる“ミッチー”こと渡辺美智雄(当時は中曽根派の幹部)に預け、出馬させている」

生真面目な石破は、選挙期間中も田中の言いつけを守り、辻立ちの演説にも精を出していたが、イノシシかタヌキくらいしか出ない里山深くで、票にならない朝鮮半島の危機について懸命にしゃべっていたこともある。たまに立ち止まって聞く人はいるんだが、さすがに話が面白くないので、すぐその場から離れてしまう人が多かった。結局、鳥取での石破二朗の名声に助けられ、からくも当選を果たしたということです。

とにかく何事も不器用にして几帳面な石破だが、のちに首相になっても、この姿勢が少しも変わっていないことを証明した」(政治部デスク)

几帳面さでいえば、石破は人前に出るときに必ずネクタイを締めてスーツを着用し、ラフな格好で歩いている石破の姿を見た人は、選挙区の鳥取でもまずいないそうなのだ。


配信元: 週刊実話WEB

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