
おおよそ西暦500年から1500年まで続いた中世ヨーロッパは、王や貴族、都市国家、宗教勢力が入り乱れた政治的に不安定な時代でした。
その中で、中世の城塞は領主の住まいであると同時に、領土を守り、兵を集め、敵の侵攻を食い止める軍事拠点でもありました。
とはいえ、どれほど巨大な石造りの城でも、絶対に陥落しないわけではありません。
包囲されて食料が尽きることもあれば、城壁を破られることもありました。
ときには守備兵が買収され、内側から門が開かれることもあったのです。
ところが、そうした時代の荒波を受けながら、一度も力ずくでは陥落しなかったとされる城も存在します。
中には「死んだ牛を投石機で飛ばした」という、冗談のような伝承で包囲を切り抜けた城まであります。
今回は、Live Scienceが紹介した「一度も征服されなかった中世の城」をもとに、6つの難攻不落の城を見ていきます。
目次
- 13度の包囲も難攻不落だった「ボーフス要塞」
- 攻撃では陥落しなかった「ブルクドルフ城」
- 相手に「骨のように硬い城」と言わしめた「コスト城」
13度の包囲も難攻不落だった「ボーフス要塞」

現在のスウェーデン南西部にあるボーフス要塞は、歴史的調査によると、少なくとも13回の包囲を受けながら、一度も攻略されませんでした。
この要塞はもともと1250年代に、ノルウェー王ボーフスの命令によって丘の上に建設が始まったとされています。
その後、14世紀には木造の城へと拡張。
さらに続く2世紀の間に、木材の大部分は石へと置き換えられていきました。
最盛期の要塞には複数の塔があり、それらは互いに組み合わされた複雑な石壁の仕組みによってつながっていました。
この構造によって、仮に1つの塔が奪われても、残った守備兵は別の塔で戦い続けることができました。
1566年、スウェーデン側の攻撃軍は塔の1つを占拠することに成功しました。
しかし城の守備兵たちは他の塔で抵抗を続け、さらに占拠された塔の火薬庫に火をつけることにも成功しました。
その結果、火薬庫は爆発し、塔にいたスウェーデン軍を吹き飛ばしたのです。
ボーフスは当初、ノルウェーとスウェーデンの旧国境上に建てられました。
しかし1658年のロスキレ条約によって国境が移動し、ボーフスはスウェーデンへ割譲されています。
死んだ牛を投石機で飛ばした「ホッホオスターヴィッツ城」

現在のオーストリア南部にあるホッホオスターヴィッツ城は、周囲の谷から約150メートルの高さにそびえる急峻な丘の上に建てられました。
この場所には、少なくとも西暦860年には城が存在しており、時代を経て継続的に改修や修復が行われてきました。
しかし、この城が征服された形跡はないようです。
16世紀後半、トルコ軍の侵攻に備えるため、城を所有していた貴族は14の門を建設しました。
それぞれの門には、異なる防御構造が備えられていました。
ある伝承によれば、14世紀にホッホオスターヴィッツ城は、チロル伯妃マルガレーテに忠誠を誓う軍勢によって包囲され、陥落寸前まで追い込まれたといいます。
ただし、この話は創作の可能性もあります。
守備側は食料がほとんど尽きかけていました。
そこで彼らは最後の1頭の牛を屠殺(とさつ)し、その体内に穀物を詰め、敵軍に向けて投石機で発射しました。
マルガレーテの軍勢は、もし守備側が穀物入りの死んだ牛を投石機で飛ばす余裕があるなら、城内には十分な物資があるに違いないと考えました。
そして包囲を解いたのです。
攻撃では陥落しなかった「ブルクドルフ城」

スイスのベルン近郊にあるブルクドルフ城は、1383年に中世の城を攻撃を目論む者たちに向けて1つの教訓を与えました。
それは「もし征服できないなら、買えばいい」という教訓です。
ベルン市とノイ=キーブルク伯家との戦争中、キーブルク家が支配していたこの城は、ベルンから派遣された軍勢によって45日間包囲されました。
しかし包囲は失敗し、ベルン軍は勢いを失いました。
その後、キーブルク家とベルン市は取引を結びました。
ベルン市は、神聖ローマ帝国で使われていた通貨である3万7800ギルダーを支払い、その代わりに城の支配権を得たのです。
ブルクドルフ城は、中世の城として最大級というわけではありません。
しかし規模は十分に大きく、居住用の塔、天守にあたる防御塔、大広間を備えており、それらは壁の仕組みによってつながっています。
この城は800年に及ぶ歴史の中で、征服されたことはないようです。
潮汐島に浮かぶ難攻不落の城「モン・サン=ミシェル」

フランス北西部の潮汐島に位置する有名なモン・サン=ミシェルは、修道院であると同時に中世の要塞でもあり、その歴史を通じて複数の包囲に耐え抜きました。
1337年から1453年にかけてイングランドとフランスの間で戦われた一連の紛争である百年戦争の間、モン・サン=ミシェルはイングランド軍によって何度も包囲されましたが、一度も陥落しませんでした。
潮汐島という立地と城壁の強さによって、この要塞は事実上難攻不落となっていたと、モン・サン=ミシェル要塞のウェブサイトは説明しています。
強力な要塞であると同時に、モン・サン=ミシェルは重要な修道院でもありました。
伝説によれば、708年、大天使ミカエルがオベール司教の前に3度現れ、この場所に自分をたたえる聖所を建てるよう求めたとされています。

