「本連載1回目のゲストでもあった勝さんが、『和商インターナショナル』の部長時代、その下で『マーガレット・ハウエル』を担当した染谷課長。現在は“大人のための日常着”をコンセプトに、今年で25周年を迎える『シンゾーン』を率いる染谷さんを紹介します。もう40年も前のことになりますが、ぼくは『マーガレット・ハウエル』の生産管理全般を担当して28歳で独立するまで、本当にいろいろと勉強させていただきました。狭い業界のなかの細いお付き合いではありましたが、昨年末、OBOG会にて久しぶりに染谷さんと席が隣になり、同じ釜の飯を食った時代を思い出し、『和商』からは2人目になりますが、この連載に出てほしいとお願いして、快諾してもらいました。ぼくのサラリーマン時代、最後の直属上司です」


デニムに合う、上品なカジュアルを求めて
日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Ptアルフレッド代表・本江さんのナビゲーションでお届けする連載企画。今回ご登場いただくのは、大手セレクトショップの黎明期を支え、現在はウィメンズ市場において“ヴィンテージ×ハイエンド”という独自のスタイルを確立した「シンゾーン」の染谷裕之さんだ 。
染谷さんの服飾への目覚めは、意外にも警察官だった父を支えた母の内職にあった。母が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「VAN」のジャケットの縫製を自宅でしていたという。
「小6時分、内職のなかにあったネイビーのブレザーをこっそり羽織り、鏡を見て『かっこいい』と思ったのがすべての始まりでした。そこから『メンズクラブ』を隅から隅まで読み耽り、アイビーやトラッドの知識を独学で学んでいきました」。
中学卒業後の春休みには、地元・松戸にあった「サントロン」という縫製工場へアルバイトに通った。そこで手にした最初の給料で買ったのは、念願だった「VAN」のボタンダウンシャツだった。
「高校時代はバリバリのアイビーでした。弁当代を半分貯金して、年に2回の『VAN』の武道館セールに通うのが無上の楽しみでね。半年貯めても1、2個しか買えないから、ものすごく吟味しました。やっとの思いで買った綿パンは、一回履くたびに自分で丁寧にアイロンをかけていましたよ」。
1978年、大学卒業と同時にアパレル業界へ。奇しくも「VAN」が倒産したその年、「バラクータ」や「ピーターストーム」などの名だたるインポートを扱う「デスモンドインターナショナル」に入社した。そこで一流を“見る目”を養い、1983年には「和商インターナショナル」へ転籍。ブランドチーフとして国産ビジネスの荒波に揉まれることになる。
「展示会の運営から納期管理、さらには支払い回収の交渉まで、アパレル商売のいろはをここで叩き込まれました。当初はライセンス品の完成度が低く、サイズが小さすぎたり納期が遅れたりと問題山積で、一年分の在庫を抱えた絶望的なスタートでしたが、あの過酷な4年間があったからこそ、経営者としての骨格が作られたのだと思います」。
1991年に独立しOEM会社を設立。次第に自社ブランドへとシフトしていく。「レディスはメンズより市場が3倍大きい。自分が信じるアイビーの価値観を、女性に向けた新しいカテゴリとして提案したいという思いがありました」。
家族と歩んだ、「シンゾーン」の再定義
2001年、染谷さんは妻と、ロンドン留学から帰国した長男・真太郎さんとともに、表参道の路地裏に「シンゾーン」第1号店をオープンさせた。
「“デニムに合う上品なカジュアル”が唯一無二のコンセプトでした。当時はまだ珍しかったヴィンテージの『リーバイス』に、『ジミー チュウ』などのハイブランドのピンヒールを合わせる。そのミックススタイルこそが、ぼくらが提示した新しい上品なスタイルの答えでした」。
接客のあり方にも徹底してこだわった。冷徹な態度の店が多かった当時、あえて店内にソファを置き、お茶を出す“おもてなし”を導入した。
「ブランド名も『真太郎のゾーン』という意味を込めつつ、温かい心の場としておもてなしを大切に、という想いを込めました。商品をクールに見せつつ、接客はホットに。単なる小売店ではなく、顧客が徐々に発見するストーリーを大切にするコミュニティを作りたかったのです」。
ショップは瞬く間に服好きの女性たちの支持を集めた。特に象徴的だったのが、2013年のハンドブック発行や、あえて広告を打たない口コミによる浸透だ。
「流行を追うのではなく、スタイルを作ること。デニムと白Tシャツとパールという究極にシンプルなスタイルを、いかに日本の感性でリミックスして洒落て見せるか。それがシンゾーンの打ち出しでした」。