
物理学の偉大な発見の多くは、まず頭のなかで「美しい理論」を組み立て、最後に「では、これは現実と合うかな?」と実験で確かめにいくことで証明されてきました。
理論が先、検証があと、という順番です。
しかし今回の研究チームは、この順番をまるごと逆さまにしてみることにしました。
「弦があるはずだ」と最初に決めるのをやめ、代わりに4つの簡単な前提からを設定することから始めました。
最初の2つは「確率を全部足したら100%になる」(ユニタリ性)とか、「物理法則は誰にとっても同じ」(ローレンツ不変性)といった現在の物理学の基礎となるものです。
そこに条件を2つだけ添えました。
1つは「ものすごく高いエネルギーでぶつけるほど、粒子どうしはかえってぶつかりにくくなり、すり抜けていく」という条件(超軟性)。
もう一つは、同じルールを満たす答えのなかから、よけいな飾りのない”いちばんシンプルな形”を選ぶ、という条件(最小ゼロ点)です。
(※厳密には、基本としてユニタリ性・ローレンツ不変性と局所性・交差対称性などの整合性条件を土台に、追加として「超軟性」と「最小ゼロ点」の2つを重ねた構成です)
そのうえで「このルールだけを守るとしたら、いったいどんな理論が”許される”のだろう?」と問いかけました。
先に理論を決めず、最小限の前提から何が生まれるかを調べる手法(ブートストラップ)です。
感覚は、推理小説の犯人当てに近いかもしれません。
少ない手がかり(登場人物など)とルール(壁抜けやワープの禁止)から、論理だけで答えを1つに絞り込んでいくのです。
今回、その”当事者”は人間ではなく粒子でした。
また状況は「粒子同士がぶつかったとき、どう跳ね返り、どんな結果になりやすいか」です。
そしてこの設定から数式が何を語り出すかを、じっと見つめました。
すると、不思議なものが現れました。
数式は、「ある決まったパターンで、粒子の状態が次々に現れる」と告げたのです。
しかも、その粒子たちは、まるで階段のように規則正しく並んでいました。
一段のぼるごとに、少しずつ”重く”なり、少しずつスピンと呼ばれる量が増えていきました。
重さもスピンも、きれいに段階を踏んで増えていく——そんな”無限に続く粒子の階段”が、数式の中からひとりでに立ち現れたのです。
じつは、これこそ「ひも理論(弦理論)」の構造そのものでした。
弦理論では、この「振動の仕方」の一つひとつが、それぞれ別の”粒子”に対応すると考えます。
いちばんゆっくりした振動が、いちばん軽い粒子で振動が細かく激しくなるほど、重く、スピンの大きい粒子になるります。
これはバイオリンの絃と音の関係に似ています。
バイオリンの弦でも一本ぴんと張ってはじくと、まず「基本の音」が鳴りますがその上に、2倍、3倍……と規則正しく高い音が、いくつも重なって響きます(この上に乗る音を「倍音」と呼びます)。
たった一本の弦が、振動の仕方を変えるだけで、低い音から高い音までの”音の階段”をつくり出しているのです。
数式から現れた”粒子の階段”は、この弦の倍音と、そっくり同じ構造をしていました。
一本の弦が”音の階段”を生むように、一本の弦が振動を変えることで、軽い粒子から重い粒子までの”粒子の階段”を生み出す——それこそが、弦だけが残す”指紋”だったのです。
こうして、ごく単純な設定だけで、弦理論が数式の底からにじみ出てきたわけです。
研究を率いたカリフォルニア工科大学のクリフォード・チャン氏は、この瞬間を「弦は、ただ転がり落ちてきたのです」と言い表しています。
そして、さらに驚くべきことが待っていました。
弦は「現れた」だけではなかったのです——。
弦理論しか許されなかった

研究者たちがやったのは、簡単に言えば、条件を設置し数式を作らせていくことだけでした。
その結果、最初はさまざまな数式がうまれました。
しかし研究者たちがルールをもとに発生した数式を絞り込んでいくと、最後に残った答えは——弦理論の数式だけでした(※開いた弦・閉じた弦に対応する2種類の数式)。
これはただ単に弦理論が顔を出した、という話でだけでなく「ルールを守るなら、答えがこの形に絞られる」ということを示します。
かつては実験データを頼りに手探りで見つけた数式が、今度は簡単な4つのルールだけから、必然として立ち現れたわけです。
この結果を研究者たちは「ほぼ無からの弦(Strings from almost nothing)」という論文タイトルにして発表しました。
もっとも、「今回の研究=弦理論の完全証明」とまではいきません。
今回は理論研究であり、実験的な手段での証明とは毛色が異なるからです。
「これらの前提を認めるなら、答えは弦しかない」という点は確かですが、前提は崩れることもあります。
4つの前提のうちの2つ、確率を全部足せば100%になる(ユニタリ性)や物理法則は誰にとっても同じ(ローレンツ不変性)は物理法則の岩盤とも言える部分で、まず揺らぐ心配はありません。
しかし「ものすごく高いエネルギーでぶつけるほど、粒子どうしはかえってぶつかりにくくなり、すり抜けていく(超軟性)」や「よけいな飾りのない”いちばんシンプルな形”を選ぶ(最小ゼロ点)」は、最初の2つほど確立しているとは、まだ言い切れないのです。
それでも、「ごく少数の素朴な前提から、壮大な理論がまるごと導かれる」というのは、物理学の王道です。
実際、アインシュタインは、「物理法則は誰にとっても同じ」「光の速さは一定」というたった2つの素朴な設定から特殊相対性理論を築き、その帰結として「質量とエネルギーは同じ(E=mc²)」という関係を導き出した実績があります。
さらに今回の研究は弦理論そのものの進歩にもつながります。
一つは、「弦理論を弦理論たらしめている正体」が、はっきり見えたこと。
どの前提を認めた瞬間に、答えが弦に絞られるのかこれまで漠然としていた”弦らしさ”の急所が、くっきりと浮かび上がりました。
もう一つは、もし弦理論が間違っていたとしたら、いったいどの前提を外せば、別の理論にたどり着けるのか——その手がかりまで得られました。
弦理論家、カリフォルニア工科大学の大栗博司氏も、「もし弦理論が正しくないとして、別のモデルを探すなら、どの基本的な仮定を外せばいいのか——その問いが立てられるようになった」と、研究の意義を語っています。
実際、置いた条件をひとつ緩めてみると、弦とは少しちがう”いとこ”のような理論が顔を出すことも分かっています。
つまり今回の研究は、「弦理論が唯一の答えになる道筋」を示すと同時に、「弦理論を抜け出して、新しい理論を探すための道筋」でもあるのです。
人類は、銀河ほどの大きさの装置を、おそらく永遠に手にできません。
それでも私たちは、紙とえんぴつと、ほんの少しのルールだけを頼りに、「この宇宙は、本当はどんな姿であり得たのか」という問いに手を伸ばすことができたのです。
参考文献
String Theory Emerges from “Almost Nothing”
https://www.caltech.edu/about/news/string-theory-emerges-from-almost-nothing
元論文
Strings from almost nothing
https://arxiv.org/abs/2508.09246
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

