小学1年で不登校になった30代女性。彼女の父親は母親を責めて暴力をふるった。家庭内は荒れて女性は「死にたい」気持ちを抱えながらも、頑張って幼稚園教諭になった。20代後半で退職して上京。自分と同じような「生きづらい人を支えたい」という思いから支援団体で相談業務に就いたが、ある1本の電話で過去の性被害がフラッシュバック……。そして仕事もできなくなり、女性は家にひきこもるようになった。(前後編の前編)
自分が学校に行かないと母親が責められる
ひきこもりの居場所で初めて会ったとき、坂上美幸さん(仮名=30代)はひときわ目を引く存在だった。
きちんとメイクした清楚な顔立ちにさらさらのロングヘア。スラッとした体形はモデルのようだ。
「私の生きづらさは周りから見てわかりづらいんですよ。なんでそんなにちゃんとできているのに、社会復帰につながらないのってよく言われます」
最初につまずいたのは小学校の給食だった。ミカンが出たが、坂上さんはどうやって皮をむくのかわからなかったのだ。
「私の母親は、私が困っていることを先回りして全部やっちゃう。母自身は放っておかれて育ったので、それが母なりの愛し方だったんですが、私は失敗するという経験をしていないんですよ。
ミカンの皮をむくのも初めてで、グチャグチャになっちゃって。仕方なく残したら、まだ『給食は残してはいけません』という時代だったから、先生に怒られて……。
ジャムの小袋もソフト麺の袋も開けられない。それで給食の時間になると緊張しちゃって、学校に行くのがツラくなってきちゃったんです」
学校を休むと父親や祖母が「お前の育て方が悪いから行けないんだ」と母親を責めた。
母親は泣きながら娘に「あなたのせいで私が怒られる」と当たった。
坂上さんが生まれ育った家は3世代同居で、父親は地元の大手企業勤務で母親は専業主婦。周囲も古くからの家が多い保守的な地域だ。
坂上さんが人目を避けて家にいると、同じ町内の人が家に来て、祖母や母親の見ている前でこんこんと説教された。
学校に行けないことを心配して善意で力を貸してくれているのはわかったが、坂上さんに残ったのは「自分のせいで親に恥をかかせて申し訳ない」という罪悪感だ。
「一緒に死んでほしい」と母親に川に沈められる
不登校が1年続くと、父親が母親に暴力をふるうようになった。胸ぐらをつかんでお腹を殴ったり、髪の毛を引っ張ったり。坂上さんは日中、祖母にトイレや押し入れに閉じ込められたりした。
ある夜、母親に妹と一緒に連れていかれたのは近くの山だ。
「私はもう、あなたたちを育てられなくなった。一緒に死んでほしい」
そう言われて3人で川にザバザバ入っていくと、母親に川の中に沈められた。
だが、坂上さんが暴れて逆らったせいか、途中で母親はあきらめて泣き出してしまう。濡れたまま家に戻った。
「母親が包丁を持ってきて、『今から一緒に死のう』みたいなことも、しょっちゅうありました。ご飯の途中で両親の喧嘩が始まると、お皿がひっくり返って、物が飛び交う。
でも、泣くと父親に怒られる。思い通りのリアクションじゃないと父親がキレるんです。
だから、震えながら何の味もしないご飯を淡々と食べて。そのうち、相手が望んでいそうなリアクションを取るのが癖みたいになりましたね」
学校に行けるようになったのは、母親が教師と何度も話し合ってくれたおかげだ。
2年のときの担任教師は毎朝家まで迎えに来て、「給食を残してもいい」と言ってくれた。母親に付き添ってもらい登校を開始。少しずつ1人で教室にいる時間を延ばし、3年生からは1人で行けるようになった。
坂上さんが4年生のとき、妹が入学してきた。妹はあまり勉強が得意ではない。できないことが増えると学校を休みがちになり、中学からは不登校になった。
「妹は、当初はただのひきこもりだったけど、そのうち、親に対してめちゃめちゃ怒り出したんですよ。『全部、あなたたちのせいだ!』と殴りかかったり、物を壊したり。
深夜に暴れることが多くって、私も、突然の物音が怖くて眠れなくて。常におびえる状態が続いていました」

