ご主人と交わした、たったひとつの会話
ある日、ゴミ捨て場で偶然、向かいのご主人と一緒になりました。会釈だけで通り過ぎようとしましたが、つい言葉が出てしまったのです。
「奥様、夜勤大変ですね」
言ってから、自分の言葉に少し気まずさを感じました。何を知っているわけでもないのに、知ったかぶりをしてしまったような気がして。ところがご主人は、嫌な顔ひとつせず、穏やかに頭を下げました。
「妻のおかげで、なんとかやってます。患者さんを見守る仕事なので、誰かがやらないと回らないですから」
ぼそりと付け加えられたその言葉に、私はゴミ袋の取っ手を握り直しながら、もう一度頭を下げるのが精一杯でした。
そして...
家に戻ってから、しばらくキッチンに立ち尽くしました。私たちがあれこれ想像していた「あの家」には、毎日早起きしてリュックに水筒を入れているご主人がいて、夜勤明けの妻を待っている家族がいる。
それだけのことなのに、私は他人の生活を勝手に物語にして、笑い話にしていたのです。次のママ友の集まりで、誰かがまた向かいのお宅の話をしようとしたとき、私はそっとお茶を差し出しながら、話題をそらしました。
何も知らないままでいる権利は、誰にだってある。あの家のご主人の頭の下げ方を、私は忘れずにいたいと思いました。
(30代女性・専業主婦)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
