「なぜ人はエルメスやシャネルに憧れるのか」。そこには単なる品質や値段では説明できない、“ラグジュアリ”ならではの特別な仕組みがある。レクサスとロールスロイスの違いから、私たちが高級ブランドに惹かれてしまう心理とビジネスの裏側を読み解く。
『贅沢と欲望の経営史 あなたはなぜ今日もスタバに行ってしまうのか』より一部抜粋、再構成してお届けする。
ラグジュアリとは何か
読者のみなさんは「ラグジュアリ」とは、シャネルやエルメスのような超高級ブランドのこと、と考えるかもしれません。
しかし、「ラグジュアリ」は、単に高価なモノを指す言葉ではありません。
フランスのマーケティングの権威、ジャン=ノエル・カプフェレ教授は、『ラグジュアリー戦略』(2011年)や『カプフェレ教授のラグジュアリー論』(2017年)等の著書の中で、ラグジュアリの定義やマーケティング手法を独自に掘り下げています。
ラグジュアリの起源は18世紀までさかのぼります。
哲学者のヒュームは、ラグジュアリと道徳を切り離して、「いいモノを楽しむのは悪いことじゃない」と論じました。
つまり、ラグジュアリは「いいモノを楽しむこと」であり、これがポジティブな贅沢の始まりといえます。
19世紀になると、産業革命で生活水準が上昇し、より多くの人が贅沢を楽しめるようになり、特に女性たちの間でラグジュアリが浸透していきました。
カプフェレ教授は、これを「平和主義者の女性社会」と呼びました。カプフェレ教授は、ラグジュアリには「依存症的な効果」があるとも言っています。
たとえば、ドン・ペリニヨンのシャンパーニュやエルメスのバッグを体験した人が、もう普通のシャンパーニュやバッグに満足できなくなるといった現象です。
この「戻れなさ」が、ラグジュアリ・ブランドの強さでもあります。
ラグジュアリとプレミアムの違い
20世紀には、誰でも「ちょっといいモノ」に手が届くようになり、「ラグジュアリの自由平等化」とも呼べる流れが起きます。
だけど、それと引き換えに、ラグジュアリ本来の特別感が薄れてしまうリスクも出てきます。
ここで注意したいのが、「プレミアム」と「ラグジュアリ」の違いです。
プレミアム・ブランドとラグジュアリ・ブランドの違いは性能・品質ではありません。
「トヨタ・レクサスはプレミアム・ブランドであって、ポルシェ、ロールスロイスのようなラグジュアリ・ブランドではない」と言う表現は次のような意味を持ちます。
レクサスは1989年にトヨタ自動車が「最高の品質を合理的な価格で」提供するために戦略的に作り上げたブランドです。
この「合理的・戦略的」な出自そのものが、歴史や伝統を重んじる欧州の伝統的なラグジュアリ観からは「極めて優れたプレミアム・ブランド」と映る理由でもあります。
レクサスは、自動車としての走行性能・実用的価値・コストパフォーマンスでおそらく世界最高でしょう。
これに対して、欧州のラグジュアリ・ブランド・カーは、第一に、歴史、伝統、芸術性、物語といった精神性に重きを置き、合理性やコスパを超えたところに価値があります。
第二に、唯一無二のアイデンティティが重要であり、極端な話、使い勝手が多少悪くてもそれが「味」として許容されます。
第三に、ラグジュアリー・カーは、本質的に排他的で、誰でも買えるわけではないという希少性を維持するため、あえて生産台数を絞ったり、顧客を選んだりします。
たとえば、1990年代にプレミアム・ブランドの代表格であるロレアルがラグジュアリ・ブランドのランバンを買収したり、世界最大の消費財メーカーであるP&Gやユニリーバが高級化粧品に手を出したり、大量生産車の代名詞であるアメリカ・フォード社がラグジュアリ・ブランドであるイギリスのジャガー社やアストンマーティン社を買収して効率経営を目指しましたが、どれも結果的にはうまくいきませんでした。
つまり、大量生産・効率化のビジネスロジックは、ラグジュアリの世界とは相性が悪いのです。
逆に、自動車業界のラグジュアリの代表格・メルセデス・ベンツが、販売台数拡大戦略をとり、あらゆる市場セグメントにさまざまな車種を投入する下降戦略をとりましたが、失敗してしまいました。
ラグジュアリ・ブランドが「下降」戦略でラグジュアリから退出するのも容易ではないのです。

