雄太が九州の田舎町へとやって来たのは、足を骨折した妻の父が回復するまで身の回りの世話をするためだった。その義父が営む昔ながらの写真館の仕事を手伝いながら、雄太は、東京にいる妻と娘との間で、スマホで撮った映像を交わす。大きな事件は何も起こらないが、日々の些細な出来事と、その記録と記憶の連なりに、家族の人生という長い時間の存在が、静かに、鮮やかに浮かび上がってくる──。
雄太役に柄本佑、父の面倒を雄太に託して東京で仕事と子育てを続ける妻・ゆき役に穂志もえか、そして雄太の義父・誠役にイッセー尾形を迎え、頼るでも断るでもなく、言葉少なに雄太との日々を淡々と過ごす誠を変幻自在に演じる。監督・脚本を務めた坂⻄未郁は本作『メモリィズ』が初の長編作品となる。
予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、『メモリィズ』の坂⻄未郁監督に、本作品や映画への思いなどを伺いました。
誰もが日常的にスマホで映像を撮れるこの時代に
池ノ辺 本作『メモリィズ』は、監督の初めての長編作品だそうですね。しかもオリジナルの作品ということで、いろいろ大変なこともあったと思うのですが、本作が生まれることになった経緯から伺えますか。
坂西 まず、本当に自分はついていて、運がいいなと感じています。この企画の経緯は、最初に大分県の別の市で短編映画を撮るという企画があったんです。たまたまそこに大学の先輩が居られて、お声がけいただきました。
池ノ辺 最初は、短編映画に取り組んでいたんですね。
坂西 ええ、予算がそれほどないということと、僕はもともとスマホで撮る映像に興味があったので、それで何かできないだろうかと考えたんです。僕の高校時代あたりからスマホが発売されはじめていて、みんながいくらでも映像を撮れるような時代になった。決定的な瞬間はもちろん、決定的じゃない瞬間も含めて撮る、記録するという行為がすごく日常的になっている。そのことに興味があったんです。なぜこんなにみんな映像を撮っているんだろう、これがこの先どうなっていくんだろうと思って。そこから、単身赴任する父と残された家族が、スマホで映像を送り合うという、スマホだけの短編映画みたいなものが撮れないかなと思って、短編の企画をスタートしていました。
池ノ辺 それはどうなったんですか。
坂西 それが、その企画そのものがなくなったんです。そのことを大学卒業以降ずっとお世話になっているプロデューサーの孫家邦さんに話したら、「それを長編にして脚本を持ってこないか」と言われました。それで長編の脚本を孫さんに渡したら、これを撮ってみようかと言ってくださったんです。それがこの映画のスタートですね。
池ノ辺 町おこしのような企画があったけど、それがなくなったと思ったら、そこからチャンスが広がっていったという感じなんですね。
坂西 そうですね、その流れになります。
「映像」によって想起された父との日々
池ノ辺 今回は「記録」「記憶」がテーマということですが、映像ということではお父様の影響があったと伺いました。
坂西 まず僕の父が、ソニーの音楽の会社で、ミュージックビデオなどの監督をしていた坂西伊作という人物で‥‥。
池ノ辺 すごく有名な方なんですよね。
坂西 有名なんです (笑)。その影響で、幼い頃から「映像」というのはすごく身近にあったわけです。撮影の現場にもよく連れていってもらって、実際、父のミュージックビデオに、僕が記憶する限りでは2本出ていて‥‥。
池ノ辺 「未郁も出るぞ」って言われて (笑)。
坂西 そうです、そうです (笑)。で、その時にはなんかこう無意識的に恥ずかしさみたいなものがあって、それは、いい思い出なのか、なんかちょっと嫌な思い出なのか、その間のような記憶でした。撮影現場以外にも編集するようなところに連れていってもらったり、音楽を作る過程みたいなところを見学させてもらったりということがあったんですが、そんな父が、僕が高校生の時に亡くなってしまったんですね。
池ノ辺 そうでしたか。
坂西 父は本当に仕事が好きな人だったので、あまり家にもいなかったし、たぶん職業柄でしょうけど、単純に「朝起きて夜帰ってくる」人ではなくて、昼夜逆転のような生活をしていたんです。それで、自分の中で父の死に決着がつけられないと思った時に、「父が生きてるか生きてないか曖昧にして生きていこう」と決めたんです。そうやって生きてきたんですけど、僕が映画の道に進むというのを決めたところから、「坂西伊作」という名前を聞いた先輩から「このビデオはお父さんが撮ったやつでしょ」とかいろいろ聞くわけです。それで、やはり父と向き合わなければいけないと、そう思う瞬間が来て、僕が出ていたミュージックビデオのことを思い出して、見直したんです。
池ノ辺 何のミュージックビデオだったんですか?
坂西 GAKU-MC (ガクエムシー) というラッパーの方のMVです。そのMVを見直した時に、作品の内容よりも、父との日々とか父との関係性など、言語出来ない感覚が溢れてきたんです。それで、最初に言ったような、スマホの映像が、将来どうなっていくんだろうという興味とともに、たくさんの人が日常に映像が付随した生活をしていて、映像というものから同じ体験ができる、同じ感覚を得られる、そういう時代がきたんじゃないかと思ったんです。
池ノ辺 それは時間も関係するのかもしれませんね。
坂西 それもあるかもしれません。例えば、自分の父親や母親が亡くなったという人で、スマートフォンにその父や母が残した映像が残っている人は多いと思うんです。それを見た時に、言語化できない感情というものが一緒に生まれるんじゃないかなと。それは、文章とか言葉で話すというよりも、映像、つまり映画にした時の方が、より近い体験が得られるんじゃないか。今回、長編にする時に、そういった父と映像との関わり方を反映させたということは言えると思います。
池ノ辺 それはお父様が撮った映像を見ることによって、お父様がどんなふうに仕事をしていたかがわかるようになったということですか。
坂西 父がどういう人だったかというよりも、父との日々が想起された、思い出されたということですかね。自分が蓋をしていたものが溢れ出てくるような、思い出せずにいた記憶が思い出されるような感覚ですね。そうした人間の脳の不思議さということも含めて、この作品を作り上げる時の思いとしてありました。
