初めてのはずのお店で
テーブルにつくと、彼はメニューを開くこともなく注文を済ませました。雰囲気のいい隠れ家のようなイタリアンで、店員さんも彼に親しげな様子です。料理を待つあいだ、私はその慣れた振る舞いがどうしても気になっていました。やがて彼が窓の外を見ながら、ふとつぶやきました。
「ここ前来たよね」
私は思わず手を止めて、彼の顔を見ました。
「え、来てないけど」
私は、このお店に来るのは初めてだったのです。彼は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに笑ってごまかしました。
彼だけが知っていた味
食事が進んでも、私の中の小さな引っかかりは消えませんでした。店員さんは彼に親しげに話しかけ、彼が頼んだのは私の知らない常連向けのメニュー。どう見ても、彼はこのお店に通い慣れているようでした。思い切って、私は尋ねました。
「ここ、誰と来てたの?」
彼はワインを一口飲んでから、少しも悪びれずに答えました。
「ああ、元カノと何回か。いい店だから覚えてたんだ」
その軽さに、私はかける言葉を探したまま、グラスの水面をただ見つめていました。
