圧倒的な歌唱力と革新的なダンスで、時代や国境を越えて愛され続ける“キング・オブ・ポップ”ことマイケル・ジャクソン。その人生を描いた映画『Michael』が、6月12日に日本で公開される。アメリカではすでに大きな話題を呼び、続編の制作も進行中だ。
なぜ彼は「人類史上最も成功したエンターテイナー」と呼ばれるのか。マイケルに詳しい音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんに、マイケルの魅力と革新性、そして音楽業界に打ち立てた金字塔について話を聞いた。
少年マイケルが持っていた歌声の“不思議なギャップ”
――改めて、マイケル・ジャクソンは何が“すごい”人だったのでしょうか?
高橋芳朗さん(以下、同) 一言で表すとしたら、「ポップミュージックそのものの地図を描き替えた人」です。「キング・オブ・ポップ」と呼ばれ、「人類史上最も成功したエンターテイナー」としてギネス世界記録に認定されていますが、彼がすごいのは記録の大きさだけでなく、音楽を“総合芸術”のレベルにまで突き詰めた人でした。
――音楽を“総合芸術”のレベルまで突き詰めたとは、具体的にどういうことですか?
「音楽」「声」「ダンス」「映像」、そのすべてを一つに統合し、音楽を“聴かせる”のではなく、“体験”として届けた。さらに人種や国境を越え、黒人アーティストが世界のポップの真ん中に立てる道まで切り開いた。今のポップミュージックは彼が引いた線の上に成り立っていると言っても過言ではありません。
――「音楽」では、何が“異次元”で革新的だったのですか?
マイケルの音楽は、ひと言で「これは何のジャンル」と言い切れないところがあるんです。つまり、黒人音楽が育ててきたグルーヴやリズムの豊かさを土台にしながら、「ロック」のエネルギーと「ポップ」の普遍性を兼ね備え、さらに「ヒップホップ」の反骨精神や「ストリート」の感覚までも組み込んでいった。
いろんな要素が一つの曲の中に同居しているんです。しかも、それを特定の誰かに向けてではなく、誰もが入っていける「間口の広いポップ」として、完璧に計算して作りあげた点ですね。
――マイケルの「声」の魅力についても教えてください。
彼の歌声は、「幅」が広いのが魅力です。少年みたいに澄んだ高音から、大人っぽい色気のある低音まで出せる。まるで一人の中に何人ものシンガーが存在しているように、自由自在に操っている。あとは声を「楽器」として使いこなす能力です。
彼のトレードマークである「フー!」「ヒーヒー!」といった合いの手や息遣いは、単にメロディーの飾りではなくて、リズムやグルーヴそのものになって音楽の推進力を高めている。歌声が音楽の上に乗っているのではなく、組み立ての一部になっているんです。
――マイケルの歌声はやはり「ジャクソン5」(マイケルを含む兄弟5人の音楽グループ)時代から突出していたんですか?
そうですね。子どもならではの可愛らしさと、大人顔負けのグルーヴが同居した“不思議なギャップ”が少年マイケルのインパクトの正体だったと思います。
彼の歌声を初めて聴いたモータウンの社長が「この歌声には長い苦悩と悲哀の人生を生き抜いてきた男の持つ悲しさと情熱が感じられた。子どもなのに信じられない」と書籍に綴っています。
ダイアナ・ロスやスティーヴィー・ワンダーなど偉大な歌手の歌声を聴いてきた社長を圧倒させるだけの才能が、子どものころからあったということですね。
「黒人が表紙だと売れない」マイケルが挑んだ“人種差別”の壁
――ムーンウォークも含めた「ダンス」は何が革新的だったのでしょうか?
彼のダンスはテクニックが注目されがちですが、その本質は「音楽を身体で翻訳している」ところです。音が鳴る前に身体が反応し、静寂と同時に止まる。動きがサウンドと完全に一致してるんです。声だけでなく身体も“楽器”と捉え、音楽を“可視化”させた。
さらにムーンウォークや『スリラー』のゾンビダンスなど、彼のダンスは世界中で模倣されていきました。SNSのない時代に「地球規模のミーム」が起こるぐらい、国境を越え、人の心を動かす力がありました。
――マイケルはMV(ミュージックビデオ)を変えた存在とも言われていますが、具体的に何が変わったのでしょうか?
それまではMVは基本的に曲を売るための宣伝素材でしかなかった。でもマイケルは自身の映像作品を「ショートフィルム(短編映画)」と呼び、音楽と映像が一体となった一つの独立した作品を完成させたんです。
『ビート・イット』では本物のギャングをキャストに迎え、当時深刻だったアフリカ系同士の暴力に対する問題提起まで行ないました。『スリラー』ではホラー映画の一流スタッフを迎えて、14分にも及ぶ映像作品を作りあげました。
その衝撃度は、時代を象徴する“事件”そのもの。以降、業界全体のMVにかける予算やクオリティの基準が一段も二段も引き上がっていきました。
――改めて、マイケルが現代のアーティストや音楽業界、そして社会に与えた影響を教えてください。
1981年に誕生したMTVでは当時、「黒人の音楽は流さない」という暗黙の了解がありました。その壁を打ち破ったのが、マイケルの『ビリー・ジーン』でした。
90年代以降、ヒップホップの台頭とともに、ブラックミュージックがものすごい勢いで拡大していくんですが、それはマイケルの突破口があったからと言っても過言ではありません。
――マイケルは“人種を越えた存在”とも言われていますが、当時のアメリカでは人種差別がまだ色濃く残っていたんですね。
マイケルが本格的にソロのキャリアを歩み始めたとき、アルバム『オフ・ザ・ウォール』が破格の大ヒットを記録したんですが、音楽雑誌「ローリングストーン」に表紙を断られているんです。理由は「黒人が表紙だと売れないから」と…。
当時のアメリカではまだ黒人差別が根強く、音楽業界でも「黒人アーティストを『ブラックミュージック』という枠に押し込める」空気がはっきりとあった。マイケルはそういった差別を作品の力で打ち破っていきました。
彼のアクションがなかったら、のちのヒップホップの台頭に伴うブラックミュージックの躍進もどうなっていたかわかりませんし、今の音楽の景色は微妙に違うものになっていたのではないでしょうか。

