2022年4月にデビューしたガールズケイリン選手・河内桜雪さん(23)は『ジャンクSPORTS』『ぽかぽか』など、メディア出演も多く、いまやガールズケイリンの広告塔ともいえる存在だ。2025年9月には弥彦F2ガールズというレースで念願の初優勝をつかんだ。
だが華やかな表舞台の裏には、過酷な養成所生活や壮絶なケガとの闘いがある。河内さんの素顔と強さに迫った。
競技のきっかけは「中村アン」がいる舞台
──競技を始めたきっかけは?
河内桜雪さん(以下同) 小学6年生のとき、地元・前橋競輪場ではじめてガールズケイリンを見たんです。歓声がすごくて、人もびっしり。タレントの中村アンさんが来ていて、「なんだこの華やかな世界は!」と圧倒されたのを覚えています。
もともとスポーツが好きで、新体操で進学しようと願書まで書いてたんですけど、提出2日前に「やっぱり競輪選手を目指そう」と決めました。
──実際に競技を始めたのはいつ頃?
小6からですね。父がもともと競輪選手を目指していたので、練習ができる環境は整っていました。中学でも自転車競技の大会には出ていましたが、本格的に取り組み始めたのは、前橋工業高校の自転車競技部に入ってからです。部員は男子ばかりで、女子は私ひとりでした。
──前橋工業高校は多くの競輪選手を輩出している強豪校ですよね。女子ひとりで抵抗はなかったですか?
最初は「3年間のうちに女子が入ってくるだろう」と思っていたんですが、結局卒業までずっとひとりでしたね(笑)。練習は本当にきつかったです。平日は朝4時30分に起きて、6時に集合して60km走り、そのあと授業を受けてから、また走る。平日は100km走るのが当たり前で、土日は200km走っていたので、よく耐えられたと今でも思います。
男子と練習メニューは同じなのに、体力差がある分どうしても置いていかれることが多くて。先生が車で拾ってくれて追いついて、また離れて……の繰り返しでした。でも周りは女子としてではなく、仲間として接してくれていたので、それがすごく支えになりましたね。
内臓破裂かと思った、壮絶な落車
──在学中は全国高校選抜4位の結果を出し、その後プロの競輪選手になるため「日本競輪選手養成所」に進みました。養成所での生活はいかがでしたか?
約300日間の全寮制で、それはもう過酷でした。朝6時半に起床すると、外で点呼があって、「1、2、3、4!」と号令がかかります。夜は22時消灯で、21時にはテレビも消されます。
携帯電話は日曜日の2時間だけ触れるのですが、その時間にみんなが一斉に食堂で触るという感じでした。3人部屋でプライベートもほぼなし。ちょうどコロナ禍だったので外出も禁止でした。
──自由がまったくない生活ですね。休みの日はどう過ごされていたんですか?
休みの日は体力に余裕があれば卓球をしたり、DVDは送ってもらえれば観られたので、それを観たりしていました。あとはひたすら寝ているか、という感じですね。
──選手になってから大変だったことは?
生活リズムが崩れることですね。1シリーズは基本3日間開催なんですけど、ミッドナイト開催のときはリズムが完全に夜型になります。最終レースが23時スタートで、終わってから片づけをして、入浴してごはんを食べたら、だいたい深夜2〜3時。そこから昼の12時くらいに起きる生活が続く感じです。
逆にモーニング開催のときは、夜8時に寝て朝5時起き。まるで真逆の生活になるので、身体がなかなか追いつかないんです。ミッドナイトのあと生活リズムを戻すのが大変で、翌日の夕方まで限界まで起きて、そこで早めに寝てリセットしています。
養成所のときは生活がきっちり決まっていたのに、今は朝のレースがあったり、夜11時に走ったり。生活リズムを整えるのが大変で、いまだに慣れないですね。
──ガールズケイリンといえば、時速約60kmで走る危険を伴う競技のため、ケガも大変ですよね。これまでで一番大きなケガは?
あるレースで落車して、サドルが股関節にぶつかって、その衝撃で下腹部が裂けてしまったんです。大量出血で、最初はどこが切れているのかもわからない状態で、「内臓が損傷しているかもしれない」と言われました。看護師さんから母には「覚悟したほうがいいかも…」と伝えられたようです。
幸い、緊急搬送されてすぐに内臓の損傷が無いこともわかり、縫合してもらい、助かりました。たぶん新体操をしていて体が柔らかかったから、大事に至らなかったんだと思います。
──試合にはいつ復帰できましたか?
3〜4日後にはもう走ってました。休むほうがかえってツライんですよ。1週間も休むと筋肉が落ちるし、感覚も鈍る。現役でいる限り、長期の休みは取れないです。ガールズケイリンは入れ替わりが激しくて、出走機会や成績維持が重要なので、安易に休めないという事情もありまして。
──それだけの大ケガを経験しても、レースに対する怖さはありませんか?
ないですね。怖がっていたらレースにならないですから。私は「怖くない」って思うようにしてます。
──そうした日々の積み重ねが、2025年9月・弥彦F2ガールズでの初優勝につながったわけですね。
65回目の決勝で、デビュー4年目にしてやっと優勝できました。ここまで優勝できなくて苦しい思いもしてきましたが、本当に2025年はいい年で終われましたね。

