永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は石破茂(下)をお届けする。
田中角栄の遺言と石破の政界デビュー
石破茂の政界入りに「親父さん(石破二朗元参院議員、元鳥取県知事)の遺志を継がなくてどうする」とハッパをかけた田中角栄元首相は、石破自身が最も敬愛した「政治の師」でもあり、常々、田中派の若手議員などにこう言っていた。
「大臣は1回ならちょっとした努力でなれる。2回となると、かなり努力する必要がある。幹事長など党3役も同様、相当な努力が必要だ。しかし、総理大臣は努力だけではなれない。運があるかどうかだ」
令和6(2024)年9月、そんな石破は岸田文雄首相の退陣を受けて自民党総裁選に臨み、決選投票で高市早苗を破って勝利を収め、10月1日に晴れて第1次内閣を発足させた。
石破にとって総裁選は、じつに5回目のチャレンジ、ようやく手にした「天下」ではあったが、この背景には先の田中いわく「運があるかどうか」が大きく左右したようだった。
折から総裁選前には旧安倍派を中心とした派閥の裏金問題で、自民党は世論から「政治とカネ」の猛バッシングを受けて支持が低迷しており、これらの問題とは距離があるとみられていた石破に、まさに運が回ってきたのである。
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「首相でなく評論家止まり」党内ベテランの痛烈評価
しかし、残念ながらこの石破内閣は、発足早々からほころびを見せつけることになった。
まず、組閣や党役員人事を自らに近い議員で固めたことに、党内から「挙党一致からはほど遠い」と反発の声が強まった。同時に、党内の反主流派からは「早期解散で政権は国民の審判を仰ぐべき」の声が高まり、石破はそれならと政権基盤の強化を狙って、10月9日に衆院を解散するという挙に出た。
政権発足からわずか8日での解散は戦後最速、しかも結果は自民、公明両党で過半数を割り少数与党に転落するという、石破は好運から一転、運のなさを露呈したのである。
11月に入って、からくも第2次内閣を発足させた石破ではあったが、少数与党の政権運営は野党の意見に耳を傾ける「熟議国会」と一変、実態は野党の要求をのまなければ何も決められない状態であった。
当時の反主流派ベテラン議員は、のちの石破退陣後に、その政権運営をいささか厳しく批判していた。
「一貫して、石破首相はリーダーシップを発揮できなかった。高額療養費制度や年金制度改革では野党に押され、方針が二転三転した。また、トランプ大統領にふっかけられた日米関税交渉も妥結まで半年を要するなど、これも政権浮揚にはマイナスとなった。
こうした政権運営の遅滞は、結局、首相の周りに人がいないことを明らかにした。少数与党下で野党との交渉は森山裕幹事長だけといったありさまだったが、この森山氏も首相が一時検討した消費税減税では反対に回るなど、足並みは万全とは言い難かった。また、自ら旗を振った防災庁の設置や地方創生の再起動などにも、支持は広がらず道半ばで終わってしまった。
振り返れば、首相は党内野党としての政権批判にはキレがあったものの、自らが党を率いて難局を切り抜けるという手腕には乏しかった。党内には『あれでは首相でなく評論家止まり』との声もあり、首相として、何がしたいのか分からぬところがあった。結果は“やはり野に置けレンゲ草”ということではないか」
