聞こえてきたのは、低い男の声だった
ヘッドセットの配線がゆるんでいたことに、俺は最後まで気づきませんでした。相手の声は、俺の耳だけでなく、パソコンのスピーカーからも部屋中に漏れ続けていたのです。
はじめのうちは、いつもの可愛らしい声でした。けれど相手の側で一度音声が途切れ、戻ってきたとき、ボイスチェンジャーが入れ直されていなかったのでしょう。加工の外れた地声が、そのまま同じスピーカーから流れ出します。「おーい、聞こえてる?ごめんごめん」。慌てて開いたプロフィールには、自称20代の女の子ではなく、50代くらいの男性の情報が並んでいました。俺をわかってくれていたのも、疲れさせなかったのも、ずっとこの人だった。そう理解した瞬間、自分が何を選んできたのかが、急に恐ろしくなりました。
そして...
彼女が上着を手に取り、振り返らずに言いました。「一緒にいて疲れない相手が、会ったこともない50代のおじさんで、本当によかったね」。何か言おうと口を開いた俺の前で、玄関のドアが閉まりました。疲れないと信じた相手に、俺は現実のすべてを後回しにしていたのです。机の端で冷めきったコーヒーに、俺は初めて気づきました。
(20代男性・会社員)
本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。
(ハウコレ編集部)
