深夜3時。多くの人が寝ている時間に、八丁堀の立ち食いそば店「そばのスエヒロ八丁堀店」には客が途切れることなくやって来る。現在は午前1時から営業し、立ち食いそば好きの間では名店として知られるこの店に、人々はこの時間、何に惹かれてのれんをくぐるのか。常連たちに話を聞いた。(前後編の後編)
タクシー運転手、大工、深夜3時に「立ち食いそば」を食べる理由は?
まず話を聞いたのは、40代の個人タクシー運転手の男性。リニューアル前の2021年以前から通っていて、週2回ほど、この時間帯に立ち寄るという。
「この時間にやってるって言ったら、ラーメン屋とか牛丼屋ばっかでしょ。そば屋が開いてるっていうのは貴重だよね。仕事が夜型だからね。終わってから最後にここで食べて帰る感じかな」
食べていたのは、温かいそばに春菊天と生卵を入れ、いなり寿司を追加した組み合わせだ。
「俺にとって、そばに生卵は絶対だね。日本そばを食べるときの定番だから。いなりも酢がきいていておいしいよ」
スエヒロには、絶対的名物の「ゲソ天」がある。多くの人がこれを目当てに来るが、常連ともなれば、それぞれが好きな組み合わせを見つけて食べている。
一つひとつの天ぷらやトッピングが安いうえに、春菊天や紅しょうが天など、一部の天ぷらは「半分注文」もできるため、組み合わせの幅も広い。
食べながら、常連たちの慣れた様子のトッピングを聞き、参考にして次の来店に備えるのも、この店で食べる楽しみの一つだ。
とり天、ゲソ天、玉ねぎ天……と、次々に天ぷらを注文していたのが、40代の大工の男性だ。
「仕事でこの近くに来たときだけ立ち寄るんだけど、来るときは1週間続けて来ることもあるよ。朝までやってるから、夜に仕事してから来るとちょうどいい。魅力? そりゃもう天ぷら。ボリュームがあるから」
仕事で疲れた体に、温かいそばと天ぷらが入る。そのわかりやすさも、スエヒロの強さだろう。
次に聞こえてきたのは「うどん 並盛」。天ぷらもつけず、そばではなくうどん。正直、2年以上通っていて、初めて聞く注文だった。
注文していたのは、着物姿の女性。そのまま慣れた様子で席に着き、立ってうどんをすすりはじめる。
話を聞くと、女性は東銀座でバーを営む女将・福宮ゆう花さん。24時間営業のゴルフスクールに通った帰りや、仕事終わりに立ち寄ることが多く、通い始めて10年ほどになるという。
着物姿で店にやってきた若女将
スエヒロのいちばんいいところは何か。そう聞くと、即答だった。
「時間です。時間。もう、それが一番です!」
いまは牛丼チェーンやファストフード店でも、深夜の数時間だけ営業を止める店が珍しくない。福宮さんも、銀座で仕事を終えたあと、この時間に入れる店がかなり少ないと話す。銀座8丁目から帰ってくる途中にも、選択肢は多くないという。
ただもちろん、スエヒロを選んでいるのは、開いているから消去法で…というわけではない。
「立ってサッと食べられるのがいいんです。こういった仕事をしていると、どうしても熱心なお客さんとかいらっしゃるじゃないですか。店が終わっても、ずっとくっついてきちゃうお客さんとか……。だから、ここで一緒に食べて、『バイバイ!』みたいにすると、すぐ終わるのでいいですよね。あ、この話は記事にしないでくださいね!(笑)」
普段から接客に慣れ、人と話すことを仕事にしている女将だが、店を出たあとは別モードだ。そうした切り替えの時間としても、スエヒロの空気は合っているのだろう。
「ここでは食べて帰るまで、誰にも何も話しかけられないのもいいですね。黙々と食べて、さっと食べて帰るだけ。ほかの客のみなさんも、長居するつもりもなくて、さっと食べて、さっと帰っていく感じ。仕事終わりの人、仕事始めの人がすれ違う時間帯で、この時間には独特の心地よさがあります」
深夜のスエヒロでは、客同士が言葉を交わすことはほとんどない。だが店内には妙な一体感があり、決して広くない空間を譲り合いながら、それぞれが静かに食べている。深夜3時には、そういう時間の良さがある。
タクシー運転手、大工、女将。みな、仕事終わりに立ち寄っていた。そして次に会ったのは、これから仕事に向かうという男性だった。
京橋で喫茶店を営む69歳の男性。なんと15年ほど、ほぼ毎日この時間に通っているという。
「この時間帯は他にどこもやってないし、ここはおいしいしな。朝のこの時間はごはんじゃ重いし、おそばだとちょうどいいんだよ。でもこの店、月曜日だけは5時半からスタートだろ? だから、月曜日だけはほかの店に行くんだけど、比べちゃうとやっぱりこっちのほうがおいしい。おつゆがおいしい」
毎日頼むのは、かき揚げか、とり天。長く通っても飽きないのは、天ぷらを変えながら食べられるからでもあるようだ。ゲソ天についても、「今ちょっと歯が悪いから食べてないけど、ゲソがでかくていいよね」と笑った。

