宇宙人や怪獣よりも恐ろしい存在
孤児である少女と怪獣との心の交流を描いた「まぼろしの雪山」は、『ウルトラマン』を企画した金城哲夫氏自身が、ウルトラマン=善、怪獣=悪という善悪二元論に疑問を呈したエピソードとなっています。このテーマは、その後の『帰ってきたウルトラマン』(TBS系)でさらに先鋭化されます。
1972年11月に放送された『帰ってきたウルトラマン』の第33話「怪獣使いと少年」です。河原にある廃墟で暮らす良少年は「宇宙人ではないか」と噂され、中学生たちのイジメに遭います。しかし、中学生たちが不思議な力によって撃退されたことから、今度は警察官や竹槍を手にした大人たちが河原に押し寄せ、良少年を糾弾します。
身寄りのない良少年は、金山老人と廃墟でひっそりと暮らしていたのですが、この金山老人が実は「メイツ星人」でした。地球の汚れた空気によって体を蝕まれ、良少年と生活をともにしていたのです。良少年をかばった金山老人は、警察官の放った銃弾に倒れ、緑色の血を流します。
宇宙人や怪獣よりも、人間の偏見や集団心理のほうが恐ろしいという、苦味の残るエピソードでした。
沖縄出身のふたりが残した足跡
シリーズきっての社会派エピソードとして知られる「怪獣使いと少年」は、『帰ってきたウルトラマン』のメインライターを務めた上原正三氏が執筆したものです。上原氏も沖縄出身で、金城氏に誘われて「円谷プロ」に入り、特撮ドラマの脚本を書くようになりました。当時はまだ米軍の統治下にあった沖縄を故郷に持つ金城氏と上原氏は、お互いに励まし、刺激を与え合いながら脚本を書いていたのです。
金城氏は『ウルトラセブン』後期からは、同じく「円谷プロ」制作の『マイティジャック』(フジテレビ系)と掛け持ちするようになります。ハードワークに耐えた金城氏ですが、『マイティジャック』は低視聴率に終わり、文芸室長から契約プロデューサーに降格します。そして、1969年に金城氏は沖縄へ去ることになりました。「円谷プロ」を離れた理由は、はっきりとは明かされていません。
沖縄に帰った金城氏は、ラジオのパーソナリティーを務め、沖縄芝居にも取り組みました。東京に残った上原氏は「一緒に沖縄発の作品を作ろう」と金城氏に誘われていたそうです。
上原氏はその後も多くの特撮ドラマの脚本を執筆し、東映制作の『秘密戦隊ゴレンジャー』などのヒット作を手がける売れっ子ライターとなっていきます。その一方、金城氏は「沖縄海洋博」が終わって間もない1976年2月に、不慮の事故で亡くなりました。まだ37歳という若さでした。
特撮ドラマの黎明期に苦労をともにした金城氏と上原氏は、離ればなれになっても相手の存在を意識し続ける関係だったのではないでしょうか。ユキにとってのウー、良少年にとってのメイツ星人がそうだったように、金城氏と上原氏はお互いが敬意と畏怖の念を抱く特別な存在だったようにも感じます。
金城氏や上原氏が関わっていたウルトラシリーズを見ていると、忘れかけていた懐かしい友達に再会したような心のざわめきを覚えるのです。
