「右から来たものを左へ受け流すの歌」で一世を風靡した芸人・ムーディ勝山さん(46)。ブレイクから約20年、彼は“終わった芸人”ではなく、“一発屋”たちをつなぐ中心人物になっていた。「一発屋総選挙」などのイベントを企画し、総勢37人が集う「一発屋LINEグループ」まで立ち上げた。果たしてその実態とは…。グループ立ち上げの経緯から、“一発屋”たちとの間に生まれた絆の物語に迫った。(前後編の後編)
“一発屋”イベントは「まるで“アベンジャーズ”」
――「一発屋LINEグループ」を作ろうと思ったきっかけは?
ムーディ勝山(以下、同) “一発屋”ってそれぞれの力はすごくあるのに、基本的
に個々で活動しているから、僕自身、まとまって何かをする機会があまりなかったんですよね。それなら「“一発屋”でユニットを組んだら面白いんちゃう?」と思って、レイザーラモンHGさんやジョイマンの高木晋哉さんらに声をかけて、2013年に「一発屋再生工場」というライブイベントを始めたのがきっかけでした。
――“一発屋”が集結したライブの反響はいかがでしたか?
まるで“アベンジャーズ”みたいでしたよ(笑)。それぞれの世代の戦隊ヒーローが集まるようなドリーム感があって。回を重ねるごとに動員も増えていって、吉本以外の事務所の芸人さんにも参加してもらって「一発屋総選挙」も開催しました。自分がやりたかった夢が叶った瞬間でもありましたし、“一発屋”同士の絆や連帯感も強くなっていきました。
――ムーディさんはご自身が“一発屋”であると早くから受け入れ、イベントの企画なども手掛けていたと伺いました。当時はどんな心境だったのでしょうか?
もちろん“一発屋”だと認めたくない気持ちはありました。2007年のブームをきっかけに2008年に上京したら、すぐにブームが終焉を迎えてしまって。そんな時期にケンドーコバヤシさんとかに飲みに連れていってもらったんです。そこで「仕事がなくて、今日も7連休なんですよ」みたいな話をしたら、先輩たちがめちゃくちゃ笑うんですよ。
――“笑い”として受け入れられたんですね。
そのときに、「こんなに面白い先輩たちが笑ってくれるなら、これは“笑い”になるんや」と思って、TVでもネタとして話し始めるようになりました。
――ご自身の状況をネタにすることに抵抗はなかったですか?
その収録現場にはレギュラーさんとか、髭男爵さんといった他の“一発屋”もいたんですが、「仕事なくなったことをエピソードトークにして笑いにするのはお前が初めてや! 斬新や!」ってみんなに褒めてもらったんです(笑)。
――周囲の反応が背中を押した部分もあったんですね。
あとは僕にも、“一発屋”と認めたくない時期、いわゆる「逃亡期間」は多少あったんですけど、“一発屋”の偉大な先輩であるダンディ坂野さん、つぶやきシローさん、有吉弘行さんの3人から、早々に「君も一発屋だよ」って肩を叩かれたことも大きかったですね。
――実際、その「逃亡期間」はどのくらいだったんですか?
多くの人が年単位で逃げ続ける中、僕は2、3カ月で捕まりましたね(笑)。
メンバーは? 入会基準は? 気になる「一発屋LINEグループ」の実態
――「一発屋LINEグループ」は総勢何人のメンバーがいるんですか?
2000年から2017年までの約17年間で、37人の“一発屋”が集まりました。ダンディ坂野さんを会長に据え、三瓶➤波田陽区➤テツandトモ➤レイザーラモンHG➤小島よしお➤ゆってぃ➤とにかく明るい安村➤髭男爵➤天津木村➤コウメ太夫➤ジョイマン➤大西ライオン➤クールポコ。…、最近ではクマムシやにゃんこスターも入会しました。
――グループLINEはいつからですか?
“一発屋”のイベントをきっかけに作って、回を重ねるごとにメンバーが増えていきました。
――グループの入会基準は?
自他ともに“一発屋”だと認めていることですね。入会前にメンバーに意見を求めて、OKが出たら入ってもらう形なんですが、そもそも本人が自分を“一発屋”と認めていないと難しいんです。
――でも“一発”を当てること自体、改めてすごいことですよね。
大勢いる芸人の中で“一発”を当てるというのは、決して偶然や運だけではなく、積み重ねてきた努力があってこそだと思うんです。そこはあまり注目されない部分かもしれませんが、だからこそとても尊敬しています。

