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【深淵ホラー劇場:映画界が封印した『G級の神々』】#9 変容する映画監督ドミツィアーノ・クリストファロ──身体と恐怖を操る異端の映像世界 <後編>

【深淵ホラー劇場:映画界が封印した『G級の神々』】#9 変容する映画監督ドミツィアーノ・クリストファロ──身体と恐怖を操る異端の映像世界 <後編>

後編では「ボディホラー(肉体変容)」というサブジャンルに対する、彼ならではの深い芸術哲学を掘り下げる
前編では、イタリアの異端児ドミツィアーノ・クリストファロ監督の人物像と、黄金期イタリアンホラーへの複雑な想いを紐解いた。続く後編では、近年のヒット作『サブスタンス』によって再び注目を集める「ボディホラー(肉体変容)」というサブジャンルに対する、彼ならではの深い芸術哲学を掘り下げる。単なるショック描写に留まらない肉体表現の根底には、日本の舞踏(Butoh)から受けた強烈な影響が息づいている。さらに、世界中の主要映画祭を揺るがしている最新作の動向まで、監督自身の言葉を交えながら鬼才クリストファロの現在地と未来を追う。

◆肉体の変容を描く、ドミツィアーノ独自のアート系ボディホラー哲学

肉体の変容を描く、ドミツィアーノ独自のアート系ボディホラー哲学
映画『サブスタンス』の成功が記憶に新しいように、人体の変容や崩壊のプロセスを扱うボディホラーは、世界中の映画ファンから根強い支持を集める人気サブジャンルだ。クリストファロの作品世界でも、人間の常識を超えたレベルで肉体が拡張し、変質していく光景が描かれる。しかし、その表現の根底には、単なる刺激や悪趣味とは異なる深い哲学が貫かれている。

彼は静かに語る。「私にとって、映画における肉体の変容は、単にショックや恐怖を描いたものではありません。内面の状態、強迫観念、葛藤を具現化する手段なのです」。この言葉が示すように、クリストファロにとって肉体とは“精神の影”を映し出す媒体であり、ボディホラーというジャンルはその思想を最も純粋に表現できる場となっている。

彼は「ブトマキア(BUTOMACHIA)」という独自の造語を生み出した。これは身体そのものを苛烈な対峙の場として捉えるという、クリストファロによる芸術家としての確固たる宣言である。身体とは、社会的な抵抗や重力といった自分自身の限界に直面するリアルな場所であり、そこで行われるあらゆる動作や表現は肉体に深い痕跡を残すと彼は考える。

彼は続けて語る。「目的は決して人を楽しませることでも、美しく見せることでもありません。それは身体と作品に対峙し、変容させ、その対峙した痕跡を残すことです」。この思想に触れたとき、私たちはドミツィアーノ・クリストファロという稀代の芸術家を理解するための入口に立つことになる。

そして彼は、この哲学が単なる映画表現に留まらないことを強調する。「それは私のすべての芸術に反映されています。演劇、映画、視覚芸術など、どの分野においても、私は同じ原則を貫いています」。この言葉が示すように、クリストファロの創作はジャンルを超えて“身体と変容”という一つの軸で貫かれている。


【関連】【深淵ホラー劇場:映画界が封印した『G級の神々』】#9 変容する映画監督ドミツィアーノ・クリストファロ (前編)

◆身体はすべてを記憶する。舞台芸術の原点と日本の舞踏からの影響

身体はすべてを記憶する。舞台芸術の原点と日本の舞踏からの影響
少年時代のクリストファロは、小学校の休み時間に紙で人形を作り、小さな劇場を組み立てて遊ぶような創造性に満ちた子どもだった。大人になり、演劇や映画の世界へ進んだのは必然の流れだったと言える。

1990年代、彼はマルチメディア・アーティストのナト・フラスカ(Nato Frascà)に師事して形態心理学を学び、さらに日本が誇る伝説的舞踏家・岩名雅記のもとで圧倒的な身体表現を磨き上げた。舞踏(Butoh)が持つ“身体は記憶の器である”という思想は、クリストファロの芸術観に深く影響を与えた。

2006年には、見せ物小屋文化とボディアートを融合させた前衛劇団「BLOODY CABARET(血のキャバレー)」を旗揚げし、演劇界での活動を一気に拡張させた。なかでも二人芝居の傑作『CENIZAS(灰)』は、広島と長崎を襲った歴史的惨禍をテーマに、言葉だけでなく鍛え上げられた身体表現によって深い問いを投げかける。

彼はこの舞台について、静かに、しかし鋭く問いかける。「心が必死に記憶し続けようとするものを、身体はどのように記憶するのか?」。人間の心が必死に抱え続ける歴史的な痛みを、私たちの肉体はどのように受け止め、どのように残していくのか――その本質的な問いが作品全体を貫いている。

配信元: 週刊実話WEB

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