「マイケルみたいになりたい」アイドル事務所にも直談判、カラオケ大会は準優勝…
──芸能の道を目指すことになったのも、マイケルに憧れたことがきっかけで?
そうです。うちはひとり親家庭だったので、早くビッグになって親に楽させたいと思っていて。かなり本気で「マイケルみたいになりたい」と思って目指しました。それで当時あった『De☆View(デビュー)』というオーディション情報が載っている雑誌を買ってきて、いろんなオーディションに応募するようになりました。
そうしたら母親が「そんなに芸能界に入りたいなら養成所にでも通ったら」って。しかも、その費用も出してくれるって。お金を稼いで親孝行したかったのに、逆にお金を出してもらうなんて親不孝だとは思ったんですが、応募しまくっていたオーディションにも受からないし、養成所に通うことにしました。14歳、中2の時ですね。
──アイドル事務所にも応募したことがあるとか?
それはもっと後、17歳くらいの時ですね。養成所に通っていた頃、たまたま六本木を歩いていたら、事務所の建物を見つけて、「こんなところにあるんだ!」と思って住所をメモして、履歴書を送りました。だけど、いくら待っても返事が来ないので、住所はわかってるし、事務所まで行って「書類送ったんですけど……」って。もちろん警備員の人に「ここは来ちゃダメだよ」と言われて追い返されました。
──行動力があるというか何というか……。そして、大学時代には、北海道テレビが主催するカラオケ大会のオーディションで準優勝したことがあるんですよね。
え……そんなこと、よく知ってますね。そうなんです。大学はいろいろあって、北海道の旭川大学に通っていたのですが、その時ですね。杉山清貴さんの「さよならのオーシャン」と、矢沢永吉さんの「SOMEBODY'S NIGHT」を歌って準優勝しました。
でも、その大会の翌日、準優勝者として北海道テレビのイベントに出る予定だったのに、準優勝があまりにうれしくて、その日の夜に仲間たちと大はしゃぎしちゃいまして。ディスコでマイケルのダンスを一晩中踊りまくったりして、何度もぶっ倒れたりしていたので、朝になっても体が痛くて動けなくて。諦めて二度寝してしまい、イベントはドタキャンしてしまいました。
せっかく掴みかけた芸能界への入口だったのに……大ばか野郎ですね。
──大学生として北海道にいた頃にも、オーディションへの応募は続けていたのですか?
続けてました。それである時、全国放送のオーディション番組に応募したら、僕の送った書類が最初の1通目だったらしく、あまりにすぐ届いたからって、テレビのカメラが自宅まで取材に来たんです。当時は大学の陸上部に入っていたのですが、その様子がテレビで放送されたあと、先輩たちに「陸上と芸能、どっちが大事なんだ」って、ひどく怒られまして。
もちろん芸能のほうが大事だったので、陸上部には行かなくなり。そうしたら、いじめが始まったんです。そのいじめがけっこうきつくて、母親に相談したら「そんな大学辞めちゃいな」と言ってもらえたので、大学を辞めて東京に戻りました。
今思えば、北海道まで行ったのに何をやっているんだ、という感じですけど、それでも芸能界に入りたい気持ちは消えませんでした。小学生の頃に「マイケルみたいになりたい」と思ってから、ずっとその気持ちだけは残っていたんですね。
#2に続く
取材・文/おぐらりゅうじ 撮影/野﨑慧嗣

