『エンタの神様』でブレイクし、白塗りに着物姿の芸風で知られるコウメ太夫。現在の芸風につながる白塗りや女形は、かつて所属していた梅沢富美男劇団で学んだものだという。
マイケル・ジャクソンへの憧れを胸に芸能界を目指し、劇団、芸人、テレビ出演へと歩んできたコウメ太夫。そんな彼の知られざる梅沢富美男劇団時代の舞台裏や、『エンタ』後の迷走、そしてマイケルへの思いを聞いた。〈前後編の後編〉
梅沢富美男劇団でもマイケルを踊っていた
──コウメさんは梅沢富美男劇団にも所属されていたんですよね。
コウメ太夫(以下同) 20歳も過ぎていたので、そこからさらに本気で芸能の道を目指しました。一時期、小さな芸能事務所に所属してたこともあるのですが、なかなかうまくいかず。
そんな時に、母親が「あんた古くさい顔してるね」「時代劇とかいいんじゃない」って言ったんです。そうしたら、ちょうど梅沢富美男劇団で劇団員の募集があって、応募してみたら受かっちゃいました。
──それまでに梅沢富美男劇団や大衆演劇を観たことは?
一度もなかったです。それでもやっと入れた芸能界ではあるので、ゼロから勉強してなんとか。最初は新人みんな女形をやるので、白塗りやら芝居やらを教わったりしながら、旅巡業で全国をまわって。明治座の舞台にも立ちました。
──梅沢富美男劇団にいた頃は、歌やダンス、マイケルへの憧れは封印していた?
それが、梅沢富美男劇団でもマイケルを踊ってたんです。
──大衆演劇の舞台でマイケルを!?
そうなんです。稽古中に、梅沢富美男さんのお兄さん、当時座長だった梅沢武生さんから「ちょっと曲かけるから踊ってみろ」って言われたことがあって。
マイケルの曲ではなく、演歌とか歌謡曲みたいな曲だったのですが、無理やりマイケルのダンスをしたんですよ。そうしたら「お前いいな」とか言われて気に入られまして。
それ以来、舞台で梅沢富美男さんが「夢芝居」を歌っている横とかで、マイケルのダンスを踊ってました。
明治座でも、麻倉未稀さんの「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」に合わせて、マイケルの「Beat It」の踊りやムーンウォークをやったことありますが、お客さんからは毎回もう大歓声でしたね。
──大衆演劇に新風を吹かせてるじゃないですか。
まぁいろいろ苦労もありましたけど、芸事に関しては順調でした。
──でもやがて劇団は辞めてしまうのですよね?
舞台でそんなことをしていたものだから、CDデビューしないかという話があったんです。でも若かったこともあって、いざデビューしても売れなかったらどうしよう、劇団に借りをつくることになったらどうしようって、びびっちゃったんですよね。
それで座長に「大学に戻って勉強したいです」って嘘をついて、デビューする前に劇団を辞めました。
──なんと……せっかく芸能の道が開けたのに。
梅沢富美男劇団には2~3年ほど在籍していたのですが、後半はお笑いのほうに興味が出てきたっていうのもあるんですよね。
ムーンウォーク世界大会で優秀賞の快挙
──その後、芸人としての道を歩み始めると。
相方を見つけてコンビでネタ見せに行ったりしましたけど、全然ダメでしたね。ピンになってもうまくいかず、お笑いとかテレビのことを少しは勉強しようと思って、たまたま手に取った本が『エンタの神様』のプロデューサー五味さんの本だったんです。
──日本テレビの五味一男プロデューサーが書いた『「視聴率男」の発想術』ですね。
それが役に立ったのかはわからないですが、どうにか『エンタの神様』のオーディションには受かって、やっとテレビに出られるようになりました。
当時『エンタの神様』ではキャラもの芸人がたくさん出ていて、リズムネタも流行っていたので、自分がやるなら女形だろうなと思って、今の芸風に。でもしばらくすると『エンタの神様』のブームも終わって、一気に仕事もなくなるんですけど。
──マイケル・ジャクソンを模した「ジャクソン太夫」はどのように生まれたのですか?
全然仕事がなくなってから、かなり迷走した時期がありまして、いろんな太夫をやったんですよ。釣り太夫とか、連獅子太夫とか、お坊さん太夫とか、おじいちゃん太夫とか……。そういう中でジャクソン太夫も生まれたって感じですね。
──そして、2013年には第1回「ムーンウォーク世界大会 MOON WALK WORLD CUP」の「おもしろ部門」で優秀賞を受賞しました。
まさか大好きなマイケルの世界大会でそんな賞をもらえるなんて、思ってもみなかったですけど、うれしかったです。それがきっかけにもなって、テレビのバラエティや営業でもジャクソン太夫をやる機会も増えました。

