1918年7月に起きた「一家惨殺事件」
退位後、ニコライ2世一家は自由を失い、軟禁と移送の過酷な日々が始まります。
かつて皇帝一家の住まいだった場所は、もはや安全な宮殿ではなく、革命軍の臨時政府に監視される閉ざされた空間になりました。

しかし、政治情勢はさらに悪化していきます。
1917年10月、ボリシェヴィキ(レーニンを中心とする革命派・社会主義勢力)が臨時政府を倒して権力を握ると、ロマノフ一家の立場はいっそう危うくなりました。
1918年春、一家はエカテリンブルクのイパチェフ館へ移されます。
この建物は、後に「特別目的の家」と呼ばれることになります。
名前だけを見ると事務的ですが、その目的は恐ろしいものでした。
アナスタシアたちは、そこで厳しい監視下に置かれます。
食事もまともに与えられず、窓は白く塗りつぶされて外が見えないようにされ、監視兵たちからは罵詈雑言が浴びせられました。
そして1918年7月17日未明、一家に残酷な運命の日が訪れます。
父ニコライ2世、母アレクサンドラ、4姉妹のオリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア、皇太子アレクセイ、そして従者たちは、地下室へ連れて行かれました。
彼らには、移動のために写真を撮る必要があるというような説明がされたといいます。
しかし、それは嘘でした。
地下室に入った一家に対し、処刑隊は死刑を告げ、次々と発砲したのです。
ところが、処刑はすぐには終わりませんでした。
皇女たちの衣服には、のちの生活のことを考えて、ロマノフ家の宝石が縫い込まれていました。
その宝石が銃弾や銃剣を妨げたため、処刑は混乱し、余計に凄惨なものになったとされています。

ここから、後の「アナスタシア生存説」につながる重要な要素が生まれます。
銃弾を防いだ宝石。
混乱に陥った地下室。
行方不明になった遺体。
そして、ボリシェヴィキによる曖昧な発表です。
処刑後、ボリシェヴィキは「ニコライ2世は処刑された」と発表しました。
しかし、皇后や子どもたちについては、はっきりと死亡を認めませんでした。
むしろ「安全な場所にいる」と受け取れるような情報が流されます。
この沈黙と隠蔽こそが、20世紀最大級の歴史ミステリーの始まりでした。
「私がアナスタシアです」突如あらわれた謎の女性
ロマノフ一家が殺された後、現場を調べた反ボリシェヴィキ勢力は、地下室に血痕や弾痕を見つけました。
また、森の中では、皇帝一家の持ち物や焦げた衣服、宝石、聖像、そしてアナスタシアの飼い犬の死骸なども見つかりました。
しかし、決定的な遺体は見つかりませんでした。
遺体がなければ、死を完全に証明できません。
「皇后と子どもたちは生きているのではないか」
「誰かが密かに助け出したのではないか」
「末娘のアナスタシアだけは、隙を見て逃げ延びたのではないか」
どこからともなく立ち上がった噂は、ロシアを逃れた亡命者たちの間で特に強く広がりました。
彼らにとって、ロマノフ家の誰かが生きているという話は、単なるゴシップではありませんでした。
失われた祖国、失われた身分、失われた世界が、いつか戻ってくるかもしれないという希望だったのです。
こうして人々が「アナスタシア生存説」を信じ始めるようになった最中、驚くべき事件が起こります。
1920年2月、ベルリンで一人の女性が運河に流されているところを救出されたのです。
彼女は体にひどい傷を負っており、また軽い記憶喪失にかかっていたのか、すぐには身元の特定ができませんでした。
しかし病院での回復が進み、記憶を取り戻したところで、彼女は驚きの言葉を口にします。
「私は、アナスタシアです」
なんと彼女は、自分こそロシア皇帝ニコライ2世の第4皇女であり、革命政府によって処刑されそうになったところを命からがら逃げてきたというのです。

普通なら、誰も信じないようなトンデモ話ですが、彼女(のちにアンナ・アンダーソンと名乗る)にはアナスタシアと共通する点が多くありました。
例えば、足のひどい外反母趾(がいはんぼし)や額の小さな傷跡は、アナスタシアにもあった身体的特徴でした。
それに加えて、彼女が語ったロシア宮廷に関する知識は、実際にそこで生活していたかのような詳細さだったのです。
さらに、アナスタシアに実際に会ったことのある大佐も、彼女を一目見た瞬間に「アナスタシア本人だ」と思ったといいます。
その一方で、疑わしい点も数多くありました。
アナスタシアなら流暢に話せたはずのロシア語を、彼女はほとんど話せませんでした。
一方で、アナスタシアが苦手だったはずのドイツ語は話せました。
記憶も曖昧で、正しい答えを誰かから聞いた後に思い出したように語る場面もあったとされます。
それでも、彼女の話を信じる人々は、それを「処刑のショックによる記憶喪失」や「深いトラウマの影響」と解釈しました。
証拠が弱いから信じないのではなく、証拠が弱くても信じたい理由があったのです。
こうしてアンナ・アンダーソンは、単なる身元不明の女性から、「生き延びたアナスタシアかもしれない人物」へと変わっていきました。

