2001年に「ミス週刊少年マガジン」に選ばれ、グラビアや女優として活躍した中川愛海さん。芸能界を一度離れて会社員生活を送り、思いがけない再会をきっかけに復帰。その後は「長く続けられる仕事を」と、恵比寿でたこ焼き店「くるり」をオープンした。しかし、コロナ禍では閉店を考えるほど経営は悪化し、「お店売るわ」と口にしたこともあったという。それでも14年間店を守り続けることができた理由とは――。中川さんに波乱の半生を聞いた。(前後編の後編)
芸能界復帰の真相
――2003年の映画出演を最後に一度芸能界を離れ、事務所のメインスポンサーさんの計らいで飲食会社に入社したという中川さん。当初はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
社長からは“秘書になれば?”って言っていただいたんですけど、皆さんはアルバイトから上がっていくのに、自分だけそこをすっ飛ばしてその位置にいくのは違うなって思ったんです。
それで、ピザ屋に配属させていただき、ピザを作って、在庫管理して、従業員の方のシフト管理して。免許を持っていなかったので配達はできませんでしたが、それ以外の仕事は全部やりました。ピザ屋の仕事が終わった後は、本社でのお仕事もしていましたね。
――華やかな芸能界とのギャップを感じたことはありましたか?
特になかったです。むしろ、いろんな方に笑顔で接することとか、テキパキ話すこととか、芸能界で学んだことが接客で生きました。芸能界で大御所の方々とお仕事させていただいた経験のおかげで、どんなに偉い社長さんが来てもひよらず、ありのままの姿で接客することができました。
――逆に、芸能界を離れたことで見えるようになったものはありましたか?
シンプルに、友達ができやすいですね(笑)。
最初は、人を信用できなくて大変でした。地元に帰っても、友達からは“次はどんな作品に出るの?”って聞かれるのが辛くて。みんな期待してくれていたので、“芸能人”として扱われる感じが少しさみしくもあったので。
――その後、再び芸能界に復帰されたのは、どのようなきっかけがおありでしたか?
ピザ屋さんに出社していた時に、電車でたまたま当時ミスマガの時にお世話になっていたスタッフさんに会い、声をかけていただいたんです。その時、雑談の中で「ミスマガで芸能人フットサルをやることになったから出ない?」って言われたんです。
――すごい偶然ですね!
私はもう芸能界を引退しているし、飲食業の社員だったので、できませんってお断りしたんですが、「ぜひ、あみちゃんにいてほしい」って言っていただいて…。
そこで、当時働いていた会社の社長に相談したんです。そしたら、「なんで断ったの?」って言われ、社長が突然フジテレビの知り合いに電話をかけたんです。びっくりしたんですが、なぜか社長がフットサルのメインスポンサーになって。結果的に、芸能界に戻って会社の名前を背負いながらフットサルをやることになりました。
「実家のたこ焼きの味をずっと守ってきた」
――その後、たこ焼き屋をオープンされたのはどのようなきっかけでしたか?
当時から、グラビアって長くできる仕事じゃないなって思っていて、アナウンサーのお仕事などもやりながら、“自分の武器を見つけなきゃ”って常に考えていました。その時に、“料理を生かした仕事をしたい”って思ったんです。
お料理番組にも出演させていただきましたが、当時は川越シェフとか、料理人の方がテレビに出ることが多かったんですね。そこで、私も店を持ってないと説得力ないかなってマネージャーと話して。「じゃあ1ヶ月後に店出します!」って、本当にノリで言ったことから、今のお店がスタートしました。
――実際にご自身でお店を持たれてみて、想像していたものとの違いはありましたか?
まさか、こんなに大変だとは思わなかったです。まず、物件を借りるのって、こんなにお金がかかるんだって。金銭面が本当に大変でした。一人で物件を探して、内装も決めて、見積もりを見たら“え?”って(笑)。
予算を削るために、自分で内装をやったりもしました。最初は三姉妹で始めたので、大道具をやっていた妹に“トンカチできる?”って聞いて、カウンターを作ってもらったり。できる範囲で、全て自分たちでやりました。
――たこ焼きづくりでこだわっている部分は?
実家のたこ焼きの味をずっと守っていることですね。もともとこの味は、私が中学生の時に親と一緒に作ったものなんです。当時、太りやすい年齢だったので、いかに太らないかを考え、山芋粉をメインに小麦粉少しと水、卵、だし。
だから普通のたこ焼きの生地と違って、固まりにくくて焼くのが難しいんですけど、ふわっと軽くてシュークリームみたいな感じの食感になります。他のたこ焼きと比べるとカロリーが3分の1くらいなので、ダイエット中の方にも安心してお召し上がりいただけます。
―― 一番大変だったことはありますか。
最初はお客様が全然来なかったことですね。だから呼び込みをして、一軒一軒、挨拶回りをして。周辺のお店はほぼ全部ご挨拶に行きました(笑)。そこで仲良くなって、お客様を紹介していただいたりしました。
だけど、その後にコロナ禍が来てしまって…。営業できない時期が一番辛かったですね。恵比寿の飲食店仲間がいたので、“みんなでお弁当を売ろうよ”って話し合って、お店の下の場所を借りてお弁当販売もしました。Uberや出前もやったりしていましたね。
“このコロナ禍はいつまで続くんだろう”とは思っていましたが、逆にコロナ明けの方が大変でした。そんなすぐにお客様は戻ってこないのに、補助金はないし、税金もあるし。悪循環でした。

