永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は高市早苗(中)をお届けする。
公明党はすでに「連立解消」を決断していた
昨年10月4日の自民党総裁選で大方の予想を覆して小泉進次郎を破り、女性として初の自民党総裁となった高市早苗だが、同月21日の臨時国会で憲政史上初の女性首相に就任するまでの17日間は、のちに高市が自ら語ったように「イバラの道」であった。
高市は総裁に就任した直後、あいさつのため東京・信濃町の公明会館へ足を運んだ。すると、それまで26年にわたり自民党との連立、協力関係を維持してきた公明党の幹部が出迎えたが、斉藤鉄夫代表は祝意を表したのち、こう言葉を継いだのだった。
「自民党の派閥裏金事件の真相解明と、企業・団体献金の規制強化をぜひともお願いしたい。また、わが党としては靖国神社参拝や外国人政策への配慮もお願いしたい」
しかし、この時点で高市は、すでに公明党が「自公連立」解消の腹を固めていたことを知らなかった。のちに「孤高の首相」といわれたように、高市は政権のバックグラウンドが乏しいゆえに、情報が入りにくいという弱点を露呈したのである。
当時の公明党担当記者が、こう明かしている。
「石破茂首相が退陣を表明した9月7日、すでに公明党の斉藤代表は『石破氏の後継が、われわれの保守中道路線と足並みを揃えられる人物でなければ、連立は組めない』と、暗に“タカ派”の高市にはノーを漏らしていた。
しかも、高市総裁が誕生した10月4日には、創価学会最大の実力者である佐藤浩副会長をして、連立離脱やむなしの声が出ていた。衆院選、東京都議会選、参院選と負け続けたことで、学会で選挙の中軸を担う女性部(旧婦人部)に選挙疲れが蔓延していたことも手伝い、連立離脱に舵を切らざるを得なかったようだ」
一方、政治部デスクは、こう言っていた。
「高市は総裁に就任するや、麻生太郎を副総裁、その義弟の鈴木俊一を幹事長、参院議員の有村治子を総務会長など要職に起用し、党人事を麻生派に“丸投げ”した。加えて、派閥の裏金疑惑を問われていた旧安倍派の萩生田光一を幹事長代行に据え、これも公明党、創価学会をいら立たせた大きな要因だった。この人事には公明党から『第2次麻生政権だ』との声が挙がったものだ」
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
国民民主にも見放された高市政権の苦境
また、麻生と公明党、創価学会は、もとより“犬猿の仲”だった。安全保障政策に慎重な姿勢を示していた山口那津男ら当時の公明党幹部に対し、かつて麻生が『がん』と言い放って以来、両者の関係は徹底的に冷え切っていたので、公明党としても引くに引けなかったのである。
かくて、高市は「孤高」の政権運営を余儀なくされることになった。
とくに友好的な派閥もなく、黒子となって政策、政局の調節を担う人物もなし、一方で党内の情報は麻生派にすべからく筒抜けである。これでは、政治に不可欠な根回しなどは、まったくできないことになる。
そうしたなかで、公明党が連立から離脱、とりあえずの政権維持が喫緊の課題となった。
高市はまず、国民民主党との連立を模索した。国民民主の玉木雄一郎代表と麻生は気脈を通じており、麻生の反対はあるまいと読んでいたようだった。しかし、高市の思惑どおりに事は運ばなかった。
玉木いわく「公明が抜け、われわれが政権に加わっても(連立政権として)過半数には届かないので、あまり意味のない議論だ」と、高市を突き放してしまったのである。
ここで高市の窮状、足元を見たのが、日本維新の会であった。当時の維新担当記者は、こう言っていた。
「国民民主との協議膠着を見て取った維新は、連立入りしての党勢回復に懸けた。ただし、自民党がどこまで連立合意文書の内容を守るか分からないとして、あえて『閣外協力』までとしたようです」
