「孤高のボクサー」と呼ばれた男がいる。ジムでは言葉を交わさず、リング上での勝利だけを見つめていたボクシング元日本ライトフライ級1位の村松竜二さんだ。その男がいま、誰よりもリアルな「共生社会」をつくっている。
障がいのある人もない人も、同じボクシングジムで汗をかき、互いの違いを“説明”ではなく“体験”で理解していく。一般社団法人B-boxとD&D BOXING GYM(東京)を率いる村松さんは、そうした場を「共生社会を実現するため」と言い切る。
現役時代は、ほぼ他人と話さず、近寄り難いとさえ見られていた。だがいまは違う。子どもが生まれ、障がいのある仲間たちの笑顔に触れ、「人から感謝される」経験を重ねるなかで、表情も言葉も変わっていった。そして、その変化は“共生社会”という大きなテーマと地続きだ。
今回は村松さんに加え、網膜色素変性症がありながらブラインドボクシングで活躍するD&D所属の関章芳選手にも話を聞いた。村松さんと関さんの声は、共生の現場が日々の積み重ねで成り立つことを教えてくれる。
日本でも世界でも例のないジム
村松竜二さん。日中は企業で働き、退勤後にジムの運営やパーソナルトレーナーとしての活動を続けている「ジムの設立から8年が経って、障がいのある方からの認知度も増したと思います。できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、レッスン料は安価に設定したりと運営は厳しいですが、なんとか継続はできています」
障がい者支援を掲げ、誰でも受け入れる場を作る。理想はあれど、継続は簡単ではない。だからこそ「辞めるわけにはいかない」と、言葉に責任が伴う。
「日本でも世界でも例のないジムなので、辞めたら皆さんの行き場所も無くなっちゃう。でも続けられるのは、私自身も障がいのある方からたくさんのパワーをもらっているからです」
支援する側/される側、という一方向の関係ではない。汗をかく時間のなかで、互いが互いを支える循環が生まれる。村松さんが繰り返すのは、「技術」以上に「楽しむこと」の価値だ。
「ジムに通う方は、さまざまな障がいのある方がいるので、レベルを上げるのが難しい方もいる。だからこそ、パンチを打って汗をかいてもらって“楽しむ”をメインにしています。技術とか打ち方とかじゃなくて、楽しむことを一番に。楽しいが一番継続できるし成長につながると思います」
象徴的なのは、縄跳びのエピソードだ。
「最初は1回とか2回しか跳べなくて、毎回練習する。それが10回、20回、30回になって、最終的には100回以上跳べるようになった。それって自信につながるじゃないですか。その自信が社会復帰……復帰は難しくても、“きっかけづくり”になればいい」
できなかったことが、できるようになる。その小さな達成が、日常を変える。村松さんがボクシングを「自立支援」と結びつけるのは、その瞬間を見つめてきたからだ。
「障がいの有無に関わらず、自信ってすごく大事だと思う。その自信が、いろんなことにつながっていく。ボクシングは、自信をつけるのに最適だと思います」
続けて村松さんは、自立支援の活動を振り返る。
「最初は、何でも手伝ってたんです。でも、それじゃ自立できないってことに気づいて。できないことを手伝えばいいんだと学びました」
障がいのある人と接するとき、多くの人が「優しくしなければ」と思う。だが、その“優しさ”が、時に成長を止めてしまうことがある。
「できることまで全部やってあげると、その人はそこで止まってしまう。できなければサポートするし、万が一の時も考えて、安全面はしっかりとカバーするように常に神経を使っています」
これは、村松さん自身の経験から出た言葉でもある。バイク事故で左手首の腱を断裂し、右目の視界も失いながらリングに立ち続けた。もし誰かが「もう無理だ」と先回りして止めていたら、日本ライトフライ級1位まで上り詰めることはなかっただろう。
ジムでは、障がいのある人もない人も同じだ。叱ることもある。
「練習しなければ、何のために来てるの? って言いますよ。もちろん強くは言いませんけど。でも、来た以上はやらないと意味がない」
過度に特別扱いしない。しかし、必要なサポートは惜しまない。その線引きの難しさと向き合うのが「自立支援のリアル」だ。
「以前は人と接するのが大嫌いだった」孤高のボクサーが変わることができた理由
村松さん自らミットを持って指導をする。練習場には音楽と2分を知らせるタイマー音と共に小気味良いパンチの音が鳴り響く現役時代の村松さんは、いわゆる“孤高”のボクサーだった。ジムでは、練習に集中するため、自分だけの世界に生きてきた。
「人と接するのが大嫌いでした。ジムは談笑する場所じゃない。『俺の邪魔するな』『近づくな』ってオーラを出してました」
その村松さんが、いまは「気さくで驚かれる」ようになった。変化のきっかけを尋ねると、返ってきたのは“子ども”の話だった。
「引退して自分の子どもができて、一緒に遊ぶようになって……子どもと遊ぶことが自分を変えたというか。他人への接し方が変化したきっかけでした」
村松さんは「遊び」でも本気だったという。子ども相手でも手を抜かない。一所懸命に遊ぶ。その姿勢が、いまの他者との向き合い方や指導にも通じている。
「性格かもしれません。何に対しても負けたくない。だから子どもにも真剣。もちろん障がいのあるの方々には一所懸命トレーニングするし、そういう姿勢が伝わっているのかなと思うときがあります」
そしてもう一つ、村松さんを変えたのが、障がいのある仲間たちの笑顔だった。
「障がいのある方々が輝くことは、私にも良い影響があることに気づいて。みんなの笑顔のために活動しているんだなって、今は素直に感じます」
“ベルトを巻くために戦っていた自分”から、“誰かの達成のために場を作る自分”へ。さまざまに障がいのことを勉強するようになり、村松さんの中で、ボクシングの意味が変わっていった。
この変化のプロセス自体が、共生社会のリアルだ。共生は、制度やスローガンだけではなしえない。相手への理解や接し方の中で、変化が起きる。
