イランと米国のあいだで停戦に向けての覚書が交わされたものの、依然としてホルムズ海峡の安定的な開放が達成されるまでには、時間がかかりそうだ。このタイミングで振り返っておきたいのが、日本で起きた「ナフサ不足」騒動である。新著『人新世の「黙示録」』を上梓した斎藤幸平氏は、今回の混乱をどう見ているのか?
ナフサ不足が暴いた日本経済の脆弱さ
ようやく米国とイランが戦闘終結覚書に署名をした。ホルムズ海峡もひとまず開放されることになる。とはいえ、両国の隔たりは依然として大きいし、イスラエルが暴走する可能性もある。今後の交渉は難しい局面が続くだろう。だからこそ、今回の混乱の教訓をわすれてしまってはならない。今こそ、ナフサ不足騒動を振りかえっておく必要がある。
ナフサはプラスチック、合成繊維、塗料、接着剤、包装フィルムなど、現代社会の隅々にまで浸透しており、供給不安は広い範囲に波及した。中東からの化石燃料に依存してきた日本経済の脆弱さが露呈したのである。
ただ、供給不安をめぐっては、二つの見解が激しく対立した。一つは、政府見解である「目詰まり説」だ。それによれば、ナフサの総量は足りているが、一部で買いだめ・買い占めが起きているために、川下で在庫切れが生じている。とはいえ、備蓄や代替調達のおかげで、今後も必要量の確保は可能であり、過剰な心配は必要ない、と政府は言う。
それに対して、政府に批判的な立場からは「枯渇説」が出された。つまり、すでにナフサの絶対量の不足が深刻なレベルで生じており、政府はその事実を隠蔽している。ホルムズ海峡の閉鎖が長期化するなかで、高市政権の無能さによって現場が疲弊し、社会危機が深刻化してきたというのである。
私見を述べれば、枯渇説には明らかな問題がある。ガソリン車がこれまで通り走っていることからもわかるように、原油の精製は行われており、ナフサも製造されている。ニュースになったカルビーのポテチチップスについても、本当にナフサが枯渇しているのであれば、より大量のPPを使う包装材そのものが製造危機に直面するはずであり、パッケージのカラーをモノクロにするという対応は合理的ではない。事実、化学メーカー業界団体「日本化学工業協会」の岩田会長「ナフサの供給量は十分ある」と述べている。実際、原油の代替調達も進み、7月は戦争前と同じ量が確保できるようになり、備蓄放出も見送られる予定である。
ただし、このことは政府対応に問題がなかったことを意味しない。現場で必要な物資がすでに不足し、価格が上昇しているのは事実だ。つまり、在庫は十分にあると繰り返すだけでは不十分だったのは間違いない。
実際、政府が代替調達を進めているとしても、不安は無くならない。企業や流通業者が「次の荷は予定通り届くのか」「代替調達先の品質は大丈夫なのか」「原油価格はさらに上がるのか」と不安を抱けば、前倒し発注や在庫積み増しに動く。供給側も、先行き不安から出荷を慎重にし、取引先を選別する。こうして、本来なら市場に流れるはずのナフサや関連製品が、流通の各段階で抱え込まれ、目詰まりが続く。
個々の利益追求によって市場は機能不全に
これは単なる買い占めや投機ではない。むしろ、操業停止を避けるために手元在庫を厚くするのは、個々の企業にとっては合理的な防衛行動である。だからこそ、問題は厄介なのだ。個々の主体が合理的に自己防衛すればするほど、社会全体としては必要な物資が必要なところに届かなくなる。これが市場経済の生み出す「合成の誤謬」である。
合成の誤謬が生じた場合、手っ取り早い解決策は、不安払拭のために、川上の供給を現実に増やすことだ。だが、それが現状では難しい。タンカーが実際に安全に航行し、原油やナフサが継続的に届くという実績が必要なのだ。次の荷が届き、その次も届くという見通しが積み重ならなければ、予防的な在庫確保は続いてしまう。
ここにこそ、資源制約の時代に露呈する市場経済の限界がある。市場は、個々の主体に「自分の利益を最大化せよ」と命じる。つまり、社会全体として何が必要か、どこに優先的に配分すべきか、どの段階で在庫が偏っているのか、どの需要を抑制し、どの需要を守るべきかを把握し、調整する能力を市場は持っていない。だから、全体としては欠品、不安、買いだめ、出荷抑制という悪循環が生まれる。その結果、「全体としては足りているが、必要な時に必要なところに届かない」という形で、危機の瞬間に自由市場の限界が露呈してしまうのだ。
いや、そんなことはないという声があるかもしれない。自由市場こそ、危機への対処法を生む、と。たとえば、ナフサ危機が省資源化の契機にもなるという声がある。あるいは、ガソリンへの補助金もやめたほうが、電気自動車(EV)などのイノベーションにもつながるはずだという人もいる。そうした見方によれば、政府の余計な介入よりも、市場原理を貫徹させる方が、危機への正しい対処法になる。
しかし、価格上昇と企業努力だけに任せてしまえば、危機は深まってしまう。たしかに、価格が上がれば需要は抑制されるが、その時に削られるのが重要度の低い需要とは限らない。購買力の弱い中小企業、医療や修繕の現場、地域インフラ、生活必需部門が先に切り捨てられる可能性が十分にある。一方で、資金力のある大企業や富裕層の過剰な需要は温存される。これでは、資源節約ではなく、弱いところから切り捨てる市場の暴力でしかない。

