「ビーチでパソコンを開いて優雅に仕事」は幻想。ノマドワーカーの泥臭い現実とその裏側

──ご自身の著書『デジタルノマドやめました』では「逃げるようにジョージアへ渡航した」とありますが、海外に出る決断をした理由はなんだったのでしょうか。
当時は日本に対して、どこか息苦しさのようなものを感じていました。周囲に合わせる空気感や、コロナ禍での同調圧力などもあり、「みんなに合わせるのが当たり前」という雰囲気に強い違和感を抱いていました。
長年海外にあこがれていたこともあり、一度自分の目で世界を見てみたいという想いから、2021年10月に渡航を決断しました。滞在先はジョージア。生活コストの低さが決め手でしたね。
そのころのジョージアは 月2.5万円あれば2LDKの部屋に住めると言われており、京都で借りていた部屋の家賃が約6万円だったことを考えると、現地のほうが生活費を抑えられると予想していました。
──ノマドワーカーとして海外ではたらく生活はいかがでしたか?

ジョージアは停電や断水も当たり前の環境で。日本での“当たり前”が一切通用しない場所で、生活そのものにギャップはありましたが、むしろその違いが楽しかったです。
一方で、ノマドワーカーというと、パソコン一台でどこでも自由にはたらける華やかなイメージが先行しがちですが、実際はかなり泥臭くて地道で、環境に適応しながら仕事を続ける必要があります。つまり「どこでも成果を出せる自分であり続けること」が求められるんです。
自由なはたらき方の裏側には、自己管理能力が強く求められます。誰かに管理されるわけではないぶん、すべてを自分でコントロールしなければいけません。家族や友人は日本にいるので、常に孤独と隣り合わせのような感覚もありました。
そして、はたらく場所を海外に移しただけなので、生活の中心が仕事であることは日本とあまり変わりませんでした。むしろ環境が変わったことで、日本企業とのやり取りに一段と手間が増えましたね。
海外で暮らしながら仕事をする中で強く感じたのは、結局、どこにいても仕事は「人とのつながり」で成り立っているということ。
自分は日本で仕事の環境をある程度整えてから渡航していたこともあり、生活に大きく困ることはありませんでした。でも、周囲では思うようにつながりが築けずに苦戦している人や、やむを得ず帰国していく人も何人も見てきました。
──準備を重ねて渡航した飯田さんにとって、当時最も苦労したことはなんでしたか?
ノマドワーカーは移動が多く、住む環境も頻繁に変わるため、作業のリズムを一定に保つことが難しかったですね。現地では観光や知人からの誘いを優先してしまうこともあり、時間をかけて積み上げるべきコンテンツ制作がおろそかになっていきました。
その結果クライアントも減り、収入の幅がなかなか広がらない時期がありました。これもまた、自己管理能力に直結する部分ですね。自分にとって本当に優先すべき、注力すべきところが何なのかを俯瞰して考えなければいけなかったな、と今振り返ると感じます。
海外に行かなければ見えなかった、日本の当たり前

──自由なはたらき方に挑戦して良かったと感じることは何でしょうか?
自身のADHDの特性として行動の衝動性もあるので、時間と場所に縛られずにパソコン一台ではたらけるノマドワーカーのスタイルは本当に合っていました。
さまざまな景色や文化、暮らしに触れられたことも大きな価値でした。現地のカフェやホステルで作業をして、一歩外に出れば、町の雰囲気に溶け込んでいく感覚は、とても心地良かったです。
自分の価値観を優先してはたらき方を選べるようになったことで、周囲と比較して落ち込むことも少なくなりました。その結果、日本で感じていた生きづらさも少しずつ軽減されましたね。
また、「どこでも生きていける」というサバイバル力が身についたので、日本でつらいことがあったとしても、「また海外に出ればいい」と思えるようになり、選択肢が広がったことで気持ちの面でもかなり楽になりました。
ですがそれ以上に、さまざまな国を巡り比較ができるようになったことで、日本を客観的に見られるようになり、自国を心から誇りに思えるようになったことが、何よりも大きな発見でした。
ノマドワーカーとして最初に滞在したジョージアは、隣国との関係によって物価が大きく変動し、移民の増加やデモが日常的に起きるような環境で。地理的にも歴史的にも、これまで何度も侵略を受けてきた背景があります。それでもなお、ジョージアの人たちは自国の言語や伝統をとても大切にし、守り続けています。
かつてソ連に支配され、言語までロシア語に塗り替えられた時代があったにもかかわらず、ジョージア語やダンス、食文化を今も大切に守り続けている。彼らの愛国心はとても真っ直ぐだと感じ、その姿を間近で見て、日本という国のルーツや文化に対して、誇りのような感情が自然と芽生えましたね。
──約4年間のノマドワーカーというはたらき方に終止符を打って、昨年9月に日本に帰国した理由を教えてください。
一番の理由は、「長期的に何かを積み上げる 生き方にシフトしたい」と考えたことです。旅をしている間は、ビザの関係で毎月のように滞在する国が変わり、そのたびに生活のルーティンを一から作り直す必要がありました。
時差のある環境で、毎回クライアントとの調整が求められ、食事や生活環境も大きく変わる中で、継続して仕事に集中することが難しくて。
当時は「自由でいられる自分」に魅力を感じていましたが、現在は「仕事のスキルをより深く磨いていきたい」といった長期的な目標に意識が向いています。
2〜3週間で結果が出るものではなく、年単位で積み上げていく目標に日本に帰国してから取り組めるようになり、その過程をストレスなく楽しめています。そうして向き合えているのは、日本という心から安心して暮らせる土台があるからこそだなと。
目標に向かって努力することが好きな自分にとっては、今の環境がとても合っていると感じています。とはいえ、旅への気持ちはずっと変わらないので、タイミングを見ながら、1カ月ほどの滞在で海外に行くことはこれからも続けていきたいですね。
──「ノマドワーカーに挑戦したい」と考えている人へ、今伝えておきたいことはありますか?
絶対に、まず日本でスキルと人脈を作ってからにしてほしいです。仕事はスキル以上に「人とのつながり」で成り立っています。海外でゼロからつながりを作るのは、思っている以上に難しい。
目安として、月20万円ほど安定して発注してくれるクライアントを国内で2社確保できたら、渡航の現実的な準備が整ったと考えていいと思います。それまでは副業でスキルを磨きながら、オフラインのコミュニティやスクールに通って人脈を作ることを優先してください。
スキルがない状態でいきなり海外に出ても、仕事のつながりが作れずに苦戦して、帰国しなければいけないケースも大いにあるので。準備したぶんだけ、現地での選択肢は広がります。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
不安をそのままにしないことです。もしお金に対して漠然とした不安があるのなら、自分はどれくらい稼ぎたいのか、いくらあれば満足できるのかをまず書き出してみることをおすすめします。
たとえば、「手取り15万円でもいいから地方で自然に囲まれて暮らしたい」という人もいれば、「仕事だけの生活でもいいから月100万円を目指したい」という人もいます。全員が同じようにお金を求めているわけではなく、理想とする暮らしや求めているものもそれぞれ違うと思います。自分がどんな暮らしを望んでいるのかを知ることで、これから取るべき行動が明確に見えてきます。
しかし、不安をそのままにしている限り、状況は何も変わりません。お金に漠然とした不安があるなら、いくら残業しても収入が上がりにくい職種や市場の構造に問題があるのかもしれません。もし、自分の性格や特性の影響で、はたらきづらさを感じているのであれば、努力の量より自分がいる「場所」を変えることが解決策になることもあります。
まず不安の正体を書き出して、自分に合った打ち手を探してみてください。小さくても一歩を踏み出すこと。その積み重ねが、納得のいくはたらき方や生き方につながっていくのではないでしょうか。
(「スタジオパーソル」編集部/文:もじじ 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:飯田慶太さん)

